昨夜はカラヤンのプロコフィエフを聴こうとCD覆刻盤を手にした途端、四角いジャケットが時空を超える窓となって四十五年前のカール・ライスター歓迎会の現場に引き戻された。一夜明けてようやく演奏そのものを冷静に語ることができる。このプロコフィエフはとにかく途轍もなく構えが大きく、bigger then life というか、表現が恐ろしく巨大なのに驚かされる。人間業でないほどに。
20世紀ロシア音楽に対するカラヤンの姿勢はひどく慎重で、よほど自分に性が合った曲しか取り上げようとしなかった。ショスタコーヴィチだったら「第十番」のみ、プロコフィエフならばひたすら「第五番」(それにたまさかの古典交響曲と「ピーターと狼」)一本槍だったと思う。どこで読んだのかもう思い出せないが、第五交響曲を取り上げるに際しては、この曲を得意としたジョージ・セル先輩からじきじきに指導と助言を仰いだ・・・のではなかったか。とにかく満を持した末での決定版の演奏であり録音であり、どの細部にも並々ならぬ自信と確信が漲っている。
ライスターがその一員として来日した1970年5月のベルリン・フィル東京公演で、臍曲がりな小生はわざわざ「オール・フレンチ・プロ」を選択した(5月21日、東京文化会館)。ベルリオーズの「幻想交響曲」、ラヴェルの「亡き王女へのパヴァーヌ」そして「ダフニスとクロエ」第二組曲という異色のプログラム編成だったのだが、驚くべき完成度の高い超名演で、田舎の高校生は圧倒されて評す言葉がなかった。とりわけ最後の「ダフニス」では舞台上の百人の奏者が指揮者のタクトのもとで完全に統率され、あたかもカラヤンの指揮棒から音が出ているように思えたものだ。あんな凄いオーケストラ演奏は後にも先にも体験したことがない。半世紀近く経った今もとうてい忘れることのできない強烈な印象である。
懐具合の乏しい田舎の高校生にはこの一回だけ聴いて我慢するほかなかったのだが、できれば全公演を通して聴きたかった。この年の来日公演では大阪万博でベートーヴェンの交響曲の全曲演奏を披露したあと、東京では全く別の独自プログラムが組まれたのである(会場はすべて東京文化会館)。
5月16日/ブラームス「第三」「第二」
5月17日/オネゲル「第三(典礼風)」+ドヴォジャーク「第八」
5月18日/モーツァルト「嬉遊曲ニ長調 K334」+チャイコフスキー「第五」
5月20日/シューマン「第四」+シュトラウス「ツァラトゥストラ」
5月21日/ベルリオーズ「幻想」+ラヴェル「パヴァーヌ」「ダフニス」第二組曲どうです、凄いでしょう、どの日の番組も実に魅力的に編まれていて目が眩む。選り取り見取り、というか、どれかひとつとなると逡巡してしまう。そこから選りに選ってフランス音楽ばかりの日を選んだ高校生は相当に変わり者だった。
そのときさんざん迷った末に諦めたのが5月17日の演目だった。ドヴォジャークの「第八」は知る人ぞ知るカラヤンの「十八番(おはこ)」だし、オネゲルはとても珍しいレパートリー(当時まだレコードなし)だと思ったからだ。今でもこれを聴き逃したのをちょっと悔やんでいる。だから今朝はこれを心して聴こう。
"Arthur Honegger: Symphonie Liturgique - Symphonie Nr. 2"
オネゲル:
交響曲 第二番*
交響曲 第三番「典礼風」
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮
ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
トランペット/フリッツ・ヴェーゼニック*1969年8月9~11日、ザンクト・モーリッツ、フランツェージッシェ・キルヒェ*
1969年9月23日、ベルリン、ダーレム、イェズス・クリストゥス教会
Deutsche Grammophon 2530 068 (1973, LP)
→LPカヴァー"Karajan 1960s: The Complete DG Recordings" CD 77 (2012, CD)
昨晩のプロコフィエフもそうだったが、このCDは最初に出たLPをそのまま、収録曲を変えずアルバムのカヴァー・デザインや裏面のライナーノーツまで忠実に覆刻したものだ。カラヤンが1960年代にドイツ・グラモフォンで録音した全アルバムを八十二枚の覆刻CDに収めた箱物に含まれる一枚。
