届いたCDの封を切るのももどかしく、ターンテーブルに載せる。およそ時流に沿えない小生にしては珍しく、つい先ごろ世に出た注目のディスクである。
"Julie Fuchs -- Yes!"
モーリス・イヴァン:
イエス! ~《イエス!》(1928)
アンドレ・メサジェ:
私には恋人が二人 ~《仮面の恋》(1923)
フランシス・プーランク:
駄目よ、ご亭主殿* ~《ティレジアスの乳房》(1947)
アルテュール・オネゲル:
ご免、敬愛する私のパパ ~《ポーゾール王の冒険》(1930)
接吻の三重唱** ~《ポーゾール王の冒険》
クルト・ワイル:
バルバラのシャンソン*** ~《三文オペラ》(1928)
メッキーの悼み唄*** ~《三文オペラ》
モーリス・ラヴェル:
離れて! 良い子には忠告するわ(火のアリア) ~《子供と魔法》(1925)
カジミール・オベルフェルド:
それが何なのか知らなかったの ~《保育園》(1932)
アンリ・クリスティネ:
あゝ! 愛しい方! 赦して頂戴! ~《フィ=フィ》(1918)
フランツ・レハール:
ヴィリアのアリア ~《陽気な寡婦》(1905)
恍惚のひととき* ~《陽気な寡婦》
ニコライ・リムスキー=コルサコフ:
太陽への讃歌 ~《金鶏》(1909)
レナルド・アーン:
おゝ、わが見知らぬ美男 ~《おゝ、わが見知らぬ美男》(1933)
ここはパリでなく、その郊外 ~《シブーレット》(1923)
ヴィンセント・ユーマンズ:
二人でお茶を* ~《ノー、ノー、ナネット》(1925)
ソプラノ/ジュリー・フュックス
メゾソプラノ/アナイック・モレル**
テノール/スタニスラス・ド・バルベラック* **
サミュエル・ジャン指揮
リール国立管弦楽団2015年4月2~4日、パリ、オーディトリオム・ル・ヌーヴォー・シエクル
2015年6月20日、パリ、サル・コロンヌ***
Deutsche Grammophon/ Decca France 481 200-7 (2015)
→アルバム・カヴァーこの人のことは全く知らない。1984年にフランスのモー(セーヌ=エ=マルヌ県)で生まれ、アヴィニョンとパリで学んだ才媛だそうだ。苗字 Fuchs は屡々「フックス」と表記されるが、仏人ならば「フュックス」が近い発音だろう。これがデビュー・アルバムかと思いきや、すでにマーラーとドビュッシーの初期歌曲を集めたものや「プーランク歌曲集」のCDがあるらしい。
フランス産オペレットのアンソロジーといえば古くはレジーヌ・クレスパン(LP)、フェリシティ・ロット(CD)の先例があったが、この新作がじかに参照したのは、おそらくナタリー・ドセ(1996、
→これ)とスーザン・グレアム(2002、
→これ)のアルバムだと思う。前者はオペラとオペレットを区別せず、ラヴェルの《子供と魔法》の「火のアリア」、プーランクの《ティレジアス》の「ご亭主殿」をオッフェンバックと一緒に唄っていたし、後者はイヴァンの "Yes!" 、メサジェの "J'ai deux amants"、アーンの "Ô mon bel inconnu" と "C'est pas Paris, c'est sa banlieue" を含んでいた。偶然の一致でなく、これら先行作の顰みに倣ったのは明らかだ。
本アルバムはしかし、更にその先を行く企てである。オペラとオペレッタを分け隔てしないばかりか、純フランス産の作品と外来(ウィーン、ベルリン、ブロードウェイ)作品との区別も廃し、すべてが「フランスの歌芝居」として等し並みに仏語の歌詞で歌われるのだ。あたかも芝居好きのパリジャン=パリジエンヌが当時これらと日常的に接していたかの如くにである。
これを聴き進めるのは1920~30年代の劇場都市パリへの時間旅行さながら、スリリング極まる魅惑の体験だ。
