昨日の神奈川県立近代美術館 鎌倉「カマキン」に引き続き、今日は佐倉のDIC川村記念美術館「カワムラ」を訪れた。彼方が幾星霜を経た六十四歳の好々爺なら、此方も二十五歳、経験を積んで貫禄の出た壮年に擬えるべきか。
ここ「カワムラ」では五月からこのかた特別展「絵の住処(すみか)──作品が暮らす11の部屋」をずっと開催している。展示されているのはすべて同館の収蔵作品のみ。平たく云えば常設展示とも看做されかねない内容だ。告知チラシには一言もそう明記されないが、この展示は1990年創設の同館二十五周年を記念する企てと察せられる。その点で、昨日「カマキン」で観た「鎌倉からはじまった。」展が同様にすべて収蔵作品からなるのと好一対をなすものだ。
「カワムラ」は開館五周年に
モネと
マーク・ロスコ、十周年に
ルノワール(正確には九年目だが)、そしてデュッセルドルフから傑作群を招来した20世紀回顧「
美の扉」展、十五周年には
ゲルハルト・リヒター、ニ十周年には
バーネット・ニューマンと
ジョゼフ・コーネル・・・と、節目の年ごとに必ず力の入った重要な展覧会を開催してきた。それが四半世紀を壽ぐべき記念年に、人々の耳目を集める派手やかな展覧会ではなく、通年で収蔵作品展とはいかにも地味で内向きだし、不甲斐ない体たらくではないか──そう即断する向きもあるいはおられよう。
この展示には九月にも接しており、そのときにも否応なく感じたのは、これが二十五年前の開館当初を強く想起させるという実感である。1990年5月からの一年間、「カワムラ」は開館を記念して、全展示室を所蔵コレクションで埋め尽くした。文字どおり「お披露目」興行を催したのだ。だから今回の展示はいわば原点回帰であり、二十五年前の企てのリメイクにほかならないのである。
四半世紀を隔てる二つの全館展示は、並べられた作品に関する限り、ほとんど違いがない。今ここで観る川村コレクションは1980年代までにほぼ蒐集が完了しており、今回の「絵の住処」展の出品作のうち、当時まだ未収蔵だったものといえば藤田嗣治の肖像画、橋本関雪の屏風、ロバート・ライマンの白い絵、ロイ・リクテンスタインの大作版画、あとはフランク・ステラの二、三点に限られる筈だ。レンブラントもモネもルノワールも、カンディンスキーもマレーヴィチもシュヴィッタースもエルンストも、コーネルの七つの箱も、ロスコの「シーグラム壁画」七点も、開館時すでにちゃんと鎮座していた。「カワムラ」は初めから「カワムラ」だった。
にもかかわらず、今回はすべてが違う。個々の作品の見え方が、館内に漂う雰囲気が、展示全体が醸す佇まいが、何から何まで異なっているのだ。二十五年前の展示に携わった者がそう断ずるのだから、間違いない事実だと信じてほしい。
この度の展示のセクション分け(部屋割)は恐ろしく明快でシンプルである。
01. ヨーロッパ近代絵画の部屋 (101展示室)
02. レンブラント・ファン・レインの部屋 (102展示室)
03. 彫刻の部屋 (103展示室)
04. 日本画の部屋 (110展示室)
05. 前衛美術の部屋 (104展示室)
06. ジョゼフ・コーネルの部屋 (105展示室)
07. マーク・ロスコの部屋 (106展示室)
08. 抽象表現主義の部屋 (200展示室)
09. フランク・ステラの部屋 (201展示室)
10. 絵画の部屋 (202展示室)
11. 企画展の部屋 (203展示室)
あまりにオーソドックスで普通すぎて「なんだ、いつものカワムラの常設展示とまるきり同じぢゃないか」と早合点される向きもあろう。まあ、それも半面の真理である。そもそも告知チラシにはこうある。
DIC川村記念美術館の展示室には、雰囲気の異なる11の部屋があります。所蔵作品にあわせ、大きさや意匠を変え設計したためです。[中略]こうしたオーダーメイドの展示空間は、作品の魅力を十分に引き出し、見る人と作品を緩やかに結び合わせる最適な場となっています。本展では各展示室を巡りながら、あらためて作品と空間のしなやかな関係に注目します。所蔵作品に合わせて設計された「オーダーメイドの展示空間」──ここに記された特色と理念は、二十五年前の開館時すでに説かれていたところだ。「カワムラ」の建物に初めから備わっていた既定条件であり、今さら新たに特筆するまでもない周知の資質といってよい。
