つい先ほどまで四月一日、すなわち「四月馬鹿」(←もう死語?)だったのだが、今も巷では大嘘で友人を担ぐ習慣は行われているのだろうか。かく云う小生も、かつては面白がってエイプリル・フール小噺をここで披露して悦に入っていたのだが(
→JR駅構内全面禁煙に見直しの動き)、もうそれも今は昔、到底そういう気分になれないでいる自分を発見する。どうしてそうなったのか。理由はうすうす気づいている。なにしろ現今は世界中でとても本当のこととは思えぬ未曾有の出来事が続発し、ここニッポン国では見え透いた大嘘を平然と吐いて恥じない魑魅魍魎がそこいらじゅうに跳梁跋扈している。かかる時代にあっては、日常そのものが虚妄と化してしまい、わざわざ新たに嘘の小噺を付け加える必要を感じないのである。