(承前)
初出音源のルーセルの第三交響曲に耳目を奪われ、横道に逸れてしまった。再び本題であるマルティノンのエラート録音に戻って、1970年秋のセッションから。
CD5)
プーランク:
田園の奏楽
クラヴサン/ロベール・ヴェロン=ラクロワ
ジャン・マルティノン指揮
フランス放送国立管弦楽団1970年9月14~17, 24, 25日、パリ、ラディオ・フランス、スタジオ103
CD4)
プーランク:
オルガン、弦楽、ティンパニのための協奏曲
オルガン/マリー=クレール・アラン
ジャン・マルティノン指揮フランス放送国立管弦楽団1970年9月24, 25日、パリ、ラディオ・フランス、スタジオ103
→オリジナルLPCD6)
サン=サーンス:
交響曲 第三番*
交響詩「死の舞踏」
交響詩「オンファレの紡ぎ車」
オルガン/マリー=クレール・アラン*
ジャン・マルティノン指揮
フランス放送国立管弦楽団1970年9月、パリ、ラディオ・フランス、スタジオ104
→オリジナルLPfrom Erato 0825646154975 (2015, 14CDs)
エラートのマルティノン選集の愉しみは、彼が得意とした近代フランス音楽をまとめて聴ける点にあるが、同時に当時のエラート・レーベルが擁した錚々たる仏人ソリストとの初顔合わせも大きな魅力だった。すでにフルートの
ジャン=ピエール・ランパル(ハチャトゥリヤンの協奏曲)、ハープの
リリー・ラスキーヌ(ピエルネの小協奏曲)との共演が実現していたが、いよいよ満を持して大御所の
マリー=クレール・アランと
ロベール・ヴェロン=ラクロワの登場である。
マルティノンにとってプーランクはちょっと珍しいレペルトワールではないか。生前の作曲家と特に緊密な付き合いがあったという話も聴かない。このプーランク・アルバムは、偏えにオルガンのアラン、チェンバロのヴェロン=ラクロワとの共演を可能にするための「器」として構想されたものだろう。
久しぶりに聴いて、オルガン協奏曲の堂々たる風格にしたたか打たれる思いだ。とりわけアランのオルガンの峻厳な響きは只者でない。マルティノンの重厚で生真面目な伴奏ぶりも頗る好もしい。この曲にはモーリス・デュリュフレ/ジョルジュ・プレートル(&オルケストル・ナシオナル)の規範的な名盤(1961年に作曲者立ち会いで収録)が先行しており、察するにアラン/マルティノンもそれに負けじと眦を決して臨んだのではないか。パリの放送局スタジオ備えつけのオルガン(1965年のMüller製)は必ずしもアランの意に沿った選択でなかったかもしれないが、恐らく彼女は最善を尽くしている。
当代随一のクラヴシニストとしてのヴェロン=ラクロワの盛名を憶えている人はもう少ないだろう。モダン・チェンバロによるバロック解釈の全盛期を築いた彼の奏法も音色も、もはや過去のものとして誰ひとり見向きもしない。とはいうものの、ファリャ、プーランク、マルチヌーなど、この楽器のために新作を提供した20世紀の作曲家も少なくなく、「田園の奏楽 Concert champêtre」のような楽曲では彼の人工的で喧しい音色が却って強みになる。行き届いたマルティノンの伴奏指揮と相俟って、これは捨てがたい佳演と呼びうるものだ。
そしてサン=サーンスの「オルガン付」交響曲。プーランクの二曲と同時期に相前後して収録されたのは、同じマリー=クレール・アランの登場を仰ぐ関係からだろう。ただし収録場所は同じラディオ・フランスの、より大きな「スタジオ104」のほう。ここにもオルガンが備え付けてあり、1967年製作の "Orgue Gonzalez" という。アランのオルガンは気品と滋味を漂わせてさすが。
LP時代以来ひどく久しぶりに聴くこの演奏、昔ながらのフランス楽団らしい繊細な音色が聴けるのも貴重だが、マルティノンの意図が無理なく形になった雄渾にして壮麗な秀演だと感じ入った。彼はこの五年後の1975年にサン=サーンスの交響曲全集をEMIのために収録し、その際に同曲を再録音している(オルガン/ベルナール・ガヴォティ)が、小生は断然この旧録音のほうこそを好む。