今回の展示に即して補足するならば、最初の「01.」(101展示室)は開館時からモネ、ルノワール、ボナール、ピカソなどを並べる部屋であり、天井高や壁の大きさはシャガールの大作に合わせて誂えられたものだ。次の「02.」(102展示室)も、もともとレンブラント一点のための小空間、大きな硝子ケースが据え付けられた「04.」(110展示室)は当初から日本画専用だし、二階の「09.」はステラの壁付けレリーフの大作群がずらり並ぶのを想定した体育館のような大空間だ。開館した1990年に存在しなかったのは、2008年リニューアル時に増築された「07.」「08.」「11.」くらいだろう。この拡張工事により「カワムラ」の床面積は一倍半に拡がったが、作品と展示空間との対応関係は往時とほとんど変わっていない。
並べられた作品もほぼ同一、展示室もさしたる変更がないとなると、会場で小生が受けた第一印象──すべてが違う。個々の作品の見え方が、館内に漂う雰囲気が、展示全体が醸す佇まいが──は、一体どこに起因しているのだろう?
その答えは唯ひとつ。展示する側、すなわち担当学芸員の「眼」の成熟──どの作品をどの部屋のどこに、いかに配置すべきか、それがもたらす効果をすべて熟知しているという一事に尽きるだろう。二十五年間の試行錯誤の果てに辿り着いた「究極の常設展示」というべきか。
最初の「ヨーロッパ近代美術の部屋」ではあまり顕著ではないかもしれないが、次の「レンブラントの部屋」(
→ここ)で四囲の壁が煉瓦色に塗られているのを見て「おゝ」と声をあげる。ここは元々この絵《広つば帽を被った男》のための小部屋なのだが、壁色の変更のもたらす効果は絶大だ。空間がいつも以上に年ふりて感じられて居心地がよく、絵がしっくり馴染んでいて、まるで描かれた三百年前からずっとここに架かっているかのよう。
展示の工夫が誰の目にも明らかなのは、少し先の「05.」の「前衛美術の部屋」だろう(
→ここ)。グレーに塗られた部屋(この色は当初のものだ)に、スプレマチズムもダダイスムもシュルレアリスムも区別なく、ひたすら「じっくり眺められる不思議」としてそこにある。エルンスト作品はもともと実際のドア(ポール・エリュアール家の間仕切り扉)だった故事を問わず語りに踏まえて、部屋の中央に立体的に設置される。マン・レイの人を喰ったオブジェ群は、そのウィッティで軽やかな精神を偲ぶかのように、高低差をつけてリズミカルに配される。シュヴィッタースが亡命先で手がけた小品彫刻群は、それらが発する小声のメッセージが聞き取れるよう、硝子を取り払った壁龕にひっそりと並ぶ。なんという素晴らしい作品群だろう。そして、なんという繊細な熟慮を伴った展示だろう。この部屋に佇むだけでも、この美術館にやって来た甲斐があるというものだ。
深く感嘆の溜息を洩らしたのは、次の「06.」すなわち「ジョゼフ・コーネルの部屋」だった。「カワムラ」のコーネル蒐集(七つの箱と九つのコラージュ)が逸品揃いなのは夙に知られており、先年の「ジョゼフ・コーネル×高橋睦郎──箱宇宙を讃えて」展(2010)でも凝りに凝った全点展示がなされたのは記憶に新しいところだが、今回の全点展示はそれとも趣を異にし、もっと自在で融通無碍でノンシャランな、しかも周到な配慮を潜ませたインスタレーションを達成した。
この突き当たりの小部屋(旧ロスコ・ルームの一部)は本展の白眉だ。奥の壁には三段の棚が設えられ、そこに絶妙な配置で箱作品とコラージュが混在して置かれる(
→ここ)。これを一瞥した小生は思わず「まるでコーネル自身のアトリエみたいぢゃないか!」とひとりごちた(
→生前のアトリエ風景)。
