誰にとってもそうだったろうが、この半月間というもの、喪の哀しみと底知れぬ恐怖と不安とが濃霧のように重く垂れ込め、気持ちが一向に晴れないままだ。どんなディスクをかけても心に安らぎを覚えることができなかった。
そういうときにこそ、縋るべき音楽があったはずだ、と内心の声が告げる。そうだった、あの「祈り」と題されたアルバムこそ、こういうとき聴くに相応しい。
《今井信子 祈り/Nobuko Imai: Blessing》
ヘンデル(細川俊夫編):
私を泣かせてください (2006)
武満徹(細川俊夫編):
ア・ストリング・アラウンド・オータム (2006)*
西村朗:
ヴィオラ独奏のための「鳥の歌」による幻想曲 (2005)
林光:
ヴィオラ協奏曲「悲歌」~ヴィオラと弦楽合奏のための (1995)**
野平一郎:
ヴィオラ・ソロのための「戸外にて」(2003)
バッハ(細川俊夫編):
人よ、汝の罪の大きさを嘆け (2006)*
ヴィオラ/今井信子
ピアノ/ローランド・ポンティネン*
ガーボル・タカーチ=ナジ指揮
ティボール・ヴァルガ高等音楽院・音楽アカデミー管弦楽団**2006年9月21~24日、ラ・ショー・ド・フォン、ルール・ブルー楽堂
2006年9月28、29日、シオン、ティボール・ヴァルガ・スタジオ**
EPSON TYMK-022 (2007)
→アルバム・カヴァー限定盤のような形でひっそり世に出たものだから、ほどなく品切になってしまい、今ではもうこの形では入手できないのは残念なことだ。なぜなら、これこそ数ある今井信子さんのアルバムのうちで最も感動的な一枚だからだ。その素晴らしさはとても筆舌に尽くしがたい。
このアルバムがどのように構想されたか。今井さん自身が長文のライナーノーツで明かしている。2003年の後半、今井さんは身辺に不幸な出来事が相次ぎ、自分ひとりではどうにも解決できずに、「そのストレスが身体に影響を与え、ついには楽器が持てなくなって医者に半年間の休養を命じられた」。そんな事態は演奏家人生で初めてだったから、彼女は不安に苛まれた。
一方で、この予期せざる長期休暇は今井さんにとって「これまでを振り返りこれからを考える貴重な時間となった」という。
演奏家として、これからの時間をどのように過ごすか。天から授かったこの仕事を、どのように全うすべきか。これからの私に課せられた務めは、何なのか。私自身は、次に何がしたいのか。毎日考えた。[中略] 今にして思えば、与えられるべくして与えられた時間だったのかもしれない。
今回のCDも、あのとき考え抜いた中から生まれた。私が次の世代に残したいもの、伝えたいものが、このCDにはこめられている。
一つは、音楽そのもの。幸せなことに、これまでたくさんの作曲家が私のために作品を書いてくださった。とりわけ日本人の作曲家による作品の数々を、埋もれさせることなく確実に次の世代に伝えていきたい。それが初演者としての務めだ。それには、できるだけ多くの作品を音にして残しておきたい。
そしてもう一つ、音楽に憧れる気持ちを若い人たちに伝えること。人生の半ばを過ぎ、苦しかった時間も通り抜けた今、音楽が純粋に楽しい。桐朋で過ごした学生時代とまったく同じ気持ちだ。この曲を弾いてみたい、室内楽を弾きたい、外国に行きたい・・・・・・憧れでいっぱいだったあの頃が、今の私のエネルギーになっている。それを若い人たちと共有したいと思った。
それならば、武満徹さんと林光さんの作品を中心に、スイスで教えているティボール・ヴァルガ音楽院の学生たちと録音しよう。無理なお願いを、プロデューサーの谷亀利之さんはすぐ聞き届けてくださった。そして、関わった全員のエネルギーが一つに凝縮した、奇跡のような録音ができた。
ここに収めたバッハのコラールは、細川俊夫さんがヴィオラとピアノのために編曲してくださったものだ。心が震えるほど美しく、そして悲しい。弾きながら、嵐のような日々に悩んだことがすっと溶けて空の上に昇っていくのを感じた。苦しみと同時に得がたい時間を与えられ、今ここに辿り着いた自分がいる。これが、祈るということなのだろうと思った。あのときの感謝にも似た祈りを、このCDをお聴きくださる皆様に捧げたい。今井さんご自身が「奇跡のような」と述懐するほどの演奏を耳にすれば、誰もがその音楽の深さにうたれ、評すべき言葉を失うに違いない。こういうときはただ一言、とにかくこれを聴くべきだ、とのみ記せば充分かもしれない。
とはいえ、上述のように入手が難しいアルバムなので、まずは今井信子さんのご著書『憧れ』(春秋社、2007/増補版2013)をお求めになり、その附録ミニCDでヘンデル(細川俊夫編) "Lascia ch'io pianga" をお聴きになるがいい。今井さんのヴィオラが肉声さながら「感謝にも似た祈り」を捧げる奇蹟に遭遇できる。
追伸1)
先日(11月28日)今井さんがこのアルバムと同じ武満、バッハ、そしてヘンデルを弾くのを間近に聴いた(彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール)。そして今の彼女が到達した前人未到の境地、紡がれる音楽の途方もない深さに、感動の涙を滂沱と流した。つくづく凄い人だなあ。
追伸2)
どうしても本アルバムをお聴きになりたい方は、スイスの Panclassics レーベルから出ている "Elegia/ Nobuko Imai" (2008
→アルバム・カヴァー)という輸入盤を入手なさるといい。こちらは今も容易に入手可能だろう。収録された演奏は日本盤と全く同一。ただし今井さんのライナーノーツは読むことができない。
追伸3)
わがブログ友である hankichi さんが二年ほど前、今井さんの "Lascia ch'io pianga" について、素晴らしい記事を書かれたのを思い出した。ここに全文を無断で引用するのをどうか許してほしい。
今井信子のヴィオラを、聴いている。ヘンデルの『私を泣かせてください』(Lascia Ch'io Pianga)だ。慈愛に満ち、ため息と、ともに吐かれ、繰り返され、繰り返される。
声を、振り絞るように、むせび泣き、そして、爪弾かれ。
さいごには、声とも、音とも分からぬ、ほどに、擦れ、擦れたその旋律は、人の涙に変わる。
また、品川で降りるのを、忘れて、しまった。田町まで、乗り越して、しまった。
それほどに、聞き惚れる、美しく、哀しい、曲よ。
とぎれ、とぎれに、なりながら、むせび泣く、ヘンデルの、邪心なき響き。
我をこんなに、透明にさせる。朝から、透明にさせる。