身の毛もよだつ、とか、全身が総毛立つ、とかいう。恐怖小説やホラー映画につきものの手垢に塗れた常套句だが、我が身を省みると、遠い昔の幼少期、それもまだ字が読めない三歳か四歳の頃、父親にねだって就眠前に読んでもらった書物のなかに、鳥肌が立つような我が初体験があったように思う。
埼玉県浦和市のその商家は空襲に遭わなかったのだろう、戦前の児童書がある程度まとまって残されていた。昭和初年に競い合うように出たアルスの「日本児童文庫」と、興文社(実質的な版元は文藝春秋社)の「小学生全集」──加熱した販売合戦は児童文学史上に名高い──その端本が両シリーズ併せて三十冊くらいあったろうか。それらは大正生まれの父自身が子供時代に愛読したものに違いなく、そこからお気に入りの何冊かを読み聞かせしてもらったのだ。
そのなかに子供心にとびきり恐ろしい一冊があった。なにしろ怖くてたまらない。極度の恐怖心から却って「怖いもの見たさ」で再読を所望し、繰り返し読んでもらったのだろう、六十年近く経った今も、文章が醸す恐ろしい雰囲気が胸にこみ上げるほどなのだ。森田草平が訳した(ということになっている)『アラビヤ夜話』。上述の「日本児童文庫」シリーズの一冊だった(
→表紙、口絵、挿絵の数枚)。
その本には高名なシンドバッドの冒険(「エス・シンデバードの航海譚」)や「アリ・ババと四十人の盗賊」も収められていたが、小生が取り憑かれたのは冒頭の「
ユーナン王と學者ヅーバンの話」なる知られざる一篇である。
ペルシャのユーナン王の宮廷にはヅーバンという老学者が永らく忠実に仕えていた。ヅーバンはかつて王の重病──文中には「恐ろしい癩病」と明記される──を完治させたことがあり、その功績により近臣として召し抱えられた経緯があった。ところがヅーバンの重用を妬む大臣某の言葉巧みな諫言により、王はヅーバンをわが命を狙う叛逆の徒だと頑なに信じ込んでしまい、不忠不臣の廉で死罪を申し渡す。いかにもありがちな昔噺の展開である。
御前に召されたヅーバンは言葉を尽くして自らの無実を弁明するが、問答無用。王は全く聞く耳を持たない。傍らの役人たちに命じて、直ちにこの者の首を刎ねよと声高に命じた。そこからの一節を終わりまで引用しよう。
「どうかお助け下さいませ」と、繰り返して申しました。「すれば、神様もきつとあなたを助けて下さいませう。神樣の罰が恐ろしかつたら、どうか私を助けて下さいませ」
が、王樣はどうしても承知して下さいませんでした。そこでヅーバンも、最早これまでと覺悟をきめたと見えて、
「陛下よ、では、どうあつてもお許し下さいませんのなら、せめてしばらくの御猶豫を願はれますまいか。實は、私は世にも稀な一册の書物をうちに秘藏してゐるのでございます。今生の思ひ出に、それを陛下に献上して、永く宮中の書庫に納めて置いて頂きたうございますから」と、思ひ込んで申し出でました。
「で、その書物には何が書いてあるのぢや」と、王樣はおたづねになりました。
「それはもう、一々擧げてゐられない程多くのことが書いてございます」と、ヅーバンは答へました。「その中の一番小さなことを申して見ましても、先づかようでございます。あなたが私の首をお刎ねになりました時、その本を開いて、三枚ばかりはぐつてから、左側の頁を三行程お讀みになりますれば、首がものを言つて、なんでもおたづねになることに御返事をいたしますよ」
「何ぢやと、お前の首がものを言ふと」
「はい、さようでございます。まったくそれは不思議なものでございます」
