ロンドンの短い夏は疾うに終わっている。季節の風物詩「プロムズ」もラスト・ナイトを迎えて寂しくなった。今年は記念年にあたるシベリウスやニルセンに因む演奏会などでそこそこ賑わったらしいが、小生にはとんと無縁で興味が湧かなかった。むしろロイヤル・アカデミー・オヴ・アーツで七月から開催中のジョゼフ・コーネルの大回顧展のほうに心をそそられた。多岐にわたる魅惑的な箱作品の数々がずらり並ぶさまは想像するだに心躍る。雑多な思い出の小物を旅行鞄に詰め込んだ《クリスタル・ケージ(ベレニスの肖像)》(
→これ)も出品された由。かつて鎌倉で撮影したことのある懐かしい作品である。あゝ行けたらなあ、一目でも観たいものだと溜息をついているうち、この27日で終了してしまう。残念だなあ。悔しいなあ。
英京の秋シーズンの開幕を告げる興味深い演奏会が古式床しいウィグモア・ホールで催された。これはちょっと聴きたかった。幸いBBCラヂオ3が実況中継してくれたので、その模様を居ながらに知ることができるのは幸いである。
2015年9月14日(月)
13:00~
Wigmore Hall
BBC Monday Lunchtime Concert
■
ソプラノ/アンナ・カテリーナ・アントナッチ Anna Caterina Antonacci
ピアノ/ドナルド・サルゼン Donald Sulzen
■
プーランク:
モンテカルロの女 La dame de Monte-Carlo
人間の声 La voix humaine
アントナッチ女史はバロックからベルカント期のオペラを得意とするイタリアの中堅ソプラノ。2002年に新国立劇場《ウェルテル》出演歴があり、パリ・オペラ座のライヴ・ヴューイングで彼女が主役を務める《カルメン》が上映されたこともあるので、わが国でもそこそこ知られているらしい。小生は寡聞にしてモンテヴェルディの《ポッペアの戴冠》で主役を唄ったCDを聴いただけだ。
その彼女がNYのアリス・タリー・ホールでのリサイタルでプーランクの《人間の声》を唄い演じた、と "New York Times" に写真入りで紹介記事が出たことがある(
→これ)。今年三月のことだ。
For “La Voix Humaine,” Ms. Antonacci was alternately cajoling,
charming, frantic and exhausted. Her take on the work is without
undue histrionics — her desperation is as much existential as
plainly emotional — but is fascinating in its changeable facets.
NYでは前半にベルリオーズ「クレオパトラの死」やドビュッシーの「ビリティスの歌」、ラヴェルの「カディッシュ」などが唄われたらしいが、ロンドンでは昼食演奏会の一時間という制約もあって、プーランク二本立という潔いプログラム編成。前々から小生は「人間の声」と「モンテカルロの女」を組み合わせた一夜を夢想していたから、昼時の演奏会とはいえ、まさに我が意を得たりと小躍りした。
前にも書いた記憶があるのだが、プーランクはこの二作を相次いで同じドニーズ・デュヴァル(プーランク晩年のミューズ)のために書いており、作曲順に「声」→「モンテカルロ」と続けて唄われると、失恋の痛手に打ちのめされた女が、死にきれずにギャンブラーとしてモンテカルロへ赴く、というストーリーが自ずと浮かび上がる──そう勝手に解釈して面白がっているのだが、なかなか両作品を一緒に聴く機会がない。今回は「モンテカルロ」→「声」の順なのがちょっと残念だが、瀬戸際に追い詰められた女性がどのように唄い演じられるのか甚だ興味が尽きないのだ。
善は急げとばかり早速ネットラヂオで聴き始めると、流石にオペラの舞台で数々のヒロインに扮してきたアントナッチの歌の演技は柄が大きく堂々。もともとシャンソン風の書法で小粋に紡がれた「モンテカルロの女」がまるで一場のアリアさながら表情たっぷりに造形され、その表現力の大きさに感心する。
続く「人間の声」では舞台に簡単な小道具(小机と椅子、オレンジ色の受話器、コップ)が用意されるのはNYのリサイタルと同趣向だ(
→アリス・タリー・ホールの公演風景、
→ウィグモア・ホールのリハーサル風景)。
道具立てこそささやかだが、アントナッチ女史の一人舞台はまさしくオペラそのもの。プーランクが当初このモノオペラを密かにマリア・カラス初演を念頭に構想したという逸話を思わずにいられない。強がりと嘘、追憶と絶望がないまぜになった女の感情の起伏、その複雑な心情の変遷がじかに伝わってくるような迫真の歌唱=演技である。オペラティックな表現の大きさは勿論だが、こまやまな表情の襞が精妙なコントロールのもとで辿られるさまは応接に暇がないほど。コクトーやプーランクに聴かせたい名演と評しても過言ではあるまい。
ちょっと調べたら、アントナッチ女史は2013年にパリのオペラ=コミック座で《人間の声》の舞台上演で評判をとり(
→舞台写真1、
→舞台写真2、
→舞台写真3)、今年の3月にはサン・アントニオ歌劇場でもこれを成功されている(
→舞台写真)。後者の演出では電話口の向こうにいる筈の「元カレ」の影が舞台に射すという面白い演出が施されたらしい。ああ観たかったなあ。いずれにせよ、オペラ《人間の声》は今や彼女にとって名刺代わり、最大の当たり役なのだ。
こういうとき嗚呼ニッポン國は遠い辺境にあるなあとつくづく慨歎する。常時このような舞台に接することができてこそ、トウキョウは音楽都市と呼びうる段階に達したといえる。その日は小生が存命中には決して来ないだろう。
ウィグモア・ホールでのリサイタル実況はまだ聴ける(
→ここ)。お試しあれ!