今やCD産業は青息吐息の仮死状態だから、大手クラシカル・レーベルからは碌な新録音が出ない。もっぱら旧録音を集大成したボックス・セットを安価で投げ売りするのが関の山。ただし、そのお蔭でこれまで永らく等閑視されてきた太古のモノーラル録音がひょっこり陽の目を見ることもある。禍福は糾える縄の如し。
"Stravinsky: Oedipus Rex"
ストラヴィンスキー:
オイディプス王
語り手/ジャン・コクトー*
オイディプス王/ピーター・ピアーズ(テノール)
ヨカステ/マルタ・メードル(ソプラノ)
クレオン、使者/ハインツ・レーフス(バリトン)
ティレシアス/オットー・フォン・ローア(バス)
羊飼/ヘルムート・クレプス(テノール)
イーゴリ・ストラヴィンスキー指揮
ケルン放送交響楽団・合唱団1951年10月7日、ケルン、北西ドイツ放送局スタジオ
1952年5月、パリ*
Sony 88875026162 (2015, 56CDs)
→アルバム・カヴァーLP時代に中古盤で見つけて後生大事に聴いたこの録音については、こんな旧稿がある。便利なので、まるごと引いてしまおう(ほんの少し改変)。
オペラ・オラトリオ《オイディプス王》は〈呪われた作品〉だった。ストラヴィンスキーとコクトーの唯一の共同作品であり、バレエ・リュスの主宰者ディアギレフの興行生活二十周年記念の「贈り物」として準備されたというのに、結局さまざまな事情から舞台上演は叶わず、演奏会形式で初演された(1927年5月30日、パリ、サラ・ベルナール座)。おまけに肝心のディアギレフは、二人からのプレゼントがバレエでなかったのが不満で、「場違いな作品、ぞっとする」とこきおろした。
コクトーの台本は古代の名高いオイディプス伝説を七つのエピソードにまとめ、これを友人にわざわざラテン語訳されたものだったが、初演の失敗により、その創意も報われずに終わってしまった。
それから二十五年後の1952年、久方ぶりの復活上演が行われる(5月14日、シャンゼリゼ劇場)。パリで再会したストラヴィンスキーとコクトーは、それぞれ指揮と装置・衣裳とを受けもち、また各エピソードの冒頭ではコクトー自身がフランス語のナレーションを朗読した。《オイディプス王》の真価が明らかになったのは、このパリ公演の成功に負うところが大きいのである。
これに先立ち、ケルンで作曲者の指揮の下、ベスト・キャストによるレコーディングが行われた(米コロンビア)。ただしコクトーのナレーションのみはパリでの収録である。 ──拙著『12インチのギャラリー』(1993) 第四章「詩人と音楽」より
ここで言及される作曲者指揮による「ベスト・キャストによるレコーディング」がすなわち本録音、米Columbia のモノーラル盤(ML 4644)である。1953年に発売されたこのLPは同曲初の全曲録音として広く聴かれ、ほぼ同時に出た仏Philips盤(
→これ)と蘭Philips盤(
→これ)とともに蒐集家の間で珍重されている。いずれもコクトーの描くオイディプス王の素描(1932)をあしらった卓抜なデザインだが、完成度は本家の米盤がやはり一頭地を抜く(
→少し刷色の違う異版)。
この歴史的録音はストラヴィンスキーの歿後、一度だけLPで再発されたことがある(
→Odyssey盤)が、その後CD時代にはずっと不遇を託ち、耳にする機会がなかった。米Columbiaのストラヴィンスキー自作自演プロジェクトにはきっかり十年後の1961年に彼がワシントンで収録したステレオ録音が存在するため、古いモノーラル録音は永いこと日蔭者扱いされてきたのだ。
それが "Igor Stravinsky: The Complete Columbia Album Collection" なる箱物(Sony)で昨秋ようやく陽の目を見た。思わず快哉を叫んだオールド・ファンは小生のほか世界中で百人位はいるだろう。
入り組んだ諸事情から「三大バレエ」など戦前の大ヒット作の著作権収入が得られないストラヴィンスキーは、半ば「窮余の一策」として世界各地で自作の指揮を盛んに行った。これが彼の主たる収入源だったのだから、指揮者稼業は後半生の彼にとって副業どころか表看板に掲げるべき「本職」といえよう。
そこに目聡く着眼したのが米コロンビア社のプロデューサー(のち社長)ゴダード・リーバーソン(
→リーバーソン夫妻とストラヴィンスキー)。LP時代の到来とともに作曲家と独占契約を結び、最初期から新作まで、ストラヴィンスキーの管弦楽作品(協奏作品、オペラ、オラトリオなどを含む)のほぼ全部を新録音するプロジェクトに乗り出した。さすがLPの創始会社だけあって考えることが気宇壮大だ。
