いやはや今月は訃報ばかり伝わる辛い月だった。元旦の
ヴィルモス・ジグモンド(85)を皮切りに、
ピエール・ブーレーズ(90)、
デイヴィッド・ボウイ(69)、
ミシェル・トゥルニエ(91)、
エットレ・スコーラ(84)、
ドニーズ・デュヴァル(94)、
ジャック・リヴェット(87)、そして
オーレル・ニコレ(90)と続く。
ボウイを除けば皆かなりのご高齢だったから致し方ないのかもしれないが、それでも彼や彼女の不在を他の誰をもってしても埋められない、真に掛替なき人たちだったと今更ながら痛感する。だがもう嘆くのはよそう。彼らは充分に生きたのだし、次代に遺されたレガシーは末永く銘記され翫味されるだろう。
そんな正月の終わりなので終日在宅。このところ三日連続で上京したので疲れが溜まっている。いやなに、むしろ心地よい疲労なのだが。
以下は備忘録。なにしろ耄碌がひどく、つい最近の出来事を忘れてしまう。
1月28日(木)
家人を誘って上京。時間にゆとりがあるので八丁堀から兜町の界隈を歩いて日本橋へ。コレド室町の食事処「日本橋だし場」で定食ランチ。鰹節の「にんべん」直営店だけあって、だしの味加減がさすがに上乗。腹ごなしに近隣を散策中、家人は近所の漆器店「象彦(ぞうひこ)」に吸い込まれるように入店し、上等な茶筒をお買い上げ。こういうとき女性は大胆である。そのあとコレド上階の映画館「TOHOシネマズ日本橋」で英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2015/16を鑑賞。今月はバレエの回とて、「ヴィサラ/牧神の午後/チャイコフスキー・パ・ド・ドゥ/カルメン」の四本立。昨年11月12日の公演録画である。最後の《カルメン》は同バレエ団のプリンシパル、カルロス・アコスタの引退興行とて自ら振付と出演(ドン・ホセ役)を務めたもの。あれこれ盛り込み過ぎの失敗作だが、終了後の拍手喝采と舞台挨拶はさすがに大盛り上がりで感動的。今回の演目のなかではジェローム・ロビンズ振付の《牧神の午後》が素晴らしい。ニジンスキー版を下敷きにしつつ、舞台を現代のバレエ練習場に移し、登場人物を男女二人に絞って全く別物のバレエに変容させたロビンズの智慧と創意に舌を巻く。上映終了は夕刻六時半。例によって東京駅まで歩いたら家人の万歩計は一万歩を記録した。
1月29日(金)
明日からしばらく休暇に入ると聞き、慌てて明治学院大学図書館の「日本近代音楽館」へ。先般ようやく届いた大田黒元雄についての拙稿を持参した。執筆を進めるうえで、ここの「大田黒元雄文庫」すなわち大田黒旧蔵資料を調査できたのが決定的だった。未整理の遺品を、小生のような在野の研究者にも閲覧させてくださった同館にはただ感謝あるのみ。いつも貴重なご助言を頂戴した司書の末永理恵子さんに御礼申し上げて辞去。そのあと御茶ノ水に出て、中古レコード店に立ち寄る。ブーレーズ指揮でラヴェルとバルトークのCD、ロシア語版《ペーチャと狼》LP(発注主ナターリヤ・サーツの語り!)、パウル・ザッハー指揮コレギウム・ムジクムの来日公演プログラム(1970)を、いずれも嘘のような安価で手にする。
1月30日(土)
朝ツイッターでオーレル・ニコレの訃報を伝え聞く。昨日コレギウム・ムジクムの公演プログラムを入手したばかりなので驚愕。この演奏会でニコレとホリガー夫妻は武満徹の「ユーカリプス」を世界初演したのだ。急ぎ追悼文をしたためると昼食も抜きで外出。電車と地下鉄を乗り継いで竹橋の東京国立近代美術館へ。ここの地下講堂で桑原規子さんの講演「恩地孝四郎の版画芸術──実験の軌跡」を拝聴。三十余年の研究成果を踏まえて、恩地の生涯の業績を明晰かつ的確に跡づける。彼女なりの見方を色濃く滲ませるが、恩地自身の発言に裏打ちされたその所論は説得力に満ちたものだ。個人的には恩地の「音楽作品による抒情」のうち、これまで未見だったスクリャービン、ストラヴィンスキー、バルトークの画像を初めてスライドで観られたのが大収穫。終了後は再び地下鉄を乗り継いで新宿三丁目へ。小一時間ほど中古レコード店で過ごしたが目ぼしい収穫はなし。五時になったので西口側へ出て、駅近くの居酒屋「天狗」へ。ここで旧友たちとの新年会がある。少し遅れて着くと、すでにBoe、こいぶー、おらがの諸氏が着座している。ほどなくあきら、黄土パックも加わって飲食と談笑に興じた。男ばかり六人とはちと寂しいが、年始の週末はいろいろ忙しいのだろう。二時間の制限時間がアッと云う間に過ぎ、全員で近傍のバー「ばがぼんど」に移動。ラグタイムのピアノ生演奏を聴きながら更に談論風発。気が付くと十時だ。「もう一軒」とは誰も言い出さなかったのは老齢の故か。四月末の花見時の再会を約して四方に散った。