ピエール・ブーレーズが亡くなった。昨年の卒壽の祝いで目にした写真が急に老け込んだ感じがして、彼も不老不死ではないのだ、と当たり前の感慨を抱いたものだが、それから一年もしないで訃報が届いた。つい昨夜のことだ。巨星墜つとはまさしくこれである。
ブーレーズと云えば条件反射さながら、札幌に住む美術館員の佐藤幸宏さんを思い出す。なにしろ無類のブーレーズ狂だからだ。幸宏さんはもっぱら指揮者としてのブーレーズに深く帰依しているらしく、正規・海賊盤を問わず、その膨大な録音をリストアップし、完全蒐集を目指している。
その幸宏さんが「八方手を尽くせど、どうしても手に入らない、飛び切りの稀覯盤」と呼ぶ二枚組LP(仏Decca)がある。
ブーレーズは若い頃、ジャン=ルイ・バローの劇団「コンパニー・ルノー=バロー」の座付音楽監督としての下積み時代(
→バローとブーレーズ、1959/バローの賛同を得て劇場で開始されたのが「ドメーヌ・ミュジカル」演奏会である)があったのだが、その時期(1954)彼が録音したダリユス・ミヨーの大作《クリストフ・コロン Christophe Colomb》がそれである。随所に台詞が入る典型的な劇伴音楽であり、当時のブーレーズの仕事ぶりが彷彿とする。決して面白い聴きものではないが、彼が「フランス六人組」の楽曲を録音した例は他になく、その意味でも貴重な唯一無二の歴史的ドキュマンなのだ。
小生はこの二枚組LPをかつて架蔵していた。中古盤のカタログで目にし、パリから取り寄せたものだ。ただし実際に針を落としたのは二、三回に留まる。
その話を幸宏さんにちらとしたら、彼の目の色が俄かに一変した。それこそ垂涎のレコードなので一度ぜひ聴いてみたい、貸してもらえないか、と懇願された。その熱を帯びた口調に気おされる思いがした。
最早こうなったら万事休す、ほどなく《クリストフ・コロン》の譲渡が決まった。そもそも、かかるブーレーズ稀覯盤を小生が所有すること自体おかしいのだ。爾来このLPは札幌の佐藤コレクションに加えられて今日に至る(のだと拝察する)。
その幸宏さんの情熱に較ぶべくもなく、小生のブーレーズ盤歴は十人並の平凡極まるものだ。熱心に聴きこんだのはクリーヴランドとの《春の祭典》、BBCとの《火の鳥》組曲、NYフィルとの《ペトルーシュカ》、コヴェントガーデン一座を率いた《ペレアスとメリザンド》全曲、ニュー・フィルハーモニアとの《海》と《牧神》と《遊戯》といったところだ。あとは自作自演で《プリ・スロン・プリ》位か。すべて1970年代、古く懐かしきLP期の聴取体験である(米Columbia録音)。
どれもが途轍もない演奏なのは小生にだってわかる。精密さが比較を絶している。耳の良さが半端でないのだ。こちらの目(耳)から鱗が何枚も剥がれ落ちた。
生演奏に接したのはずっと後年に三度だけ。パリとロンドンと東京とで一回ずつ。備忘録風に細目を記しておこうか。
2001年1月19日、パリ、シャトレ座
シェーンベルク: 月に浮かれたピエロ
バルトーク: 二つの肖像+支那の不思議な官吏
シュプレヒシュティンメ/クリスティーネ・シェーファー
アンサンブル・アンテルコンタンポラン
パリ管弦楽団2003年4月24日、東京、オペラシティ・コンサートホール
バルトーク: 弦楽のための嬉遊曲
武満徹: ユーカリプス I
ブーレーズ: メサジェスキス
ラヴェル: シェエラザード
メシアン: 七つの俳諧
フルート/ヴォルフガング・シュルツ
オーボエ/フランソワ・ルルー
ハープ/吉野直子
チェロ/ジャン=ギアン・ケラス
メゾソプラノ/アンネ・ゾフィー・フォン・オッター
ピアノ/ピエール=ロラン・エマールグスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団2008年5月11日、ロンドン、バービカン・ホール
シェーンベルク: 幸福な手
マティアス・ピンチャー: オシリス (英国初演)
バルトーク: 青髭公の城
バス/ペーター・フリート
メゾソプラノ/ミシェル・デ・ヤング
ロンドン交響楽団
BBCシンガーズ (
→当日のレヴュー)
どのプログラムも一目でブーレーズとわかる、考え抜かれた番組編成。偶然だがすべてバルトークを含むのも彼らしい。
ブーレーズが武満を振る珍しい機会に東京で遭遇できたのは僥倖だった。終演後、たまたま上京して聴きにきていた幸宏さんと落ち合い、言葉にならない感動をこもごも分ち合ったのを思い出した。心からご冥福を祈る。あんな凄い音楽家にはもう二度と巡り合えないだろう。