いやはや驚くべきプロコフィエフ演奏記録が姿を現した。こんな音源が残されていたとは誰ひとり知らなかったから、驚きも歓びもまた一入である。一日でも早く耳にしたいと発売を待ち望んでいた。この9日には店頭に並んだらしいが、手違いがあって手許に届くのが遅れてしまった。
《潮田益子/プロコフィエフ&ストラヴィンスキー》
プロコフィエフ:
ヴァイオリン協奏曲 第二番*
ストラヴィンスキー:
《ミューズたちを率いるアポロ》(潮田益子編)**
ドゥオ・コンチェルタンテ***
ヴァイオリン/潮田益子
斎藤秀雄 指揮
桐朋学園オーケストラ*
ヴァイオリン/潮田益子、ヨアナ・クルコヴィッチ
ヴィオラ/ディミトリー・ムラト、セアラ・ダーリング
チェロ/ナターシャ・ブロフスキー、ローレンス・レッサー
コントラバス/ドナルド・パルマ**
ピアノ/スティーヴン・ドルーリー***1959年4月29日、東京、目黒公会堂(実況)*
2011年6月**、2012年8月***、ボストン、
ニュー・イングランド音楽院、ジョーダン・ホール
フォンテック fontec FOCD 9696 (2015)
→アルバム・カヴァー冒頭に収録されたプロコフィエフの第二ヴァイオリン協奏曲が何より重要である。これは日本人を独奏者とする同曲の数少ないディスク──管見の限り、他は竹澤恭子(1990)、神尾真由子(2010)、庄司紗矢香(2014)の三種しかない──の嚆矢となる貴重な録音であり、上述の三人が申し合わせたように外人指揮者&海外楽団との共演であるのに対し、純然たる日本人のみによる演奏記録である点も見逃せない。期せずして女性提琴家ばかり録音しているのは偶然か。
当時の潮田益子は芳紀十七歳、在学中の桐朋学園の仲間たち、そして恩師である斎藤秀雄がタクトを執る歴史的な演奏会の実況録音だ。半世紀以上もの間よくぞテープが保存されていたものである。当CDには明記されていないが、どうやらご本人が永く手元に秘蔵し、彼女の歿後ようやく陽の目を見たものらしい。
無論モノーラル収録であるが音像は申し分なく明瞭で、潮田の確信に満ちた独奏が一点の陰りもなく生々しく捉えられている。それから伴奏の学生オケの弦楽アンサンブルの優秀さ、管楽器ソロの無骨さまでも。斎藤秀雄の指揮は正確だがリズムが重く、プロコフィエフ解釈としては生真面目に過ぎるだろう。終楽章の畳みかけるような迫力には息を呑むが。最後は聴衆の拍手まで収録されている。
本演奏記録がことのほか重要に思えるのは、その収録年月日(1959年4月29日)故である。従来のプロコフィエフ文献に拠れば、第二ヴァイオリン協奏曲の日本初演は1962年のこととされてきた。
1962年3月29日、東京文化会館
《日本フィルハーモニー交響楽団 第41回定期演奏会》
ハイドン: 交響曲 第百四番
プロコフィエフ: ヴァイオリン協奏曲 第二番 (日本初演)
ドヴォジャーク: 交響曲 第七番
ヴァイオリン/小林健次
指揮/渡邊暁雄小生は未見だが当日の演奏会プログラムに「日本初演」とあり、爾来これを鵜呑みにした者たちが無批判に踏襲し、そう記述してきた。ところが今回の実況録音の登場により、定説はいともあっさり覆されてしまった。わが国のプロコフィエフ受容史研究(というものがあるとして)はその程度のものなのだ。
浅学菲才の貧書生は、ここに刻まれた演奏こそがプロコフィエフの第二協奏曲の日本初演であると断ずる証拠を持ち合わせていない。
桐朋学園オーケストラは1955年、桐朋学園短期大学の創設後ほどなく結成され、59年からは定期演奏会に番号付けがなされている由。その記念すべき「第七回」が同年4月27日に日比谷公会堂で開催されている(出典=桐朋学園 音楽部門HP)。これは本CDのプロコフィエフ収録日のわずか二日前であり、察するにこの4月27日にも潮田の独奏で29日と同じプログラムが奏されたのではないか。直後の5月3日に大阪毎日ホールで催された「大阪芸術祭出演 桐朋学園オーケストラ演奏会」もそうだった可能性が高い。このあたりは桐朋のアーカイヴに残された資料を精査するほか確かめる手段はないだろう。
いずれにせよ、作曲者の歿後わずか六年目という早い時期に、学生奏者と学生オーケストラが在京職業楽団に先んじて未踏の協奏曲に果敢に挑んだ事実は動かない。その瑞々しい演奏記録がこうして世に出たことを、「プロコフィエフと日本」を切実な関心領域とする小生はこのうえない慶事と受け止めた次第である。プロコフィエフを愛するすべての人々に一聴をお薦めする。