八月、灼熱、太陽、海、そして倦怠。この季節になると、条件反射のようにどうしても聴きたくなる。素直な歌唱に仄かなアンニュイの翳があって、一度でも耳にしたら忘れられない。憂いを帯びて癖になるセクシーな声だ。
《石川セリ SERI sings PICO ~パセリと野の花+⑬》
野の花は野の花 伊藤アキラ/樋口康雄
あて名のない手紙 山川啓介/樋口康雄
鳥が逃げたわ 伊藤アキラ/樋口康雄
天使は朝日に笛を吹く 伊藤アキラ/樋口康雄
小さな日曜日 山川啓介/樋口康雄
デイ・ドリーム 島津ゆう子/樋口康雄
村の娘でいたかった 伊藤アキラ/樋口康雄
私の宝物 石川セリ/樋口康雄
聞いてちょうだい 石川セリ/樋口康雄
あなたに夢中よ 石川セリ/樋口康雄
GOOD MUSIC 野村(=奈良橋)陽子/樋口康雄
八月の濡れた砂 ~ダイニチ映配《八月の濡れた砂》 吉岡オサム/むつひろし
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遠い海の記憶 ~NHKドラマ《つぶやき岩の秘密》 井上真介/樋口康雄
海は女の涙 ~日活《哀愁のサーキット》 村川透/樋口康雄
フワフワ・WOW・WOW みなみらんぼう/樋口康雄
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野の花は野の花 (デモ・ヴァージョン)
小さな日曜日 (デモ・ヴァージョン)
野の花は野の花 (デモ・ヴァージョン)
フロッグ・ロック (デモ・ヴァージョン) 伊藤アキラ/樋口康雄
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フワフワ・WOW・WOW (シングル・ヴァージョン)
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旭化成ティムウェア「春の響き」編
東芝レディシェーバーFiFi
DeBeers Diamond Collection '76
フェミニン「坂」篇
ワコールナイティ
ヴォーカル/石川セリ1971~75年
ウルトラ・ヴァイヴ CDSOL 1070 (2003)
→アルバム・カヴァー小生が石川セリを知ったのはもちろん林美雄さんのラジオ番組「パック・イン・ミュージック」を通してだ。デビュー間もない荒井由実と同じく、彼女の歌はこの深夜放送(午前三時からだから早朝放送というべきか)でしかかからなかったからだ。初めて生身のセリを間近に観たのも、林さんの誕生日を祝う催し「サマークリスマス」のときだった。彼女はTBSのスタジオに集まったファンたちの前で「八月の濡れた砂」を伴奏なしで唄った(その日の回想は旧友たちのサイト「荻大ノート」に詳しく書いた。
→「第1回サマークリスマス」)。
当日の1974年8月25日は台風接近の荒れ模様の日で、会場に予定された代々木公園はとても使えず、参集者はやむなく赤坂のTBSまで移動して、急遽用意された空きスタジオで林さんの誕生日を祝った。そのときセリは数百人のリスナーを前にして「
林さんが《八月の濡れた砂》を『いい!』って言ってくれなかったら、私は今、歌っていたかどうか・・・。《八月の濡れた砂》が知られなかったら、歌い続けることはできなかったように思います」と感謝の言葉を口にした。
そのとおり、彼女がシングル盤「小さな日曜日/八月の濡れた砂」(1972年3月
→これ)でデビューし、アルバム「パセリと野の花」(同年11月
→これ)を世に問うことができたのも、ひとえに林美雄のほとんど常軌を逸したほどの称賛と肩入れの賜物に違いなかった。彼は鍾愛の映画《八月の濡れた砂》の自主上映と併せて、彼女のミニ・コンサートまで催したほど熱烈な支援者だったのである。「パセリと野の花」のLPには、だから当然のように林さんの小文「石川セリのこと」が載っていた(引用はほんの少し表記を改めてある)。
