いやはや投稿が十日近くも途絶えてしまった。その間は連載原稿のレイアウト校正を済ませたり、やっと届いたバレエ・リュス論考の抜刷を恩義ある方々に送付したり手渡ししたり、大田黒元雄について新聞社からの問い合わせに応じたり、知友からの依頼で英文原稿の点検を大急ぎでやったりした。有閑老人にしては珍しくも慌ただしい日々が続き、さすがに草臥れ果てた。
そんなかんなで、昨日は作曲家アンリ・デュティユーの生誕百周年の記念日と知りつつも、何もレスポンスせず遣り過ごしてしまった。だから一日遅れになったが、せめて今日はこれを聴こう。
"Orchestre National de France/ 80 ans de concerts inédits"
デュティユー:
交響曲 第一番
ロジェ・デゾルミエール指揮
フランス放送国立管弦楽団1951年6月7日、パリ、シャンゼリゼ劇場(世界初演実況)
harmonia mundi -- Radio France/INA
HM CD 23X8 (from 8CDs, 2015)
生誕百年と聞かされても、そりゃそうだろという程度の感慨だ。なにしろ、つい数年前に九十七歳で長逝したばかりなのだ。その死に際し Radio France の追悼番組でこの第一交響曲の世界初演のアーカイヴ録音を初めて耳にして吃驚した。なにしろ凄い演奏なのだ。そのうえ音質が驚くほど良好で、隅々までオーケストラ演奏の細部が手に取るようにわかる。六十年以上も経っているのに、時の隔たりを一挙に飛び越すような聴取体験だったのを思い出す。
その実況録音が昨年の春にCD化されたとき、貪るように聴いた。オルケストル・ナシオナル(フランス放送国立管弦楽団/フランス国立管弦楽団)創立八十周年の箱物セット(
→これ)のなかで、この演奏が収められた八枚目ばかりを擦り切れるほど(←死語)繰り返しかけたものだ(
→その拙レヴュー)。
今宵また同じ演奏を耳にして、その生々しい熱っぽさに圧倒される思いを新たにした。今時の精緻でクールな解釈とは異なり、この最新作をルーセルやオネゲルの発展形と捉え、直ちに自家薬籠中のものとした指揮者デゾルミエールの偉さにもうたれる。彼は同世代のシェルヘンやロスバウトに優るとも劣らぬ同時代音楽の擁護者=伴走者だったのだ。因みにメシアンの「トゥランガリラ交響曲」フランス初演も、ブーレーズの「水の中の太陽」世界初演も、彼が手がけた。今やそれらの実況録音すらCDで聴くことができるとは難有さの極みだ。
"Dutilleux/ Orchestre National de Lyon/ Baudo"
デュティユー:
交響曲 第一番
音色、空間、運動 「星月夜 La Nuit Etoilée」
セルジュ・ボード指揮
リヨン国立管弦楽団1985年10月、1986年6月、リヨン、モーリス・ラヴェル楽堂
harmonia mundi HMC 905159 (1986)
→アルバム・カヴァーデュティユーの第一交響曲は今でこそ20世紀の古典と看做されるが、かつてはピエール・デルヴォー盤(1956)、ジャン・マルティノン盤(放送録音、1971)くらいしか録音が存在せず、LP末期にようやくジャン=クロード・カサドシュ盤(1984)、そしてこのボード盤が加わったと記憶する。
ボードの解釈は初演者デゾルミエールのそれとよく似て、デュティユーをオネゲルの正当な後継者と位置づけるアプローチ。熱を帯びて激越な演奏である。併録の「音色、空間、運動」(1978)もやはり同様の流儀で押し通す。
セルジュ・ボードはデュティユーがロストロポーヴィチのために書いたチェロ協奏曲 "Tout un monde lointain..." (1970)初演時の指揮者であり、初録音も残している。彼はまた管弦楽曲「メタボール」日本初演の指揮者でもあり(ジュネス・ミュジカル管弦楽団、1977)、本録音の少しあとN響に客演して第一交響曲を指揮している(1987)。彼は彼なりにデュティユーの伝道師だったのだ。
"Musique de notre temps"
デュティユー:
メタボール Metaboles
ジャン・マルティノン指揮
フランス放送国立管弦楽団1974年、パリ(実況)
Adès 14.122-2 (from 4CDs, 1988)
→アルバム・カヴァージャン・マルティノンもまたデュティユーとは因縁浅からぬ指揮者である。年齢的には彼のほうが六歳年上の先輩作曲家だが、戦後のセリエル音楽に与しない立場は共通しており、互いに肝胆相照らす間柄だったかと想像される。
正規録音こそ残さなかったが、彼はデュティユーの第一交響曲を1952年にエクス=アン=プロヴァンス音楽祭で早くも指揮しており(南西ドイツ放送交響楽団)、この曲の長きにわたる擁護者だった。フランス放送国立管弦楽団との実況録音(1971年7月7日)が現存し、かつてLP盤(仏Barclay)も出ていた(近年CDにもなった由)が、今は「メタボール」(1964完成)を聴こう。録音日の詳細は不明ながら、ツボを心得た雄弁な指揮に、マルティノンの共感ぶりがうかがわれよう。因みに「われらの時代の音楽」と題された当ボックス、ほかにマニュエル・ロザンタル指揮でメシアンの「クロノクロミー」、ロスバウト指揮でクセナキスの「メタスタシス」、ベリオの「シンフォニア」自作自演が聴けるという、ちょっと凄い内容である。
"Trois ballets comtemporains/ Georges Prêtre"
プーランク: バレエ組曲《牝鹿》
ミヨー: バレエ音楽《世界の創造》
デュティユー: バレエ音楽《狼》
ジョルジュ・プレートル指揮
パリ音楽院管弦楽団1961年9月18, 25, 26日、10月17日、パリ、サル・ヴァグラム
EMIミュージック・ジャパン TOCE-16030 (2012)
→アルバム・カヴァー殿(しんがり)はこれ。高校生の時分ぞっこん惚れ込んだ我が懐かしの一枚である。若獅子時代のジョルジュ・プレートルがパリ音楽院管弦楽団を振って「同時代バレエ」三曲を収めた歴史的名盤。収録当時まだプーランクもミヨーも存命中だったから「同時代バレエ」の看板に偽りはない。小生はプーランクの《牝鹿》が大好きだったから、一も二もなく本盤に飛びついた(1970年パリ管弦楽団と来日した指揮者にサインまで頂戴した)。それから何度となくCDでも再発されたが、元LPと同じマリー・ローランサンの装画(バレエ・リュス初演時の衣装デザイン)ごと再現されたのは、世界中でこの2012年の覆刻盤だけなので珍重すべし。
それにしても三題噺さながら秀逸なプログラム編成だ。プーランクとミヨーの相性の良さは勿論だが、「牝鹿」と「狼」を取りあわせるとは、余程の智慧者が当時のパテ=マルコニ(仏EMI)制作部には居たのだろう。プレートルとデュティユーとでは接点がほとんどなかった筈だが、潑溂たる《狼》の演奏は半世紀経っても一向に古びない。初めて作曲家デュティユー(LPの表記は「デュティーユ」だったが)の存在を知った、小生にとっては殊更に忘れがたい演奏である。