二曲あるドヴォジャークの「セレナード」は高校時代に鍾愛した楽曲だった。今も残る手控帖によれば1970年12月12日に(乏しい小遣いをやりくりして)銀座のヤマハ楽器店でLPを手に入れた。
ドヴォルザーク:
弦楽セレナード ホ長調 作品22
セレナード ニ短調 作品44
ヨゼフ・ヴラフ指揮 チェコ室内管弦楽団
マルティン・トゥルノフスキー指揮 プラハ室内管楽合奏団
日本コロムビア スプラフォン OS-999-S (1968, LP)
同じ日に同じヤマハの店頭でジョン・バルビローリ指揮ロンドン交響楽団による "English Tone Pictures" なる英国盤LPも購入した。そのB面に収められたディーリアスの管弦楽曲「夏の歌 A Song of Summer」がどうしても聴きたかったからだ。高価な輸入盤は遙かに仰ぎ見る高嶺の花だったが、国内盤は出ていなかったので大奮発した。その年の初めにTVでケン・ラッセル監督のBBC映画《夏の歌》を観た田舎の高校三年生はこの曲が耳にしたくて、矢も楯も堪らなかった。あの頃の一途な熱心が我ながら羨ましい。だがそれはまた別の話だ。
ドヴォジャークのふたつのセレナードはすでにラヂオで耳にして、すっかりお気に入りになっていたと思う。とりわけロマンティックな旋律美の極致と称すべき弦楽セレナードにはぞっこん惚れ込んでいた。店頭にはイシュトヴァーン・ケルテース指揮ロンドン交響楽団(+ブラームスの第二セレナード)、ラファエル・クベリーク指揮イギリス室内管弦楽団(+クベリーク自作)、レズリー・ジョーンズ指揮ロンドン・リトル・オーケストラ(+チャイコフスキーの弦楽セレナード)などの競合盤があったはずなのだが、小生は迷うことなく上記のスプラフォン盤を棚から引き抜いてレジに持参したと思う。ドヴォジャーク二曲を表裏に収めた唯一のLP、しかも本場の演奏だし、事前に上野の文化会館の資料室でちゃんと試聴も済ませていた。受験勉強そっちのけで音楽ばかり聴いていた時分の話だ。
だが今日ここで聴くのはこの演奏ではない。残念ながらCD未覆刻だからだ。今後も望めないだろう。仕方ないので別の録音を書庫の奥から探し出してきた。同じようにドヴォジャークの二曲のセレナードをカップリングした本場の演奏を。
"Serenades from Bohemia -- Czech Nonet -- Antonín Dvořák"
ドヴォジャーク:
弦楽セレナード 作品22 (初期形の八重奏=セレナード復元版)
スラヴ舞曲 作品72-2, 3, 8 (ヴラスチミル・マレシュ編)
木管セレナード 作品44 (フランチシェク・ヘルトル編の九重奏版)
チェコ九重奏団
ピアノ/イヴァン・クラーンスキー(作品22)1998年9月30日、11月28~30日、プラハ、ドモヴィナ・スタジオ
Praga Digitals PRD 250 129 (1998)
→アルバム・カヴァーいや~驚いたのなんのって。収録時間が延びて「スラヴ舞曲」(の八重奏編曲版)が挿入されたのを別にすれば、四十五年前に手にしたのと同じカップリングなのに、すべてが異なる。なにしろ
弦楽セレナードが弦楽で奏されないのだから吃驚だ。編成はクラリネット、ホルン、ファゴット、ヴァイオリン二挺、ヴィオラ、コントラバス、そしてピアノ。冒頭のテーマはまずホルンから出てクラリネットに引き継がれる。聴感からすると「木管セレナード」といった趣なのだ。しかも、ライナーノーツによれば、作品22の弦楽セレナード(1875)はその二年前、この編成でまず初期形が書かれたのだという! 本当なのか? いやはや長生きはしてみるものだ。
ドヴォジャークは弦楽のためのセレナードを1875年の5月3日から14日にかけて、僅か十二日で作曲したと伝えられる。ところがこの作品には1873年に書かれた「原作」があり、それは上記のような混合編成の八重奏曲だった──というのが本CDのライナーノーツで明かされた成り行きなのだが、そうした経緯は寡聞にして初耳だし、手近なwikipedia(英/仏/日)でも一言も触れられていない。その「失われた」原作を英国の音楽学者ニコラス・イングマン Nicholas Ingman が復元したのがこの「八重奏=セレナード Octet-Serenade」だという。
この復元=編曲版の八重奏=セレナード、初めて聴く耳にはどうにも奇異に響くが、何度か耳にするうちに馴れて、これはこれで鄙びた味わいがあって好もしく思えてくる。実を云うと、このイングマン編曲版は1990年(チェコ九重奏団)、1994年(ハーモニー・アンサンブル/ニューヨーク)、そしてこの1998年(チェコ九重奏団)とこれまでに三度も録音され、それなりに人口に膾炙しているらしい。
ただし研究者の間では一顧だにされていないらしく、そもそも「失われた1873年版」の実在も明確ではないようだ。編曲者イングマンも一応ライナーノーツでは音楽学者ということになっているが、本業はポップス系(?)のアレンジャーらしく、ダイアナ・ロスやティナ・ターナー、ビョークらの編曲や、《恋におちたシェイクスピア》《リトル・ダンサー》などの映画音楽にも関わったらしい。要するに器用なアレンジ仕事を手広く手堅くこなす器用人というあたりか。
いや、だから駄目だというわけではなく、このドヴォジャークだって実に尤もらしく響く。ベートーヴェンの七重奏曲やシューベルトの八重奏曲と一緒に演奏会で奏されても違和感なく聞こえるだろう。イングマンにはドヴォジャークの作品44のセレナードの弦楽合奏用編曲もあるそうだ。それもいつか聴いてみたい気がする。
なに? その「八重奏=セレナード」を聴いてみたいって? では、こっそりお裾分けしよう。オリジナルとの聴き較べで。ただし当CDとは別演奏だが。
→八重奏=セレナード 作品22 (弦楽セレナードのイングマン編曲版)→弦楽セレナード 作品22 (クリストファー・ウォーレン=グリーン指揮)