昨今の大手レコード会社のCDボックスセットは投げ売り同然の安売りである。これまで時間をかけてコツコツ集めてきた愛好家には「今更なんだよ」と鼻白む現象だが、それでも鍾愛の演奏家だから無視できない。今年はジャン・マルティノンの十四枚組が出た。それもエラートとEMI録音を集大成した劃期的なエディション。手に取らずにいられようか。
今秋早々と入手し、折にふれて拾い聴きしてきたが、改めてエラート録音を年代順にかけてみようかと思い立った。今年が終わらぬうちに。
CD7)
フランク:
交響曲
交響変奏曲*
ジャン・マルティノン指揮
フランス放送国立管弦楽団
ピアノ/フィリップ・アントルモン1968年12月22,23日、パリ、ラディオ・フランス、スタジオ103
→オリジナルLPfrom Erato 0825646154975 (2015, 14CDs)
→ボックス外箱 1963年にフリッツ・ライナーの後釜として鳴り物入りでシカゴ交響楽団の常任指揮者に就いたマルティノンは、楽団員との軋轢や批評家からの攻撃に遭って不本意な苦渋の日々を余儀なくされた。いくつかの注目すべき録音をRCAに残しはしたものの、彼自身にとっては思い出したくない暗黒時代だったようだ。
不遇をかこっていたマルティノンに救いの手を差し伸べたのはパリの放送局オーケストラだった。戦前デジレ=エミール・アンゲルブレシュトが創設したフランス放送国立管弦楽団(Orchestre national de la radiodiffusion Française)、通称「オルケストル・ナシオナル」は、1958年のアンゲルブレシュト歿後、名目上のシェフに作曲家モーリス・ルルーを戴いてはいたが、実質的には老境にあったシャルル・ミュンシュの采配を仰いでいた(66年にはミュンシュ、ルルーと初来日も果たした)。ところが1967年にアンドレ・マルロー文化相の肝煎りで「ベルリン、ウィーンに匹敵する超弩級の」パリ管弦楽団(Orchestre de Paris)が創設され、その初代指揮者としてミュンシュの就任が決まると、オルケストル・ナシオナルの統括責任者が不在となってしまう。
1968年、あと一年シカゴの任期を残していたにもかかわらず、急遽マルティノンがパリに呼び戻された裏には、そうしたパリ楽壇の逼迫した台所事情が絡んでいた。ミュンシュはマルティノンのかつての恩師であり、人選には恐らくミュンシュの強い推輓があったものと想像される。「奴しかいない」と。
このフランク二曲は(小生の知る限り)マルティノンがオルケストル・ナシオナルを振った記念すべき初録音である。このシーズンから就任したばかりだったにもかかわらず、彼の采配はすこぶる的確かつ柔軟。重く晦渋になりがちなフランクの交響曲を自然な起伏とともに無理なく聴かせる。やがて失われてしまう旧来の仏蘭西オーケストラの美しい響きが健在なのが嬉しい。交響変奏曲も規範的な演奏。アントルモンのピアノがやや平板で飛翔感に欠けるものの、マルティノンの指揮の雄弁さといったら比類がない。LP時代にもさんざん親しんだ演奏だが、これほどの名演とは不覚にも気づかなんだ。
今ふと気づいたのだが、これらの録音がなされた1968年12月といえば、ミュンシュ翁がパリ管弦楽団との米国楽旅のさなか壮絶な死を遂げた(同年11月6日)わずか一か月後である。マルティノンにとっても、オルケストル・ナシオナルにとっても、巨匠の突然の死は言葉に尽くせぬ衝撃と動揺をもたらしたと推察されよう。フランクの交響曲はそのミュンシュが十八番としていた曲のひとつであり、同楽団を率いて前年のモントリオール万国博に赴き、同曲で共演したばかりだった。その生々しい記憶を胸に、暗黙裡に追悼の想いをこめて彼らは録音に臨んだのではないか──そう想像してもあながち間違いではないと思う。