それを聞いて、王樣は何よりもその本が欲しくてたまらなくなりました。そこで、近衞兵の監視の下に、一旦ヅーバンをその家へ送り返すことにいたしました。その時御殿の廣間には、王族や、大臣や、侍從や、代議員や、その他國家の重臣どもがまるで花でも咲いたように、ずらりと並んでゐました。その中を、學者は一册の古い書物と小さな粉藥の壺を捧げたまゝ、しづしづと王樣の御前へ進みました。そして、一つの盤をお貸し下さるようにお願ひいたしました。そこで、早速一つの盤をその前へ持つてまゐりました。彼はその中へ粉藥をあけて、それを掻きひろげながら、次ぎのように申しました。
「陛下よ、どうぞこの書物をお持ち下さいませ。しかし、私の首が飛ぶのを御覧になるまでは、何事もなすつてはいけません。で、私の首が胴を離れましたら、その首を拾ひ上げてこの盤の上に載せ、粉藥の中へ押しつけるように命じて下さいませ。さうすると、流れる血がとまりますから、その時この書物をお開け下さい」
この言葉が終るか終らぬうちに、ヅーバンの首は刎ねられてしまひました。そして、學者の言葉通りに、それを盤の上に載せました。で、いよいよ王樣はその書を開かうとなさいましたが、その一枚一枚がぴったりくっついてゐるので、なかなか思ふように開かれませんでした。王樣は止むを得ず指先を舐めて、それでしめしながら、やっと最初の一枚を開きました。が、二枚目も、三枚目も、どれもこれも唾でしめさないでは開けることが出來ませんでした。かうして六枚目まで開きましたが、見ると、何一つ書いてありません。王樣は不思議に思つて、
「おい、何も書いてないではないか」と、首に向つてたづねられました。すると、盤の上の首が口を開いて、
「もっともっとおはぐりなさい」と、答へました。
云はれるまゝに、王樣は指先を舐めてははぐり、はぐっては舐めて行きました。ところが、書物にはその一枚毎に毒が浸みこませてあつたからたまりません。しばらくするうちに、王樣の全身にはすっかり毒が廻つて、どっと仰向けに倒れてしまひました。
──「ユーナン王と學者ヅーバンの話」より(原文は総ルビ)、森田草平譯『アラビヤ夜話』(日本兒童文庫 28)、アルス、1927(昭和二)年9月刊
どうです、怖い話でせう。背筋にぞつと怖氣が走る。かうして書き寫してゐるだけで總身に震へが來て止まらない。こんな文章を年端もゆかぬ子供に讀ませちやいけませんよね。幾ら戰前だとは云へ幼兒敎育上宜しくない。
子供心に底知れぬ恐怖を覚えたのは、忠義を尽くしたヅーバンが事実無根の讒言で王の不興を買い、あっさり死罪になってしまう不条理もさることながら、死してなお王に復讐を遂げるヅーバンの手口の巧妙さ、それよりなにより、刎ねられた首が口をきき、王を毒殺するという展開の異常さ故だったと思う。
盤上の蒼ざめた生首の指示を仰ぎつつ、膝に書物を載せたユーナン王が頁を捲る場面を描いたカラー口絵(深澤省三/画)を目にしただけで、もう怖くて怖くてたまらなかった。それでいて、その恐怖を反芻したくて父に再読をねだったのは、よほど物語の魔術に魅せられてしまったのだろう。やがて一篇の修辞の隅々まで暗記してしまって、それでもなお読み聞かせを所望していた。
しまいにはこの本を開かずとも、表紙の装画(
→写真中央)を一瞥しただけで、恐怖心が募るようになった。画面中央の六角形の窓枠のなかには夜空を背景に聳えるアラビア王宮風の建物のシルエットが見え、手前にはアラジンのランプ(?)から立ち上る神秘的な煙がたなびく。
そして何よりも不可思議なのは、中空にぽっかり浮かぶ三日月である。いつも見慣れた姿とは異なり、細く伸びた弓張月の両端が合わさって、まるで日蝕時のダイヤモンド・リングのような円弧を描く。現実にはあり得ない光景である。
なんという奇怪な眺めだろう。この不可思議な三日月をちらと眼にするたびに、学者ヅーバンの無惨な死と復讐の顛末が思い起こされ、身震いを禁じ得なかった。幼い小生が初めて魅了された絵画とは、間違いなく、この夢魔のように付き纏うアラビアの夜景だったのである。
(次回につづく)