またもや冬に逆戻りしたかのような、うそ寒い日。こんな朝にふさわしいかどうか、昨晩からずっと同じCDを聴いている。ずいぶん前から見かけながら、つい後回しにしてきたディスクだが、少し前に御茶ノ水の中古盤屋でたまたま手にした。
《ゆめのよる/波多野睦美&高橋悠治》
フェデリコ・モンポウ:
夢とのたたかい (ジョゼプ・ジャネス詞)
■ きみの上には花ばかり
■ ゆうべはおなじ風が
■ きみは海のよう
フランシス・プーランク:
平和の祈り (シャルル・ドルレアン詞)
アントネッロ・デ・カゼルタ:
完璧な美 (無歌詞)
エリック・サティ:
ダフェネオ (ミミ・ゴテブスカ詞)
高橋悠治:
むすびの歌 (長谷川四郎詞)
リリ・ブーランジェ:
反映 (モーリス・メーテルランク詞)
帰還 (ジョルジュ・ドラキス詞)
エリック・サティ:
帽子屋 (ルネ・シャリュ詞)
三つのジムノペディ*
高橋悠治:
ゆめのよる (谷川俊太郎詞)
フランシス・プーランク:
水差しの赤ちゃん (モーリス・カレーム詞)
フェデリコ・モンポウ:
鳥さん、かわいい鳥さん (作詞者不詳)
牧歌 (フアン・ラモン・ヒメネス詞)
エリック・サティ:
あなたがほしい (アンリ・パコリ詞)
フランシス・プーランク:
ギターによせて (ピエール・ド・ロンサール詞)
高橋悠治:
鳥は空を求めている (濱口國雄詞)
さざんか (濱口國雄詞)
時計草*
フェデリコ・モンポウ:
魂をうたう (サン・フアン・デ・ラ・クルス詞)
高橋悠治:
おやすみなさい (石垣りん詞)
メゾソプラノ/波多野睦美
ピアノ/高橋悠治 (*=ピアノ独奏)2009年3月23~26日、岐阜、サラマンカホール
エイベックス AVCL-25475 (2009)
→アルバム・カヴァーかかる独創的なアルバムを耳にしたなら、誰しも言葉に窮してしまうだろう。ただもう夢心地で聴き惚れるしか術はない。モンポウとサティとプーランクの親和性は云うまでもないが、そこに差し挟まれる高橋悠治の自作自演すらが、ただもう絶妙というほかない調和を醸しだす。
これとほぼ同内容、同趣旨のリサイタルを七年前に王子ホールで聴いたことを思い出す(
→当夜のプログラム冊子)。その演奏会もやはり同じく「ゆめのよる」と題され、「
サティ、モンポウ、アイスラー、高橋悠治の歌曲の夜」と副題されていた。以下がそのときの全演目。
モンポウ: 魂を歌う
プーランク: ギターに寄せて
アントネッロ・デ・カゼルタ: 完璧の美
プーランク: 平和を祈れ
サティ: ジュ・トゥ・ヴー
モンポウ: 三つの遊び唄
モンポウ: 君の上には花ばかり/夕べ同じ風が/君は海のよう ~「夢との闘い」
リリー・ブーランジェ: 帰還
ワイル: ユーカリ
*
アイスラー: 老子亡命途上での道徳経成立の物語
サティ: 三つのジムノペディ
サティ: 帽子屋、ダフェネオ
高橋悠治: ゆめのよる/鳥は空を求めている/おやすみなさい
(アンコール)
ウォーロック: 子守唄
高橋悠治: むすびの歌
ほらね、ここからワイルやアイスラーを差し引くと、ほぼ本アルバムが出来上がる(下線を施したのが共通曲目)。
その折の拙レヴュー(
→高橋悠治は至高の伴奏者だ)から少し引いておこうか。
どの曲がどうだったと詳述することはすまい。波多野さんのフランス語のディクシオンに難癖をつけても始まらない。歌手として絶頂期にある彼女が心から唄いたい歌を唄う。それだけで充分だろう。それも高橋悠治の伴奏でだ。なんたる贅沢。
「伴奏」という言葉がこれほど憚られるピアノもなかろう。鋭い耳で把握され、深い洞察力とともに紡ぎ出される高橋のピアノ演奏は、聴く者をただならぬ体験へといざなう。「意味のない音なんて、ひとつも存在しない」。漫然と聴き流すことなぞできやしない。どれもが稀有な美しさを備えた音楽に聴こえる。なんというモンポウ、なんというリリー・ブーランジェ、なんというアイスラーだろう! 世には未知の名作がこんなにも埋もれているのか、という感慨がこみ上げる。
後半いささか長大で難渋なアイスラーのあと、サティの「三つのジムノペディ」で波多野さんが譜めくり役に廻る趣向が面白い。そのあとの二曲の歌曲も含め、高橋の呟くような、噛み締めるような独特なサティが聴けたのが嬉しかった。そしてそのままの気分で、自作自演の三曲へ。「ゆめのよる」は創唱者である矢野顕子の歌いっぷりとは全く別の曲の趣。波多野さんのも悪くないのだけれど。
アンコールで英語の歌になったとき、波多野さんの歌唱には長旅を終えて帰郷したかのような安堵感が漲ったようにみえた。彼女の鍾愛の一曲であるらしいピーター・ウォーロックの「ララバイ」。ウォーロックを高橋悠治で聴けるなんてもう二度と体験できないだろう。
今夜の選曲とほぼ軌を一にした新しいアルバムが出たという。会場でも販売していたが、生の感興を忘れたくないので、今日は遠慮した。でもいずれきっと聴きたくなるに決まっているのだが。
演奏会での感動を壊さぬよう、CDを買い控えた気持ちは我ながら痛いほどわかる。かけがえない印象を上書きされたくなかったのだ。
でもこのディスクを再び手にし「いずれきっと聴きたくなる」までに六年もの歳月が流れてしまったのは誤算だった。駄目だなあ、こんな悠長なことぢゃ。まあ、それでも寿命があるうちに聴けたのだから良しとしよう。
追記)本盤ブックレットには邦盤にありがちな愚劣な紹介記事は一切なく、簡潔で要を得た曲目解説を波多野さんが、全歌曲の邦訳を悠治さんがそれぞれ担当している。潔いほどシンプルで、それでいて内容に不足はない。こうでなくちゃね!