音楽で本当に夏が凌げるのか。次なる銷暑法はレナルド・アーンの室内楽。
"Reynaldo Hahn: Violin Sonata, Piano Quartet No 3
and other chamber music -- Room-Music"
レナルド・アーン:
ヴァイオリン・ソナタ ハ長調 (1926)*
ソリロークとフォルラーヌ (1937)**
夜想曲 変ホ長調 (1906)***
ロマンス イ長調 (1901)****
ピアノ四重奏曲 第三番 ト長調 (1946)*****
わが歌に翼ありせば (1888)******
ルーム=ミュージック
ピアノ/スティーヴン・クームズ
ヴァイオリン/チャールズ・スワート* *** ****
ヴィオラ/井上祐子**
チェロ/フィリップ・デ・フローテ******2003年5月15、16、18日、ロンドン、ヘンリー・ウッド・ホール
Hyperion CDA67391 (2004)
→アルバム・カヴァーレナルド・アーンの室内楽がまとまって聴けるのもCD時代の功徳といえそうだ。早熟なアーンは十代でサロンの寵児として珠玉の歌曲を多作したが、後半生はもっぱらオペレッタの人気作家として活躍した──そう一括されてしまいがちだが、こうして初期から最晩年まで、さまざまに室内楽を書いていたと知ると、まだまだ知らない世界があるのだなあと無知な小生はひとりごちる。
時代的にはドビュッシー、ラヴェルから「フランス六人組」を経てメシアンに至るフランス近代音楽の目覚ましい進展期にあたるが、アーンはそんな生成発展などどこ吹く風と、反時代的なまでにロマンティックな音楽を書き、終生ベル・エポックの住人であり続けた。だから駄目というのではない、そこにこそ稀有な存在価値があるのだ、と進歩史観から解き放たれた今だからこそ評価できる。こういうディスクが出たのも20世紀が終わった証といえるかもしれない。
平明なヴァイオリン・ソナタ、ヴィオラとピアノのための独白めいた小品も心和むが、聴きものはやはり最晩年のピアノ四重奏曲だろう。すでに第二次大戦後、ブーレーズが登場する時代に、かかる馥郁たる浪漫主義が吐露されるとは驚きだ。シュトラウスの顰みに倣うなら「最後の歌」と称すべきか。そしてディスクの最後は若き日の名歌曲(のチェロ用編曲)でしみじみ締め括られる。
実に配慮の行き届いた選曲だ。「ルーム=ミュージック」すなわち室内楽という名の団体は各国の混成チームのようだが、いかにも英国らしく節度あるクールな芸風だが、真夏に聴くレナルド・アーンとしてはむしろ好もしい。少しだけ涼しくなる。
《ドビュッシー:管弦楽曲集/クリヴィヌ》
ドビュッシー:
小組曲(アンリ・ビュセール編)
神聖な舞曲と世俗の舞曲*
アルト・サクソフォーンと管弦楽のための狂詩曲(ロジェ=デュカス編)**
クラリネットと管弦楽のための第一狂詩曲***
ピアノと管弦楽のための幻想曲****
ハープ/マルギット=アンナ・ジュス*
アルト・サクソフォーン/ジャン・イーヴ・フルモー**
クラリネット/フランソワ・スーゾー***
ピアノ/ジャン・フィリップ・コラール****
エマニュエル・クリヴィーヌ指揮
リヨン国立管弦楽団1994年4月、95年8、9月、リヨン、モーリス・ラヴェル楽堂
Denon COCO-70891 (1996/2007)
→アルバム・カヴァーあまたあるドビュッシー・アルバム中でも屈指の名盤だろう。とりわけ「小組曲」の薫風のごとき清々しさはどうだ。指揮者の類い稀な音楽性とリヨンの楽団ならではの上品な音色とが絶妙なアマルガムとなって結実した。往時のアンセルメやパレーの演奏に一歩も引けをとらない。端倪すべからざるクリヴィーヌ! 日本コロムビアが世界にその実力を示した記念すべき録音プロジェクトの一枚でもある。
"L'Esprit Français -- Honegger: Pacific 231, Pastorale d'été, etc."
オネゲル:
交響的楽章「パシフィック231」
交響的楽章「ラグビー」
夏の牧歌
クリスマス・カンタータ*
ジャン・マルティノン指揮
フランス放送国立管弦楽団
バリトン/カミーユ・モラーヌ*
フランス放送合唱団*
オルガン/アンリエット・ピュイグ=ロジェ*1971年6月21日、7月1、2日、パリ、ラディオ=フランス放送局
EMI France CDM 7 63944 2 (1971/1991)
→アルバム・カヴァーマルティノンとその手兵オルケストル・ナシオナルが残した最高の成果のひとつ。冬場なら「クリスマス・カンタータ」だろうが、今の季節だから聴きものは断然「夏の牧歌」。これは絶品だ。マルティノンはモノーラル時代にラムルー管弦楽団と同曲の秀演を残しているが、それをも上回る奇蹟のような演奏。楽譜に記された「
僕は夏の曙を抱きしめた J'ai embrassé l'aube d'
été」というランボーの詩句に導かれ、まだ見ぬスイス・アルプスのひんやり肌に心地よい風を想像しながら聴く。
"Schumann: Kinderszenen, Waldszenen -- Maria-João Pires"
シューマン:
子供の情景
森の風景
ピアノ/マリア=ジョアン・ピレシュ1984年8月、ヴィルヌーヴ=レ=ザヴィニョン、カルトジオ会修道院
Erato 0630-10719-2 (1985/1995)
→アルバム・カヴァーことさら夏の風物と結びつく音楽ではないのだが、ピレシュの演奏はさながら清冽な湧き水のよう。滅多に聴くことのないシューマンだが、純度の高い演奏に心を洗われる思いがした。録音場所は真夏の南仏の修道院。暑くはなかっただろうか?
"Othmar Schoeck: Elegie op. 36 -- Andreas Schmidt"
オトマール・シェック:
歌曲集「悲歌」作品36 (1921~22)
バリトン/アンドレアス・シュミット
ヴェルナー・アンドレアス・アルベルト指揮
ムジークコレギウム・ヴィンタートゥア1997年2月27日~3月1日、ヴィンタートゥア市会堂
cpo 999 472-2 (1998)
→アルバム・カヴァー夏というより晩夏か初秋、それも人里離れた深い森を感じさせるような歌曲集。冒頭いきなり "Ich kann wohl manchmal singen, als ob ich fröhlich sei," と歌われるのに心臓が止まりそうになる。そうなのだ、シューマンの「リーダークライス」作品39 所収の「哀しみ Wehmut」と同じ詩に附曲したものだ。ただし音楽の気分はもっとほの暗く憂愁を帯びる。このシェックの歌曲集はアイヒェンドルフと、もうひとりニコラウス・レーナウのさまざまな詩篇に作曲したもの。雰囲気はどこまでもほの暗く、後期ロマン派の内省的なスタイルをなお色濃く宿す。音楽だけでもしみじみ心に沁みるが、これで独詩の意味がもっと分かったならいいだろう。