すっかり秋も深まって、ずっと薄着を通してきた小生も今日は買物に出る際さすがに上着の袖を通した。街路樹の銀杏が色づくのも今年はいつになく早い気がする。季節はいつしか曲がり角を過ぎたのだ。
こういう宵だからこそ聴きたい。心に染み入る深々とした憂愁の音楽を。
"Roger Sacheverell Coke: 24 Preludes, 15 Variations & Finale"
ロジャー・サシェヴァレル・コーク:
前奏曲集 作品33 (全十一曲、1938~39)
前奏曲集 作品34 (全十三曲、1941)
十五の変奏曲と終曲 (1939)
ピアノ/サイモン・キャラハン2014年8月26、27日、サフォーク、オールド・グラナリー・ステューディオズ
Somm SOMMCD 0147 (2015)
→アルバム・カヴァーロジャー・サシェヴァレル(サシェヴェレル)
・コークという作曲家をご存じだろうか。1912年に生まれ、1972年に死んだ。いいや、そんな人は全く知らないな──誰に尋ねても答は同じだ。英国ダービーシャー州に生まれ、後期ロマン派のスタイルで数多くの作品を残したが、自ら指揮者・ピアニストとして活動した生前はともかく、歿後はほぼ完全に忘れ去られていた。
ところが数年前、本CDの奏者
サイモン・キャラハン(Simon Callaghan)が彼のピアノ曲の楽譜と出くわしたところから復活のドラマが始まる。前奏曲集における書法の練達ぶりと紛れもない個性に強く惹かれたキャラハンは、東奔西走して多くの作品を発掘し、親類縁者を探し出して彼の思い出を聞いた。驚いたことに、多産なコークは数多くのピアノ曲のほか、六つのピアノ協奏曲、種々の管弦楽曲と室内楽、百に及ぶ歌曲、更には《チェンチ一族》なるオペラまで残していたのだという(この歌劇は1959年、ユージン・グーセンズ指揮で初演された由)。
初めて耳にするコークのピアノ曲は一聴するとひどく古めかしい響きがする。とても1940年前後の音楽とは思えず、いくら英国音楽とはいえ時代錯誤の感は否めない。真っ先に連想したのはラフマニノフだ。ただし和声はより玄妙で内省的。アーノルド・バックスからの影響を指摘する人もいるらしいが、小生にはそこまで嗅ぎ取る自信はない。延々と続く二十四の前奏曲はしかし退屈とは無縁で、小宇宙めいた不思議な魅力を醸し、聴き続けずにはいられなくなる。奏者キャラハンがこの作曲家にぞっこん惚れ込んだのもわかる気がする。
懇切なライナーノーツ(Robert Matthew-Walkerの執筆)と、キャラハン自身が "Gramophone" 誌に寄せた文章(
→ここ)とによれば、ロジャー・サシェヴァレル・コークは(当時の英国では公言が憚られた)同性愛者であり、二十代の頃に統合失調症に悩まされたという。一日に百本吸うほどのへヴィ・スモーカーだったこともあった。音楽学校には通わず、もっぱら私的に音楽教育を受けたといい(ピアノの師は John Frederic Staton)、30年代に作曲家=ピアニストとして活動した時期もあったが、精神の病がキャリアの妨げになったのは否めない。
コークがピアノを志すきっかけは十代の頃ベンノ・モイセイヴィチの演奏を聴いたことだという。ラフマニノフとは個人的な接触があったらしく、彼がダービーシャーのコーク家を訪れたことも、逆にコークがルツェルンのラフマニノフ邸に招かれることもあった由。作品の相似は偶然ではなかったのだ。
コークは指揮者としても力量があり、1940年にブルックヒル交響楽団(Brookhill Symphony Orchestra)なる団体を結成、ブルックナー(第四、第六)、マーラー(第四)、ラフマニノフ(第二)などの交響曲を振ったという。当時の英国ではかなり珍しいレパートリーだったはずだ。
作曲家として認められたいというコークの宿願は、1939年にボーンマスで第三ピアノ協奏曲が演奏された程度で、ほとんど稔ることなく、上に名を記したオペラ《チェンチ一族
The Cenci》上演(1959年11月)も、必要経費は作曲者自身が購ったのだという。要するに彼の音楽人生は殆ど報われずに終わった。
キャラハンのCDは英国ではそれなりの反響を呼んでいるらしい。演奏の質も上乗だと思う。次は第三ピアノ協奏曲の実演と録音に挑みたいとのこと。実現したらぜひ聴いてみたいものだ。