次に聴いたフランス近代音楽はラヴェルのピアノ協奏曲。左手用のと両手用のと、両方を組み合わせた一枚。ただし、それだけではないのがミソ。
"Ravel / Schmitt: Piano Concertos"
ラヴェル:
左手のためのピアノ協奏曲 (1929/30)
フローラン・シュミット:
私は遙か彼方に聴く・・・(1929)
ラヴェル:
ピアノ協奏曲 ト長調 (1929/31)
ピアノ/ヴァンサン・ラルドレ Vincent Larderet
ダニエル・カフカ Daniel Kawka 指揮
オーズ管弦楽団 L'Orchestre Ose2015年2月23~27日、グルノーブル、サル・メシアン
Ars Produktion ARS 38 178 (2015)
→アルバム・カヴァーほぼ同時期に並行して作曲されたラヴェルのピアノ協奏曲二曲は、演奏時間がどちらもニ十分前後ということから、LP時代には表裏にカップリングされた例が少なくない。
ヴラド・ペルルミュテール(ホーレンシュタイン指揮)、
ジャン・ドワイヤン(フルネ指揮)、
ダニエル・ワイエンベルフ(ブール指揮)、
ジャン・カサドシュ(デルヴォー指揮)、
サンソン・フランソワ(クリュイタンス指揮)、
ピエール・サンカン(デルヴォー指揮)、
モニック・アース(パレー指揮)、
アルド・チッコリーニ(マルティノン指揮)、
ヴェルナー・ハース(ガリエーラ指揮)、
アンヌ・ケフェレック(ロンバール指揮)、
ジャン=フィリップ・コラール(マゼル指揮)・・・もっと他にあるだろうが、咄嗟に思い出せるのはそんなところだ。
CD時代になると収録時間が延びて、末尾にもう一曲(大概ラヴェルの何か)が付加されるようになったが、両協奏曲は水と油、明と暗と云ってよいほど性格が異なるものだから、LPのように表と裏に分離されるならともかく、CDで二曲続けて聴くにはひどく違和感がある──少なくとも小生は常々そう感じてきた。陽気で明快でノンシャランな「両手(=ト長調)」に比して、「左手」はなにやら深刻で内省的、陰鬱でパテティックですらあって、実のところ大の苦手なのである。
そういえば二曲のうち、どちらか一曲しかレパートリーにしていない奏者も多い。
マルグリット・ロン、
レナード・バーンスタイン、
アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ、
マルタ・アルヘリッチは一貫して「両手」派だし、他方
ジャック・フェヴリエ、
ロベール・カサドシュのように「左手」ばかり偏愛したピアニストも存在する。
そうした経緯を踏まえて新譜CDを手にし、思わず「おゝ」と驚きの声をあげた。ラヴェルの二曲の間に、見馴れぬ題名の曲が挟み込まれている。ラヴェルの若き日の盟友フローラン・シュミットの協奏作品「私は遙か彼方に聴く・・・
J'entends dans le lointain ...」がそれだ。曲名にとんと馴染のないのは当然だろう。なにしろ本CDが世界初録音なのだというのだから。
フローラン・シュミットには三曲からなる晦渋なピアノ組曲「影
Ombres」(1912~17)があり、その第一曲がやはり「私は遙か彼方に聴く・・・」と題されていた。これだけを取り出し、ピアノ独奏と管弦楽用にシュミット自身が後年(1929)編曲したのが、同名のこの協奏作品なのだ。因みに意味深長な標題はかのロートレアモン伯爵の詩集『マルドロールの歌』の詩篇の一節から採られた由。
一聴すぐ明らかになるのは、シュミットの楽曲とラヴェルのピアノ曲「夜のガスパール」(1908)との近親性だ。三曲からなる組曲構成もそうだが、怪奇な幻想詩を下敷きにした音楽であるところもそっくり。第一次大戦下の1917年に作曲されたという「私は遥か彼方に聴く・・・」は内省的=表現主義的な色彩が色濃く、技術的にもたいそう難しそう。協奏曲ヴァージョンは一層その傾向を推し進めたものといえよう。これをラヴェルの「左手」のすぐあとに配すると、両者の親和性は誰の耳にも明らか。驚いたことに、両者は作曲年代もぴたり符合するのである。
そのあとで耳にするラヴェルのト長調は、さながら昏く長い隧道を抜けたかのような爽やかさ。悪夢にうなされた一夜のあとの清々しい朝と形容しても過言ではないだろう。こういう心持でこの曲に接したのは初めてかもしれない。本アルバムの狙いはまんまと奏功したのだ。
独奏者
ヴァンサン・ラルドレはフランスの若手だが、これがすでに五枚目のCDである由。「夜のガスパール」を含むラヴェル・アルバムもあるそうだが小生は未聴、数年前にNaxosから出たフローラン・シュミット・アルバムでこの人を知った。バレエ音楽《サロメの悲劇》ピアノ版の世界初録音で話題になったが、そこに上述の組曲「影」が含まれており、なかなかの名演だったと記憶する。今回のアルバムでラヴェルの協奏曲と並べてシュミットの「影」に由来する協奏作品を含めたのは、だから単なる思い付き以上の深い配慮があったに違いない。
正直なところ、共演オーケストラにはどうやら技術的な限界があり、アンサンブルも最上とは云いがたいが、ライナーノーツによればラヴェルの両協奏曲ではオリジナル・スコアに遡って速度指定や管弦楽法の見直しがなされたほか、しばしば大編成でなされる「ト長調」協奏曲の伴奏を五十~六十人程度の中編成に改めたそうな。そのあたり、何度も繰り返し聴くに値する労作アルバムといえるだろう。いずれラルドレの生演奏を耳にする機会もあろうか。