ドーン・アップショーのアルバム『白い月』に聴き惚れているうち、小生が初めて手にした彼女との「馴れ初め」のアルバムを聴きたくなった。あれも確かに涼やかな、暑い夏を凌ぐのに相応しいディスクだったように記憶する。CD棚の奥の方をまさぐって取り出したのはこれだ。
"Dawn Upshaw: The girl of orange lips"
デ・ファリャ: プシュケ (ジャン=オーブリー詩)
ラヴェル: マラルメの三つの詩
■ 溜息
■ 空しき願い
■ 器の胴部から突出したる...
ストラヴィンスキー: コンスタンチン・バリモントの二つの詩
■ 花
■ 鳩
アール・キム: 哀しみがまどろむところ
■ 雨が降るのを聴く (アポリネール詩)
■ 酔いどれ船 (ランボー詩)
■ 雨が降る (アポリネール詩)
■ オフィーリア (ランボー詩)
■ 別れ (アポリネール詩)
■ 旅立ち (ランボー詩)
■ オレンジ色の唇の少女 (ランボー詩)
ストラヴィンスキー: 三つの日本の抒情詩 (ベートゲ詩/ブラント訳詩)
■ 赤人
■ 当純
■ 貫之
ドラージュ: 四つのインドの詩 (バルトリハリ、ハイネほか詩)
■ マドラス (ひとりの美女・・・)
■ ラホール (一本松が・・・)
■ ベナレス (仏陀の誕生)
■ ジャイプール (あなたがもし・・・)
ソプラノ/ドーン・アップショー
ヴァイオリン/
カーミット・ゾーリ、リン・チャン、ナイ=ユアン・フー、ロバート・ラインハート
ヴィオラ/セアラ・クラーク、ナード・ポイ
チェロ/エリック・バートレット、ブルース・コポック
フルート/フェンウィック・スミス、ローラ・ギルバート
オーボエ/マーシャ・バトラー
クラリネット/トマス・ヒル
クラリネット&バス・クラリネット/ミッチェル・ワイス
ハープ/バーバラ・アレン
ピアノ/ランダル・ホジキンソン1990年9月24~26日、ニューヨーク・シティ、アメリカ文芸アカデミー研究所
Elektra Nonesuch 9 79262-2 (1991)
→アルバム・カヴァーこのCDは池袋にあったWAVEで初めて目にし、凝った曲目と素敵なパッケージ写真(撮影=Joel Meyerowitz)に惹かれて即座に買った(ジャケットの女性が歌い手と勘違いしていた)。その時点でドーン・アップショーのことは何ひとつ知らなかった。これは彼女の三枚目のアルバムだったらしいが、このあとグレツキの第三交響曲の爆発的ヒット(あれはなんだったのか)で一躍「時の人」となる前の彼女は、まだ三十そこそこの新人にすぎず、知る人ぞ知る存在だったはずだ。
冒頭のファリャで吃驚したのを思い出す。これはまるきりフランス近代音楽そのものだ。パリ遊学期の彼がドビュッシーの影響を強く受けた──とどの人物事典にも書いてあるが、まさしくそのとおり、フランス詩がフランス語で歌われるということもあり、スペイン色は全くうかがえない。この「プシシェ」、小生は恥ずかしながら本CDで初めて聴いた(ロス・アンヘレスの古い録音があるそうだが未聴)。
そのあとも驚きの連続だ。そもそもラヴェルの「マラルメの三つの詩」、ストラヴィンスキーの「三つの日本の抒情詩」、ドラージュの「四つのインドの詩」の三つの歌曲集は、どれも同じ演奏会で世界初演された「兄弟」同士の間柄にあたる(その経緯については
→「ストラヴィンスキー、ラヴェル、ドラージュ」)。特異な編成の室内楽を伴奏にソプラノが歌う、という共通点はそこに由来する。
これら三作を同じ一枚のディスクに収めた例は、小生の知る限りこのアップショーのアルバムを嚆矢とする(というか、恐らく唯一無二)。その一事のみをもってしても本CDは値千金なのだ。余程の智慧者が助言したか、いや、恐らくは彼女自身が大変な勉強家なのに違いない。
それだけでも十二分に価値の高いアルバムなのに、アップショーはそのうえ更にアール・キム Earl Kim という米国(朝鮮系)の現代作曲家による珍しい歌曲集 "Where Grief Slumbers" (1982/1990) を加えることで錦上花を添えた(印象的なアルバム名もその一曲から採られている)。時代も国籍も異なるにもかかわらず、ランボーとアポリネールに附曲したためか、これが違和感なくアルバムに実にしっくり嵌る。無知な小生はまるで知らなかったが、キムはジョン・アダムズやデル・トレディチの師匠なのだそうだ。
あまり評判にならなかったアルバムだが、小生はこよなく愛する。すべてを原語で(ファリャ、ラヴェル、ドラージュは仏語、ストラヴィンスキーは露語、キムは英語)歌ったアップショー女史に拍手喝采。彼女のフランス語のディクシオンのよさにも脱帽だ。最初から飛び抜けて凄い歌手だったのだ。