月が改まってしまったが、折角だからカラヤンの同時代音楽をもう一枚。これもボックス・セットから安価でバラ売りされていたものだ。
"Strawinsky: Apollon Musagète
- Bartók: Musik für Saiteninstrumente, Schlagzeug & Celesta"
バルトーク:
弦楽、打楽器、チェレスタのための音楽
ストラヴィンスキー:
ミューズを率いるアポロ*
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団1969年9月26日、ベルリン、ダーレム、イェズス・クリストゥス教会
1972年8月23日、ザンクト・モーリッツ、フランツェージッシェ・キルヒェ*
Deutsche Grammophon 2530 065 (1973, LP)
→LPカヴァー"Karajan 1960s: The Complete DG Recordings" CD 75 (2012, CD)
このLPは店頭で目にしたのは確実だが、これまで聴いたプロコフィエフの「第五」やオネゲルの「第二」「第三」のように愛聴しなかった──どころか買い求めもしなかった。1971年に大学に入学し、家庭教師のアルバイトを始めた関係で、多少なりとも貯えができたとはいえ、一枚二千円するLPは貧書生の身にはかなり高価だったから、よほど気に入らない限り入手には至らなかったのだ。
かてて加えて、1973年は初夏にムラヴィンスキー&レニングラード・フィルが初来日し(「最初で最後」との触れ込みだった)、秋にカラヤン&ベルリン・フィルが四度目の来日を果たした年であり、小生は前者に無暗矢鱈と大感動し(プロコフィエフ「ロミオとジュリエット」第二組曲、ブラームス「第四」、チャイコフスキー「第五」、ショスタコーヴィチ「第五」)、後者には何故かいたく失望したのだった(モーツァルト「ジュピター」、チャイコフスキー「第四」、ブラームス「第三」、ドビュッシー「海」、シェーンベルク「浄夜」、ベートーヴェン「エロイカ」)。
三年前にはあれほど心躍らせたカラヤン&ベルリン・フィルに落胆してしまうとは傲慢不遜な話だが、オーケストラの技量の卓越とは裏腹に、カラヤンの人為的な音楽設計が鼻につき始めたということだったと思う。とりわけ「ジュピター」交響曲における不自然なレガート、「エロイカ」での平板な劇的誇張には些か鼻白む思いだったのを今も忘れていない。どうしても半年前に間近に接したムラヴィンスキーの深遠壮大な芸風と比較してしまい、「所詮カラヤンは才人に過ぎない」などと生意気な感想を漏らしたものだ。全く若気の至りだったと反省する。
1908年生まれのヘルベルト・フォン・カラヤンと、1903年生まれのエヴゲニー・ムラヴィンスキーは五歳違いの同時代人だった。レニングラードに欧州の新潮流が伝わるまでのタイムラグを考慮に入れると、二人の自己形成期における音楽環境はさほど違いはしなかったかもしれない(1920年代のレニングラード・フィルにはオットー・クレンペラーやブルーノ・ワルターらが客演し、オネゲルやミヨーが来訪したほか、ベルク臨席のもと《ヴォツェック》が初演されたりもした)。
(まだ聴きかけ)