パリに降り立った私たちは、1923年に
エドゥアール七世座で《仮面の恋》、
ヴァリエテ座で《シブーレット》の初演にそれぞれ遭遇し、1926年2月
オペラ=コミック座で《子供と魔法》のパリ初興行に心ときめかせ、二か月後
モガドール座で《ノー、ノー、ナネット》の粋な舞台を愉しむ。1928年
キャピュシーヌ座で《イエス!》が初舞台を迎え、1930年には
モンパルナス座で話題の《三文オペラ》、次いで
ブッフ=パリジャン座でオネゲルの新作《ポーゾールの冒険》・・・といった塩梅に、極上の快楽が次から次へと私たちを待ち構えている。
身も心もすっかり蕩けてしまいそうだ。そうこうしているうちに、ほどなく欧州全土にはどす黒い暗雲が立ちこめるのであるが。
本CDの収穫はカジミール・オベルフェルド Casimir Oberfeld なる耳馴れない名の作曲家の秘曲がさり気なく収録されていることだ。
オベルフェルド(Kazimierz Jerzy Oberfeld)は1903年ポーランドのウッチに生まれ、1920~30年代パリを拠点に映画音楽とオペレットの分野で活躍、数々のヒットを放った由。収録曲 "Je n'savais pas qu'c'était ça..." も、元のオペレット《保育園 La Pouponnière》もまるで知らないが、オベルフェルドの名は日本とは無縁ではない。戦前エノケンの愛唱歌だった「モン・パパ」なる愉快な小唄が彼の作品なのである(
→榎本健一、二村定一による1931年録音)。
この「モン・パパ」の原曲は "C'est pour mon papa" なるシャンソンで、1930年のフランス映画《巴里っ子 Le Roi des resquilleurs》で主役を務めた人気歌手ジョルジュ・ミルトン(Georges Milton)が唄って大ヒット(
→これ)。それをパリ通の白井鐵造が巧みに訳詞して宝塚のレヴュー《ローズ・パリ》(1931)の挿入歌とした(
→三浦時子と宝塚歌劇団による1931年録音)。
エノケンが唄ったのも、その白井の軽妙な詞である。戦後生まれの小生もこの歌に親炙して、「パパの大きなものは一つ、靴下の破れ穴」のくだりを諳んじているのは、後年までエノケンがこれをしばしば唄っていたからであろう。
そんな次第で、私たちにも縁のあるオベルフェルドの未知のアリアを聴いて、些かの感慨なきにしもあらず。ポーランド系ユダヤ人の彼は第二次大戦中は喜劇俳優フェルナンデルらとともに南仏に難を逃れたが、不運にもドイツ軍に捕えられ、1945年アウシュヴィッツへの強制移動(「死の行進」)のさなか凍死したという。
閑話休題
(あだしごとはさておきつ)、このジュリー・フュックスの新作はこれからも繰り返し聴くだろう予感がする。彼女の声はとても清冽で、技巧的にも申し分ない。さすがに「私には恋人が二人」や、《ティレジアスの乳房》や《子供と魔法》のアリアのように人口に膾炙した曲だと、数多ある先行盤での歌唱(クレスパン、デュヴァル、ロット、ドセ)に比べ、役になりきる表現力で劣るのは明らかだが、三十そこそこの若さでここまで歌えれば文句はない。来日したら聴きにいきたいものだ。
それにしても、これだけ稀少なアリアを集めながら、本アルバムには対訳はおろか、仏歌詞テクストすら掲載されない。それどころかジュリー嬢の略歴がどこにも記されていない(伴奏の指揮者や楽団の紹介には紙面を割くのに!)。しかもプーランクの《ティレジアスの乳房》の作曲年を1917年と平気で誤記している。こんな調子だと、版元の老舗レコード会社は早晩この世から消滅してしまうだろう。
ついでに、本アルバムが下敷きにしたとおぼしい、スーザン・グレアムが唄った同種のフランス・オペレッタ集(世にも素晴らしい傑作!)を評した五年前の拙レヴューも紹介しておこう(
→それが人生、それが恋)。