セリの唇の開き方が魅力的だと云う人が多い。下唇を一寸つっぱらした唄い方。それに身のこなし。肩や手の動きが大げさじゃなく、さりとて小じんまりじゃなく実に自然で、初めてステージを見た時は、オーバーだが、かつて映画《真夏の夜のジャズ》でアニタ・オデイに対面した時の感激が蘇ってきた位だった。セリの唄を聞いていると、奇妙なかったるさ、まどろみの時のあの気分を感じる。どこから来るのか。セリの体質をズバリ表現したアルバム・タイトル "パセリと野の花" だ。パセリ(セリの愛称)──スープのなかでよく見かける洋食のツマみたいなバタ臭いものと、野の花──まさに野の花という素朴なものの不思議な取り合わせ。セリのなかでこの二つがうまく溶け合って、そこからこのソフトダルネスなサウンドが生まれてくるのではないか。いわば彼女の好きなサガンの世界に似ている。セリは音楽界のサガンに成り得る充分な資質をもった歌手だと思う。本CDにはこの林さんの推薦文も含め、収録曲十二曲のすべてが再録されているのだが、しかしこれは単なる再発盤というに留まらない。
アルバム・タイトルに「パセリと野の花+⑬」とあるように、CD化に際して未発表デモ・ヴァージョンや当時のCMソングなど稀少なトラックが数多く付加された、という特色があるのだが、小生がここで云いたいのはそのことではない。そうではなく、本CDは石川セリのファースト・アルバムのリイシューであると同時に、その大部分を手がけた早熟な作曲家(それ故に挫折を余儀なくされた)樋口康雄の最初期を検証するアルバム=アンソロジーとしても成立するように構想され、再構築されたという事実こそが重要なのだ。
石川セリ愛好家の間では夙に知られていようが、彼女はデビュー曲「八月の濡れた砂」に当初からずっと違和感を抱いており、「
いきなり歌謡曲調なので困った」「
この曲をステージなんかで歌わなければいけないのかと思っただけで、まさに悪夢でした」(本CDライナー中での回想)と自ら述懐するほど内心では嫌っていた。にもかかわらず、この映画主題歌が(というか藤田敏八監督作品の映画そのものが)林美雄によって「発見」され、その熱烈な援護射撃を得て、レコード・デビューへの道が拓けたのだから運命はまことに皮肉というほかない。
なるほど確かにアルバム「パセリと野の花」のなかで「八月の濡れた砂」は一曲だけ浮いていた。深い悔恨と憂愁を胸に「あの夏の光と影は/どこへ行ってしまったの」「あたしの夏は/あしたもつづく」と唄うヒロインは、このアルバムの他の曲から想像される、まだあどけなさを色濃く宿した少女像とはまるで異質な大人びた存在である。それもそのはず、「八月の濡れた砂」以外の十一曲はことごとく樋口康雄がこのアルバムで彼女が唄うことを前提に作曲した歌ばかりだった。LPの冒頭に置かれながら、この一曲だけは雰囲気も出自も作曲意図も、なにもかも違った異分子だったのである。
そのあたりの事情を汲んで、本CDではアルバム冒頭の「八月の濡れた砂」を思い切って割愛し、本来あり得べき「セリ+ピコ」ジョイント・アルバムとしての「パセリと野の花」を実現してみせた。云うまでもなく「ピコ」とは樋口康雄の愛称であり、セリとピコは同じコーラス・グループ「シング・アウト」の創設メンバーだった。
冒頭から省かれた「八月の濡れた砂」はカットされるのではなく、元のアルバムの最後(十二曲目)に移されて、いわば一曲だけ隔離され、そのあと間髪を入れずに、セリの「海」ものの続篇というべき「遠い海の記憶」「海は女の涙」の二曲(共に樋口康雄曲)へと繋げる。なんというアクロバティックな力技であろうか!