最近たまたま数点をバラで入手したので愛聴している。これまでのCDでは収録時間を延ばすためフィルアップ曲が加えられ、ジャケット・アートも差し替えられていた。往時を懐かしむ気持ちもたしかにあるが、やはりアルバムは元のままの姿で鑑賞するのが好もしいあり方だ。少なくともカラヤンはそれを望むだろう。
当時は全く知らなかったが、カラヤンはオネゲルの「第二」と「第三」を1950年代前半からときおり指揮していた。「フランス六人組」の音楽とは殆ど全く接点をもたなかった彼も、重厚な響きと対位法的な書法でバッハ回帰を目指すオネゲルの交響曲には親近性を覚えたのであろう。「第二」は1953年にトリーノの放送局オーケストラや(当時シェフだった)ウィーン交響楽団の演奏会で取り上げ、「第三」は54年にウィーン響とローマの放送局オーケストラで振ったあと、55年ルツェルン音楽祭で披露し、56年から57年にかけてベルリン・フィルとしばしば演奏し(57年のザルツブルク音楽祭の実況録音がCD化された)、66年以降は晩年までベルリン・フィルの定期や旅公演で頻繁に取り上げた。完全に彼のレパートリーの一曲と化していたからこそ、70年の日本公演でも満を持して演奏したのだ。
当時のカラヤンの録音スケジュールは極めて合理的。別荘のあるサン・モリッツで過ごす夏季休暇の合間、弦楽アンサンブルを招集して小編成のバロック・古典音楽を録音する。この年もアルビノーニのアダージョやパッヘルベルのカノンなどの名曲集を仕上げた翌日から同メンバーで、弦楽合奏のためのオネゲルの「第二」をまずレコーディング。収録にたっぷり三日も費やしているのは、ベルリン・フィルにとって不馴れな楽曲だったからだろう。そのあと8月後半にはカラヤンは単身ザルツブルクに乗り込み、音楽祭で《ドン・ジョヴァンニ》を演出・指揮、演奏会ではウィーン・フィルとブルックナー「第五」、パリ管弦楽団と「幻想」をやった。そして休み明けのベルリン・フィルをいつもの録音場所(イェズス・クリストゥス教会)に集め、首席奏者ローター・コッホを独奏者にR・シュトラウスのオーボエ協奏曲を録音(9月20~22日)したあと、オネゲルの「典礼風」交響曲に取りかかり、僅か一日(9月23日)の録音セッションで仕上げている。カラヤンと彼の手兵がこの難曲をすでに完全に手中に収めていたことを如実に物語る。
久しぶりにLPと同じカップリング曲目のまま、同じジャケットを眺め、同じライナーノーツを拾い読みしつつ傾聴。
どちらも怖いほどの名演だが、「第二」にはシャルル・ミュンシュが指揮した白熱の演奏記録(戦時下のパリ音楽院管弦楽団、戦後すぐのボストン交響楽団、最晩年のパリ管弦楽団との正規録音のほか、各地での実況録音が残る。先般CD化されたモスクワ・ライヴも肺腑をえぐるような凄演)があるので、さしものカラヤンも些か分が悪いが、小編成の弦楽合奏をたっぷり響かせ、緊張と弛緩の振幅の大きな演奏はやはり並ではない。惜しむらくは最後のトランペット独奏が喨々たる感動的な響きを欠くことだ。その点がちょっと残念。
だがなんといっても特筆すべきは「第三(典礼風)」だろう。その途方もない苛烈さ、壮絶さに言葉を失う。第一楽章冒頭の吹きすさぶ嵐の如き仮借なき展開。第二楽章の苦衷に満ちた真摯な叫び。全曲締め括る深い諦念とも微かな希望ともつかぬ夢うつつの終結部(フルートはゴールウェイ、ヴァイオリンはシュヴァルベか)。絶頂期にあったベルリン・フィルの演奏能力を最大限に引き出すカラヤンの指揮術は変幻自在、まさしく秘術を尽くしたものだ。これを生演奏で聴いたら打ちのめされ、椅子から立ちあげれないだろう。
上にざっと記した演奏歴からも察せられるように、この交響曲に対するカラヤンの執着の深さには並々ならぬものがあり、数多い実演体験から曲の隅々まで知り尽くした者ならではの確固たる自信と深甚な洞察に貫かれた解釈が披歴される。この曲を最も頻繁に指揮したのは恐らくアンセルメだろうが、演奏の完成度と譜読みの鋭さにおいてはカラヤンの敵ではなかろう。もう長いこと耳にしていないが、唯一ムラヴィンスキーが1965年にモスクワ音楽院で指揮した実況録音のみが、辛うじてこれに匹敵する精神の強靭を保っていたように思う。どこかで読んだように記憶するが、カラヤンは「実演のあと精も根も尽き果て、抜け殻のようになってしまう音楽」の例として、シュトラウスの《エレクトラ》やマーラーの「悲劇的」交響曲とともに、この「典礼風」を挙げていたと思う。まさにそのとおりの演奏実践がこうして完璧な形でアルバムに刻まれたことに感謝したい。やはりカラヤンは20世紀を体現した偉大な指揮者だった。