今日という日はプロコフィエフの誕生日である。生誕百二十五周年がはたして節目の年と呼べるのか定かでないが、何も聴かずこの記念日を遣り過ごすという手もあるまい。かてて加えて、この日はロンドンのプロコフィエフ・アーカイヴの創設者ノエル・マン女史のご命日にも当たっている。一介の素人に過ぎぬ小生をプロコフィエフ探究へと駆り立てた大恩人であるが、六年前に六十三歳の働き盛りで急逝された。それもプロコフィエフ誕生当日に薨られ、私たちを大いに嘆かせ、かつ驚かせた(
→"Guardian" 紙に載った David Nice の追悼記事)。
八年前の訪英時アーカイヴで女史にお目にかかった際、「僕はプロコフィエフの第六交響曲が無性に好きなんです」と告白したところ、すかさず「
私はね、第四交響曲、それも改訂版が大好きなの。大幅に手を加え、原曲とはまるで別物になった。第六交響曲よりもあとの円熟した仕事よ」と明言されたのを今も忘れない。
そういう次第だから、今宵は久々にそれを聴くことにしよう。
"Prokofiev: Symphony No. 4 etc.; MSO/DePreist"
プロコフィエフ:
交響曲 第四番(改訂版) 作品112*
組曲《キジェー中尉》 作品60**
ジェイムズ・デプリースト指揮
マルメ交響楽団1991年9月5、6日*、10月18、19日**、マルメ、コンセルトフス
BIS CD-531 (1992)
→アルバム・カヴァーたしかに改訂版の「第四」はとっつきにくい。原曲の1920年代スタイル(バレエ《放蕩息子》の素材を流用した)と40年代後半の晩年様式が混淆して、一筋縄ではいかぬ音楽になっているからだ。だから名演には容易に出逢えないのだが、本盤は一頭地抜いた周到な出来映え。ノエル先生も誉めるのではないか。
指揮者デプリーストはよほどプロコフィエフの語法に通暁しているのだろう、混合様式のアマルガムを破綻なく音楽的に聴かせる。この人のプロコフィエフを生で聴かなかったのがつくづく悔やまれる。東京都交響楽団の客演&シェフ時代、まさにその改訂版の「第四」(2001年。日本初演だった由)のほか、《キジェー中尉》《アレクサンドル・ネフスキー》《イワン雷帝》を披露したという。