このプロジェクトでは同社が本拠を置くニューヨーク、ハリウッド在住のストラヴィンスキーに便利なロサンジェルス、ときにはクリーヴランドのオーケストラを起用して録音が進められたが、この《オイディプス王》では例外的に西ドイツのケルンの放送局でセッション収録がなされている。
どうしてそうなったのか、経緯は今ひとつ不分明なのだが、1951年の初秋、ヴェネツィアでオペラ《放蕩者の遍歴》世界初演を済ませたストラヴィンスキーはその足で戦後初のドイツ楽旅を敢行した(ケルン、バーデン=バーデン、ミュンヘン)。偶々ケルンとミュンヘンで《オイディプス王》を指揮するのをコロンビア社は絶好の機会と捉え、放送録音とタイアップで収録が計画されたのだろう。ちなみにケルンもミュンヘンも第二次大戦後はアメリカ軍政下にあって、同社が放送局にアプローチするのは容易だったと推察される。
スタジオ録音されたのは《ミューズを率いるアポロ》《オイディプス王》そして「木管のためのシンフォニーズ」の三作品。いずれも10月7日のセッションで収録され、翌8日にコンサートが披露された由。最後の作品はこれがドイツ初演である。ケルンの放送オーケストラは頗る優秀で作曲家は出来映えにご満悦だったという。とりわけ《オイディプス》では独唱に英人ピーター・ピアーズに加えてドイツの精鋭がずらり顔を揃え、申し分ない歌唱である。男声コーラスも堂々たるものだ。
ところが問題になったのは随所でストーリーを説明するナレーターだ。周知のとおり、このオラトリオは全曲がラテン語で書かれており(世俗作品では珍しい)、どこの国の聴衆にも何が歌われているのか皆目わからぬため、ナレーターだけは現代語で語って物語の進行を司る役割を担う。1927年の世界初演時にはフランスの若手俳優ピエール・ブラッスールがその役を務めた由。ケルンでは当然のように独人のヴェルナー・ヘッセンラント(Werner Hessenland)が起用された。自国ではそこそこ知られた映画俳優だそうで、シャーロック・ホームズやメグレ物のラジオ番組で名高いというが、国際的な知名度はゼロに等しい。そもそも米国で出すストラヴィンスキーのLPにドイツ語のナレーションはどうにも不似合いだ。
難題を切り抜ける妙案はすぐに浮かんだ。思いついたのはストラヴィンスキー自身だったかもしれない。実はケルンとミュンヘンでの実演の半年ほどのち、《オイディプス王》のパリ公演も決まっていて、そのナレーターをほかでもない、台本作者であるジャン・コクトーに委ねる計画が進行中だったのである。
「そうだ、コクトー御大にオリジナルどおりフランス語で語ってもらい、それをケルン録音のドイツ語ナレーションと差し替えればいい」と録音スタッフ一同は衆議一決した──そんな成り行きだったろうと想像する。幸いにも《オイディプス王》のナレーションは、音楽とほとんど被っておらず、差し替え作業はいとも簡単なのだ。
《オイディプス王》パリ公演は1952年5月19日、シャンゼリゼ劇場で賑々しく催された。驚いたことに、1927年の初演このかた実に二十五年ぶりの再演だったというから驚きだ。この世界初演は失敗に終わり、それからというもの、この街では《オイディプス王》は「呪われた作品」として一度も演奏される機会がなかったのである。ストラヴィンスキーにとってもコクトーにとっても、今回の上演はいわば捲土重来、四半世紀ぶりのリヴェンジだったのだ(
→パリで再会したご両人)。
とりわけ、初演時に自分がナレーターを務めるつもりだったのにディアギレフの意向(「その役は美青年でなきゃ駄目だ!」)で取りやめになり、客席から鑑賞するだけだったコクトーにとっては、「今度こそが本当の初演」という心持だったろう。初演時の演奏会形式ではなく、今回は「タブロー・ヴィヴァン」、すなわち仮面を被った人物たちが随所で黙劇を演じるスペクタクル仕様。コクトーはその演出と仮面・衣裳のデザインまで担当する力の入れよう(
→リハーサル風景)。
単なる演奏会形式による上演とは異なり、格段に手間と経費のかかるスペクタクル公演が実現したのには実のところ隠された裏事情がある。
今回の《オイディプス王》は「20世紀の名作
L'œuvres du XXe siècle」なる現代音楽祭の一環として上演されたものだ。主催は「文化的自由のための会議(文化自由会議)The Congress for Cultural Freedom」という。この団体名を目にして、「ああ、あれか」とピンときた方もおられようか。
