承前)
先のフランクに続けて聴くのはその一年後、1969年12月に集中的になされたセッションから。録音の日付を追いながら順番にかけてみよう。
CD3)
ルーセル:
《アイネイアス》 作品54
ジャン・マルティノン指揮
フランス放送国立管弦楽団
ORTF合唱アンサンブル1969年12月11~12日、パリ、ラディオ・フランス、スタジオ104
→オリジナルLPCD2)
ルーセル:
交響曲 第二番
春の祭りのために 作品22
ジャン・マルティノン指揮
フランス放送国立管弦楽団1969年12月13, 15, 17日、パリ、ラディオ・フランス、スタジオ103
→オリジナルLPCD5)
ランドフスキ:
交響曲 第二番
ジャン・マルティノン指揮
フランス放送国立管弦楽団1969年12月16日、パリ、ラディオ・フランス、スタジオ103
→オリジナルLPCD1)
ルーセル:
《バッカスとアリアドネ》組曲 第一番、第二番
ジャン・マルティノン指揮
フランス放送国立管弦楽団1969年12月19, 20日、パリ、ラディオ・フランス、スタジオ103
→オリジナルLPfrom Erato 0825646154975 (2015, 14CDs)
年代順に聴き始めてまず吃驚したのは録音セッションの集中ぶり。1969年12月11日から20日までの十日間、ほぼ連日ぶっ通しでLP三枚半の収録を行っている。しかもその大半(三枚分)がアルベール・ルーセルの楽曲である。
云うまでもないが、ルーセルはマルティノンの作曲での師匠であり、恩師の作品の録音に彼は早くから熱心だった。1950年代前半に当時の手兵ラムルー管弦楽団を率いて《蜘蛛の饗宴》組曲(1953)と《バキュスとアリアーヌ》第一・第二組曲(1954)、シカゴ時代にも初録音で《バキュスとアリアーヌ》第二組曲(1964)といった塩梅だ。十八番のレペルトワールといってよかろう。そういえば1963年の来日時にもNHK交響楽団を振って《蜘蛛の饗宴》を披露している。
そのマルティノンがフランス放送国立管弦楽団との二年目のシーズンに、堰を切ったようにルーセル録音を開始したのは当然の成り行きだろう。同時にそれは前年に急逝した指揮での恩師シャルル・ミュンシュの衣鉢を継ごうとする意志の表れとみてよい。周知のとおりミュンシュはルーセルの熱烈な支持者であり、終生その音楽を繰り返し指揮し、秀逸な録音を残した功労者だった。
そのミュンシュが晩年、パリのラムルー管弦楽団を指揮してルーセルの代表作である第三・第四交響曲と「ヘ調の組曲」を同じエラート・レーベルに録音している(1965年)。マルティノンが新たにルーセルを収録する際、人口に膾炙したそれらの作品をあえて外し、声楽入りの知られざる大作《エネアス》や、地味で晦渋な第二交響曲と「春の祭りのために」(以上三作品はこれが世界初録音か)を率先して手がけたのは、四年前のミュンシュ録音との重複を避けた結果だと想像される。
これらマルティノンのルーセルを小生はLP時代に擦り切れるほど聴いた。とりわけ《バキュスとアリアーヌ》は一連のエラート録音の嚆矢として、日本盤では最初に発売された(1970年11月、日本コロムビア)ので格別に懐かしい。
《エネアス》は日本盤がなかなか出ず、痺れを切らして銀座の山野楽器で高価な輸入盤を手にしたものだから、ひときわ思い出深い。曲の終盤近くでローマ人の合唱が「エネアス! エネアス!」と呼ばわるところが目覚ましく、聴くたびに震えがきたものだ。四十分の大曲を少しの弛緩もなく、骨太にドラマティックに描き出すマルティノンの手腕には、四十五年後の今でもうっとり聴き惚れてしまう。
(ランドフスキの交響曲については稿を改めて紹介したい。)