このように小さな、しかし思い切った改変により、「パセリと野の花」本来の意図を鮮やかに浮かび上がらせたのは、本CDの監修者である濱田高志さんの決断だろう。彼の手になるライナーノーツは例によって精緻と懇切を極めたものだが、冒頭にまずこう記す。
本作は1972年に発表された、石川セリのファースト・アルバム『パセリと野の花』に、アルバム制作時のデモ音源や同時期に制作されたシングル曲、今回が初音盤化となるCM音源など13曲のボーナス・トラックを追加・再構成した作品集です。
軽やか且つ誇らし気で、それでいて時に切なく、チャーミングでありながらも憂いを含んだ表情豊かな石川セリのヴォーカルは、時代を越えて響く魅力を湛えており、発表から30年を経た現在なお、その輝きは失われていません。
一方、その魅力を最大限に引き出しているのが、本作で1曲を除く全曲の作曲を手掛けた樋口康雄の楽曲群といえるでしょう。歌謡曲、フォーク全盛の当時、美しいジャズ・ワルツを筆頭にブラス・ロックやボサ・ノヴァ、バブルガム・ポップスから果てはスタンダード足り得るバラードまで、多彩な音楽スタイルで紡がれたメロディは、流行とは無縁の普遍性を備え、何ら色褪せぬ独自の光彩を放っています。[中略]
そして何より特筆すべきは、本作の録音時、石川が20歳、樋口は19歳だったという事実です。そうした点から見ると、本作は "ヴォーカリスト・石川セリ" と "ソングライター・樋口康雄" の、音楽に対する純粋無垢で尊い関係が見え隠れする上質のコラボレーション・アルバムと捉えることが出来るのではないでしょうか。さすがである。これは単に石川セリのファースト・アルバムなのではない、「ヴォーカリスト」セリと「ソングライター」ピコによる「上質なコレボレーション・アルバム」なのだと。「1曲を除く全曲」の「1曲」が、あの人口に膾炙した(しすぎた)「八月の濡れた砂」であるところがポイントだろう。濱田さんは本当によくわかっておられる。
こうした樋口の垢抜けた作曲センスに加えて、作詞陣の充実ぶりが際立つ。山川啓介の「小さな日曜日」は一見すると若いカップルのあどけない恋を唄ったようにみえて、実は心中=入水自殺を扱った重たい内容だし(「
持ち主をなくしたくつが/
二つ寄りそい潮騒をきいていました」
→これ)、伊藤アキラ(CMソングの大家で、大瀧詠一の「サイダー」の作詞家)の「村の娘でいたかった」は都会暮らしに染まった田舎娘の「汚れちまった悲しみ」を切々と謳った傑作である(「
今から乗れる汽車はない/
わたしが降りる駅もない/
もうだめかしらだめかしら/
ふるさと行きの時刻表/
気がつくときはもうおそい」
→これ)。この詞こそ松本隆の「木綿のハンカチーフ」の先駆であり、むしろ真率さで凌駕さえしている。
これぞプロフェッショナルな作詞家の練達の技というべきだろうが、それらの意味深長な歌詞を、ニ十歳の石川セリはなんと軽々と屈託なく、しかも初々しい情感を籠めて唄っていることだろう!
一方でセリは何よりもまず「海の女」だというイメージは、映画関係者の間では確固として揺るぎなく根づいていたはずだ。「八月の濡れた砂」を嚆矢とする真夏、灼熱、太陽、海、そして倦怠という観念の連鎖もまた、上述のとおり樋口康雄によって忠実かつ巧妙に継承され、変奏されていく。
ロマンポルノの傑作《白い指の戯れ》の村川透監督が日活で最後に撮った《哀愁のサーキット》(1972)は残念ながら駄作だったが、ほかでもない樋口康雄が音楽を担当したのは天の配剤か。海に因んだ挿入歌「海は女の涙」(
→これ)を監督が自ら作詞し、石川セリに唄わせたのは、明らかに前年の《八月の濡れた砂》へのオマージュ、といって言い過ぎなら、共感と連帯の目配せだろう。
翌73年、樋口はNHK・TVの連続少年ドラマ《つぶやき岩の秘密》の音楽も担当し、新田次郎の原作がたまたま海にまつわる少年冒険小説だったところから、またも主題歌を「海の女」石川セリが唄うこととなった(
→最終回エンディング)。放送時には「つぶやき岩の秘密」と呼ばれた主題歌は、録音テープを入手した林美雄アナウンサーが「パックインミュージック」で毎週のようにかけたところから人気に火が点き、74年夏には「みんなのうた」で取り上げられ、そして遂にシングル盤(
→これ)発売と相成った。1974年8月25日、奇しくも「第1回サマークリスマス」当日のことだ。現在の「遠い海の記憶」という題名はこのとき付いた。