やっと急ぎの校閲作業が終わり、送付したゲラが先方に届いたというのでホッと一息つく。さてと早めに寝ようかとfacebookを覗くと、今日はモーリス・ラヴェルの誕生日だという。生誕百四十一周年だから節目でもなんでもないのだが、たまたま我がPCのターンテーブルには何故かラヴェルのCDが乗っている。今宵これを聴こうと思ったのは虫の知らせなのか。
《라벨의 무용 교향곡 '다프니스와 클로에'》
ラヴェル Морис Равель:
ダフニスとクロエ Дафнис и Хлоя
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー Геннадий Рождественский 指揮
モスクワ放送交響楽団・合唱団1962年、モスクワ
Yedang YCC 0165 (2002)
→アルバム・カヴァー先日たまたまロジェストヴェンスキーが指揮したラヴェルのオペラ《子供と魔法》のLPを入手してから、俄かに胸騒ぎがして、「雪融け」期のロシア人たちが手がけたフランス近代音楽に興味を掻き立てられた。
同じロジェストヴェンスキーが振ったバレエ《ダフニスとクロエ》全曲が新世界レコードからLPで出たことがある。うろ覚えだが1970年代初め、彼が手兵モスクワ放送交響楽団を率いて来日したときの記念盤だったかと記憶する。最近ふと手にしたこの韓国製CD(今はもうないYedangレーベル)は音源の出自が不明瞭な代物なので、果たして昔のLPと同一の演奏か否かは判断がつかない。
怖いもの見たさ、といったら失礼かもしれないが、尻込みしつつ聴き始める。さぞかし仰々しく大袈裟な、フランス的な繊細さとは縁遠い、粗放で田舎じみた演奏が繰り広げられるかと思いきや、さにあらず。たしかに振幅こそ大きいものの、細部への目配りの行き届いた、入念にブレンドされた精妙な響きにびっくりする。手兵モスクワ放送交響楽団の秀逸なアンサンブルにも舌を巻く。
このCDにはデータの記載を欠くが、いろいろ調べた限りでは1962年の収録であるらしい。それにしては充分に鑑賞に堪える分離のよい明晰なステレオ録音である(ソ連でステレオ収録が一般化するのは1960年前後)。
1962年といえばロジェストヴェンスキーはまだ三十一歳。前年にアレクサンドル・ガウク翁からこの楽団の常任指揮者の地位を譲り受けたばかりだ。にもかかわらず、この完成度の高さはどうだ。彼はオーケストラを完全に手中に収めており、不慣れだった筈のフランス近代のバレエ音楽を、あたかも熟知したレパートリーさながら、雄弁に、自由自在に、破綻なく仕上げてみせる。まことに端倪すべからざる手腕というほかなかろう。そういえば、つい先日たまたま手に入れたロシア語版《子供と魔法》もまた、これと同じ1962年の録音だった。
ラヴェルがディアギレフからの依頼でバレエ・リュスのために作曲を始めるにあたり、ボロディンやリムスキー=コルサコフ、さらにはおそらくストラヴィンスキーの先行作を研究したのは確実だろう。その絢爛たる管弦楽法にはリムスキー=コルサコフからの影響が隠れもない。《ダフニスとクロエ》クライマックスの「全員の踊り」が、わざわざ舞踊には不向きな五拍子で書かれたのも、それがロシア音楽に特有の変拍子であるからに相違あるまい。
考えてみると、1912年の《ダフニスとクロエ》世界初演(パリ、シャトレ座)は、指揮者と楽団こそフランス勢(モントゥーとコロンヌ管弦楽団)だが、台本と振付(ミハイル・フォーキン)も舞台美術(レオン・バクスト)も、主要な踊り手(ワツラフ・ニジンスキー、タマーラ・カルサーヴィナ、アドルフ・ボリムら)も、悉くロシア勢で占められていた。まさしくロシア人の、ロシア人による、ロシア人のためのバレエなのだ。
そんなことを考えさせる演奏。ディアギレフが聴いたらなんというだろう。
《ダフニスとクロエ》がソ連で全曲録音されたのは恐らくこれが最初だろう。奇しくもシャトレ座での世界初演からきっかり半世紀後の収録であることを、当事者たちははたして気づいていただろうか。
時として金管群の豪放な咆哮がロシア魂を感じさせはするものの、これはこれでラヴェルが思い描いたバレエ音楽のひとつの理想形の達成ではなかろうか。アンドレ・クリュイタンスの瀟洒やピエール・ブーレーズの精緻ばかりがラヴェルぢゃないのだ。バレエ団を出自とするロジェストヴェンスキーの指揮はさすがに老練を極め、迫力たっぷり剛毅な造形は案外シャルル・ミュンシュの解釈に近いものだ。