この「自由文化会議」こそは冷戦下、共産主義陣営に対抗すべく米国で結成された文化団体であり、表向きは非政治色を装っていたが、裏ではCIA(中央情報局)に莫大な資金援助を仰いだ、紛うことなき反共プロパガンダ組織だった。主導者は(かつてパリでディアギレフの秘蔵っ子だったこともある)亡命ロシア人作曲家ニコラス・ナボコフ。高名な作家ウラジーミル・ナボコフの甥にあたる人物だ。
パリでの「20世紀の名作」音楽祭は「文化自由会議」による記念すべき第一回の催しであり、1952年4月から5月にかけての一か月間、シャンゼリゼ劇場(および地下の小劇場コメディ・デ・シャンゼリゼ)とパリ音楽院のホールを借り切って連日のように演奏会とオペラやバレエの上演が行われた(幕開けはサン=ロック教会でのプーランク「スターバト・マーテル」パリ初演)。このときシャンゼリゼ劇場にはヴィーン・フィル、ボストン響、NYシティ・バレエ団が来演し、《オイディプス王》のほか、シェーンベルクの《期待》、ベルクの《ヴォツェック》、ヴァ―ジル・トムソンの《三幕の四聖人》、ベンジャミン・ブリテンの《ビリー・バッド》、ヴィットリオ・リエーティの《ドン・ペルリンプリン》が上演されたのだから、豪勢さが偲ばれよう。
東西対立の真っ只中、資本主義陣営の「文化における自由」を標榜すべくストラヴィンスキーの旧作が再演される。それを背後で資金的に支えたのが時の米政権の意を受けたCIAだった事実は、1927年《オイディプス王》初演時のパトロンがポリニャック公爵夫人(ウィナレッタ・シンガー)とココ・シャネルだった四半世紀前の文化状況と鮮烈な対照を示す。時代は劇的に変化したのだ。
それはそれとして、1952年5月19日めでたくパリ再演された《オイディプス王》は絶賛を博し、この曲が20世紀の古典の仲間入りを果たす契機となった(終演後のストラヴィンスキーとコクトー
→その1、
→その2、
→その3、
→その4)。
嬉しいことに当夜の模様はフランス放送によって実況録音され、《オイディプス王》全曲は今やCDで聴くことができる。
"Les grands concerts inédits du Théâtre des Champs-Elysées"
ストラヴィンスキー:
オイディプス王
バレエの情景
語り手/ジャン・コクトー
オイディプス王/レオポルド・シモノー(テノール)
ヨカステ/エウゲニア・ザレスカ(ソプラノ)
クレオン/ベルナール・コトレ(バリトン)
ティレシアス/ジェラール・セルコワイヤン(バス)
羊飼/ミシェル・アメル(テノール)
使者/ジョルジュ・アブドゥーン (バリトン)
イーゴリ・ストラヴィンスキー指揮
フランス放送国立管弦楽団
フランス放送合唱団1952年5月19日、パリ、シャンゼリゼ劇場(実況)
Disque Montaigne TCE 8760 (1987)
→アルバム外函よくぞ実況録音が残されたものだ。しかもその良好な音質といったら! この時代、極東の敗戦国では劣悪な放送録音がごく僅か残存するのとは大違いだ。演奏はストラヴィンスキーの生真面目で四角四面の指揮にも拘らず、覇気のある生々しいものだ。コクトーのナレーションも語気鋭く、気迫が籠もっている。上述した禍々しい時代背景を忘れて聴き惚れてしまう。
惜しむらくは声楽陣が不揃いで、巴里の合唱団は半年前のケルン陣営よりも統率力が格段に落ちる。ただしオイディプス役のレオポルド・シモノーは若々しく絶好調。ケルンでのピーター・ピアーズよりも遙かに適役ではあるまいか。
折角の機会なので今回この実況録音におけるコクトーの朗読部分を上述の米コロンビア盤でのそれと聴き較べてみたら、両者は(当然ながら)瓜二つながら明らかに別物だ。おそらくコロンビア社は本番の直前か直後かに別途スタジオで特別に収録セッションを組んだのであろう。
最後に附言するならば、ケルンの放送局が収録した元々の音源(1951年10月7日)もまた今ではCD覆刻されている。数種あるが架蔵するのはこれ。
"Igor Stravinsky: Apollon Musagète, Oedipus Rex"
ストラヴィンスキー:
ミューズを率いるアポロ
管楽のためのシンフォニーズ
オイディプス王
語り手/ヴェルナー・ヘッセンラント
オイディプス王/ピーター・ピアーズ(テノール)
ヨカステ/マルタ・メードル(ソプラノ)
クレオン、使者/ハインツ・レーフス(バリトン)
ティレシアス/オットー・フォン・ローア(バス)
羊飼/ヘルムート・クレプス(テノール)
イーゴリ・ストラヴィンスキー指揮
ケルン放送交響楽団・合唱団
1951年10月7日、ケルン、北西ドイツ放送局スタジオ
Acanta/Membran 233694 (2013)
→アルバム・カヴァー