師走だからというわけではないのだが週末はやけに忙しかった。木・金・土曜と続けざまに外出し、三日とも夜更けて帰宅。さすがにくたびれ果てて今日は在宅してゆっくり静養。以下はごく簡略な備忘録ふうに。
12月17日(木)
都合がつくのがこの晩しかないので、夕刻に日本橋室町へ向かう。家人は風邪気味だというから単身で上京。地下の豚カツ屋で腹拵えをしたあと上階のTOHOシネマズ日本橋で「英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2015/16」の《フィガロの結婚》を観た。10月5日に現地収録された実況映像を一週間だけ公開する催しで、上映は午後七時からの一回のみ。終映時刻は午後十一時を回ってしまうので客席はまばら、二十人はいなかったと思う。だが意を決して観に来てよかった。デイヴィッド・マクヴィカーの演出は丁寧で正統的、登場人物の心理を心憎いまでに造形する。モーツァルトの音楽との親和性が素晴らしい。フィガロ(アーウィン・シュロット)、伯爵(ステファーヌ・ドグー)がいずれ劣らず嵌り役で惚れ惚れする。女声陣は些か弱く感じたが、アンサンブル重視の演劇的な舞台だと気にならない。洞察に満ちた演出は90年代にベルリンで観たハリー・クプファー演出の秀逸な舞台を思い起こさせた。観終わって寒気のなか東京駅まで足早に帰路を急いでいたら、コヴェントガーデンから定宿のあるトッテナム・コート・ロードまで歩いて帰った記憶がふと甦った。帰宅は真夜中を大きく過ぎた。
12月18日(金)
五反田駅からほど近い謎のお洒落ビル「東京デザインセンター」。その五階にある「G-Call Clubサロン」という、これまた謎の小さなお洒落スペースへ。ここで七時から聴き逃せないコンサートがある。
題して「高橋悠治&青柳いづみこ レクチャーコンサート 大田黒元雄のサロン・その2 ~ロシア/フランス音楽の夕べ」。この日からきっかり百年前の1915年12月18日、大森の大田黒邸で私的な演奏会「ピアノの夕」の第一回が催されたのを記念する催しだという。大田黒は小生の長きにわたる関心対象だから、この機会を逸すべからず。プログラムは1915年から16年にかけて大田黒が実際に弾いた曲目のみで以下のように構成される。
スクリャービン:
前奏曲 作品11-15
前奏曲 作品33-1, 2, 3
ラフマニノフ:
前奏曲 作品3-2
レビコフ Владимир Иванович Ребиков:
組曲「夢」より ナイアス/悪童が遊ぶ/牧神
ゴダール Benjamin Godard:
牧神 作品50-2 *以上、青柳いづみこ演奏
フローラン・シュミット:
「夜」より 牧歌(エグローグ)/波の上
ルネ=バトン Rhené-Baton:
ブルターニュにて 作品13 より サン=ナゼールの入江の夏の黄昏
★
プロコフィエフ:
束の間の幻影 (全二十曲) *以上、高橋悠治演奏
ドビュッシー:
小組曲 *連弾
(アンコール)
ラヴェル:
組曲「マ・メール・ロワ」より 美女と野獣の対話 *連弾
いやはや凝りに凝った選曲である。レビコフ、ゴダール、ルネ=バトンなど百年ぶりの蘇演ではなかろうか。大正初年にこれらの楽譜を手に入れ日本初演した大田黒の先見性が偲ばれよう。なにしろまだドビュッシーは存命中なのだ。
忘れずに附言すると、プロコフィエフの「束の間の幻影」は1918年夏の来日時に彼が弾いた演目(抜粋して演奏)。客席にはもちろん大田黒がいた。高橋悠治さんが弾くプロコフィエフを耳にする日が来ようとは想像もしなかった。しかも客席わずか五十の小スペース。一メートルの至近距離で聴けるとはまさしく夢のよう。青柳さんもスクリャービンやラフマニノフを取り上げるのはこれが初体験という。アンコールのラヴェルは大田黒邸でプロコフィエフが遊びで弾いて聴かせたという故事に因んだというから、どこまでも手がこんだ選曲なのである。
折角の機会なので仕上がったばかりの拙稿「大田黒元雄の観た露西亜舞踊」を青柳さんに進呈。未読だったご著書『グレン・グールド 未来のピアニスト』文庫版にサインを頂戴した。悠治さんからは少年時代に師事した小倉朗の思い出を少しだけうかがった。師走の金曜日の夜更けとて帰りの山手線は鮨詰めの満員。帰宅は疾うに午前一時を回った。
12月19日(土)
昨日一昨日の疲れが溜まっているが頑張って上京。御茶ノ水で野暮用を済ませてから早稲田大学の十六号館へ。参加自由の「桑野塾」、今日のお題は「
ロシアのジャポニズム ── 2つの「ミカド」をめぐって」。午後三時から。
まず主宰者の大島幹雄さんが「スタニスラフスキイと日本の軽業師」について話す。1886年モスクワで音楽劇《ミカド》上演時にスタニスラフスキーに日本風俗を教え、生活まで共にしたという謎の軽業師「シオタロウ」の正体を追う考察。まだ道半ばだが興味深い探索だ。後半は早稲田大の斎藤慶子さんという若手研究者が「19世紀末のロシア・バレエにおける日本文化受容」と題して発表。日本に取材した三つのバレエ、《ダイタ》(1896初演、ボリショイ劇場)、《ミカドの娘》(1897初演、マリインスキー劇場)、《月から日本へ》(1900初演、ミハイロフスキー劇場)に関する執念の追究である。未知の情報が膨大に詰まった内容に誰もが驚いたと思う。未整理で荒削りなところも多々あるが、いずれ本にまとめたら凄いだろう。いやはや、歴史とはわれわれの知らないことの宝庫なのだ。
参加者が二十五名もいて吃驚したが、そのあと忘年会を兼ねた呑み会にはいつもの常連が十人きりで拍子抜け。ここでも会の主要メンバーに拙稿の抜刷コピーを進呈。昨秋の桑野塾での発表が原稿執筆の端緒となったのだから御礼の意味を籠めたつもり。いつもより早めに散会後は口々に「よいお年を」と云いあって左右に分かれた。今年もいよいよあと僅かなのだ。帰宅はそれでも十一時過ぎ。