もう大概の訃報には驚かない、とつい先日そう記したばかりなのに、またしてもたじろいでいる。今度はフルート奏者
オーレル・ニコレ九十歳の訃報である。かつてジャン=ピエール・ランパルが「笛吹き」の王者として君臨していた頃、ニコレはそれに対抗することなく、フルートにはまだ肥沃な「精神の領野」があることを示し、自らその未踏の国の開拓者となった。この並び立つ対照的な両雄を戴くことで、私たちの時代は無上の幸せを味わったのだ。しかもこの二人の王者は肝胆相照らすところがあり、互いにいがみ合わず、しばしば共演までしたのである。
小生がニコレを何度か間近に聴いたのは十代から二十代にかけての多感な日々だった。最初は1970年の春、大阪万博に関連した「スイスの夕べ」で読売日本交響楽団をバックにフランク・マルタンの「バラード」を吹いた。指揮は若僧だったシャルル・デュトワ。ただし同じ場でリーザ・デッラ・カーサやマルタ・アルヘリッチに遭遇した印象のほうが強すぎて、ニコレの演奏の委細はほとんど憶えていない(1970年4月21日、日比谷公会堂)。
次は1972年春、このときはハインツ&ウルズラ・ホリガー夫妻と同道し、バーゼル・アンサンブルの名のもとにドビュッシー尽くしの演奏会を催した。「シランクス」や「フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ」を披露したばかりか、珍しい朗読付き「ビリティスの歌」まで繰り出す贅沢な催しだった(1972年3月14日、東京文化会館)。その十日ほどのち、日本フィルハーモニー交響楽団の定期公演に登場した彼らは武満徹の「ユーカリプス」再演を行った。フルート、オーボエ、ハープを独奏とする一種の協奏曲であり、二年前の来日時、同じ彼らがパウル・ザッハー指揮で世界初演したものだ。超絶的な特殊奏法の連続に目を丸くし、玄妙にして不可思議な響きに酔いしれた思い出がある。オッコ・カムの指揮もたいそう素晴らしかった(同年3月23日、東京文化会館)。この日は日本フィル解散の危機が迫っており、支援を募るビラが開演前に配られたのを記憶している。
そして更に二年後にもう一度、オーソドックスなフルート・リサイタルにも出向いた(1974年3月17日、日生劇場)。小林道夫の伴奏で、オトテール、クープラン、フーバー、ヴィヴァルディ、武満(「ヴォイス」)、バッハを聴いたことになっているのだが、どういう訳か知らん、もう印象がすっかり薄らいでしまった。やはり四十年の歳月は争えず、記憶に粗密が生じているのは致し方なかろう。
それにしてもなんと幸福な日々だったことよ。手を伸ばせば届くところにニコレがいて、いつでもバッハとドビュッシーと武満を吹いてくれた。こんなにも存在を身近に感じることのできた異邦の笛吹きは彼だけだ。謹んでご冥福を祈ろう。