ここにはアトリエの雑然たる雰囲気こそないものの、箱とコラージュがそこら中に散在し、同じ空間のなかで息づき共振するさまがよく似ていると直覚したのだ。傍らにはオルゴールを内蔵した《ピアノ》(
→これ)なる箱作品がさりげなく置かれ、そこからモーツァルトの可憐な調べが微かに聴こえるのも床しい。フラジャイルなコーネルの箱をアクリルの展示ケースから解放し、たまたまそこにあるかの如く、私たちと同じ部屋の空気を呼吸させたところに、この親密なインスタレーションの妙諦があるのだろう。何という居心地の良さ! ついさっきまでコーネル本人がいたかのよう。ずっとこのまま部屋に留まっていたいと希ったほどだ。
・・・とまあ、いちいち紹介していたらキリがないほどに「カワムラ」の「絵の住処」展は見どころ満載である。すべての部屋が見どころだといっても過言でない。
これから訪れる人たちから驚きを奪うのは本意でないので、これ以上の言及は慎もう。小生はこのほか、「03.」の「彫刻の部屋」、「10.」の「絵画の部屋」における意表をついた展示法に目を瞠り、思わず快哉を叫んだとのみ記しておこう。
かつてこの館に十五年も奉職し、どの作品もさんざん見馴れた者にとってさえ、否、むしろ、そのような小生だからこそ、今回の展示はそれぞれの作品の良さ、かけがえなさを強く実感させられた。部屋の空間との親和性は申し分なく、これまでここで観たどんな機会をも凌駕していた。
この企てを成功させたのは、むろん担当学芸員の優れた見識と感性の賜物だろうが、そこには永年にわたり粒よりの所蔵作品を自前の空間に展示し続けてきた四半世紀分の経験の蓄積が大きく奏功していよう。二十五年を経た揺るぎない自信と成熟、誇りかな矜持が館内のあらゆる隅々にまで漲っているように感じられた。こんな美術館はほかに滅多にないと思う。少なくともこの貧しい島国には。
今回の企てには惜しまれる瑕瑾がある。階段を上がって最初の部屋──その一室だけ展示が明らかに破綻していて、画龍点睛を欠くの印象が否めないのだ。云うまでもなく「08.」の「抽象表現主義の部屋」がそれである。
ここには戦後アメリカの抽象表現主義の作家たち、すなわちジャクソン・ポロック、アド・ラインハート、デイヴィッド・スミスの優品が陳列されているのだが、展示室の広さや壁面の形状と展示作品とがちぐはぐで、作品同士のサイズや布置の呼応関係も弱く、他の部屋に較べて格段に見劣りする。
そうなった理由は明らかである。この展示室(200展示室)は2008年の増築時、すぐ下の「ロスコ・ルーム」と対をなす形で「ニューマン・ルーム」として入念に設計されたものだ(
→そのときの展示)。ところがリニューアル・オープンのお披露目からわずか五年後の2013年、バーネット・ニューマン畢生の傑作《アンナの光》は売却されてしまい、爾来この部屋は「主なし」となって今日に至る。
どうしてそんな哀れな結末になったのか、部外者にはさっぱり理解しかねる事態であるが、これで(「カワムラ」ではなく)運営母体である親会社は百三億円(!)を取得したと伝えられる。これは購入価格に数倍する巨額であり、経営陣はさぞかしほくそ笑んだだろうが、彼らは愚かにも気づかなかったらしい。売却によって美術愛好家と「カワムラ」ファンの共感と信頼を踏みにじり、心ある理解者を敵に回すことで、売却額に数倍する膨大な損失を会社に与えてしまったのを!
主を失って空き家になった「バーネット・ニューマンの部屋」を「抽象表現主義の部屋」と改名し、ニューマンの盟友たる同時代作家たちの作品を並べる行為は、故人を偲びながら喪失感を噛みしめる「喪の仕事」と称すべきものか。
今回の展示を担当した前田希世子学芸員は2010年に「カワムラ」で日本初の「バーネット・ニューマン展」を実現させた当の本人であり、誰よりも《アンナの光》の真価を身に染みて理解していた人物だ。あれから五年を経て、同じ彼女がこの絵の「終の住処」だったはずの空間に、別の絵を住まわせねばならないとは、なんと皮肉で残酷な悲しい巡り合わせであろう。結果は無惨なものだ。3×6メートルの大作が消えたあとの空白は誰にも埋められないのである。