ちょっと近所に散策に出たら、直射日光をくらって頭がクラクラする。まるで梅雨が明けてしまったかのような陽気である。昨夜の雨で濡れた地面から水蒸気が一気に蒸発するのだろう、蒸し暑さも半端でない。小一時間歩いたらひどく草臥れてしまった。こういう日は家でゆっくり過ごすに限る。
先日の「エドワード・アーディゾーニ展」の余韻を今もしみじみ反芻している。アーディゾーニに関する限り、小生は単なる傍観者に過ぎず、その余りにも膨大な仕事(1972年に Brian Alderson が編んだ作品リストには彼の挿絵本が百五十一点も列挙される)に圧倒され、そのインティメイトな魅力を好もしく感じつつも、「どれもこれも同工異曲だなあ」と敬して遠ざける気味があったと思う。
1993年に初めて足を踏み入れて以来、ロンドンには足繁く通い、大がかりな挿絵本フェアや街角の古本屋でアーディゾーニの仕事も少なからず目にした(肉筆のペン原画もよく売りに出ていた)。ただし小生の眼は専ら戦前のロシア絵本に注がれていたから、アーディゾーニの挿絵本は横目で見ながら素通りするばかり。さすがにフィリッパ・ピアスの『
ミノー号のぼうけん(ハヤ号セイ川をいく)
Minnow on the Say』(1955, OUP)の初版本(
→これ)には食指が動いたが。
このほかに英京で手にした挿絵本は、前にも紹介したブリテンの子供オペラから派生したエリック・クロージアの『
《オペラを作ろう》の物語 The Story of Let's Make an Opera』(1962, OUP
→これ)くらいだろう。ほかに子供向けの挿絵本には一顧だにしなかった──と、そう書きかけたところで書棚の片隅を再度まさぐったら、あったあった、ありました、こんな小型の袖珍本(しんちんぼん)と呼びたくなる一冊が。縦16センチ、横10.5センチほどの可愛らしい絵入り童話。
Nurse Matilda Goes to Town
by Christianna Brand
illustrated by Edward Ardizzone
Brockhampton Press
1967 →表紙カヴァーどこの店で入手したのか、恐らくはチャリング・クロス・ロードから入った路地セシル・コートのマーチペイン書店ではなかったかと思うのだが、ふと目にするなり、これが矢川澄子さんの訳された『ふしぎなマチルダばあや』の続篇と気づいて、一も二もなく手に取ったのだろう。その後こちらも邦訳が出たと記憶する。
まだあった。同じく小型本だがいっそう小さく、14×10.5センチだから袖珍本と豆本の中間サイズといったところ。これまた愛くるしいほどの魅力を放つ。
Hey Nonny Yes
Passions and Conceits from Shakespeare
assembled by Hallam Fordham
illustrated by Edward Ardizzone
The Saturn Press
1947 →表紙カヴァーこれは童話ではなく、シェイクスピア作品から名科白を拾い集めた大人向けの「お楽しみ本」。二色のチョーク素描が十六図入るが、すべて同時代に観察された卑近な市井風俗ばかり。つまり現代的に再解釈したシェイクスピア警句集という趣向である。諷刺画の色合いがことのほか濃く、アーディゾーニの人間観察の鋭さが偲ばれる興味深い一冊(上述のオルダーソンのチェックリストでは No. 17)。
まだまだあった。こちらは僅か四頁の薄冊パンフレット。
Christmas Eve
by C. Day Lewis
illustrated by Edward Ardizzone
Ariel Poem (new series)
Faber and Faber
1954 →表紙と封筒柿色の表紙に文字だけの無愛想なパンフが、同じく無愛想な水色の事務封筒に入っている。古本屋での売価も五ポンドと低廉。だが中身は素晴らしい。セシル・デイ・ルイスの心温まるクリスマス詩にアーディゾーニが三図を寄せる。いつか誰かへのクリスマス・プレゼント用にと買い求めた筈なのに、その機会を逸して未だ我が手許にある。オルダーソンのリストでは番外扱い("A Miscellany" のA3)。
まだまだまだあった。秘蔵する飛び切りの逸品が。
最後に真打ち登場、というほど大仰なものではないが、アーディゾーニが手がけたエフェメラ中のエフェメラを紹介しよう。因みに「エフェメラ ephemera」とはビラやチラシのような果敢ない紙片のことを指す古書業界用語である。
Birthday Greetings Telegram
designed and illustrated by Edward Ardizzone
GPO [The General Post Office]
1967 →こんな電報告白すると実はこのようなエフェメラを架蔵すること自体すっかり失念していた。ところが6月上旬にカ・リ・リ・ロさんが彼女のブログ記事「電報局員」(
→ここ)でこの誕生日用の祝電について触れていて、「おや、その電報だったらたしか現物がうちにもあった筈だ」と思い出し、棚の片隅から発掘した次第。
アーディゾーニの父親は電報会社の職員だったから、この絵入り電報は頼まれ仕事とはいえ、カ・リ・リ・ロさんが推察したとおり、「
電報会社に勤務していた父へのオマージュの込められた一枚のイラストだとも思え」るのだ。因みにこの仕事は何故かオルダーソンのチェックリストから漏れており、その正確な刊行年は彼女の記事の「
この電報用紙は、1967年1月16日から1975年4月28日まで使われたようです」という一節に拠った。
アーディゾーニは二つ折の電報本体の表裏両面に加え、配達用の封筒までデザインしているが、こうした実用的エフェメラの常で、完好な状態で残るものはそう多くはなかろう。小生のは封筒とも新品同様の未使用品なのが嬉しい。
手に取って矯めつ眇めつ眺めていたら、封筒の隅っこに鉛筆で価格が書き込まれていて、それが思いのほか高額であるのに吃驚した。小生が買い求めたアーディゾーニ作品のなかで桁違いに値が張るのである。どういうことなのか・・・と畳まれた電報を開いてみて、おゝと小声で叫んでしまった。中面の電文を添付する箇所には "Specimen" (見本)の印が捺されており、その上の余白には流暢なペン書きで "With best wishes from Edward Ardizzone" と記されているではないか。これは作者の直筆署名入りエフェメラなのだ。高価なのも宜なる哉。
今やっと思い出したのだが、このエフェメラを手にしたのはチャリング・クロス・ロード脇の小路セシル・コートにあった初版本専門店「ナイジェル・ウィリアムズ・レア・ブックス」でのことだ。この書店の一郭には絵本と児童書のコーナーがあり、そこの壁に目立つように掲げてあった光景が朧げながら脳裏に蘇った。そのとき、たしか店主と少しだけ会話して(「これは珍しいものですね」「そうさ、状態のよいものは滅多にない。おまけに署名入りだ」云々)思い切って購入を決めたものだ(旅先なので財布の紐は緩みがち・・・)。1990年代の終わり頃だったと思う。
とても親切で物静かで紳士的な店主だった。ずっと後になって知ったのだが、この
ナイジェル・ウィリアムズ Nigel Williams 氏はギルドホール音楽学校で学んだプロフェッショナルのバス・バリトン歌手なのだそうで、本業の声楽の傍ら、もうひとつの愉しみとしてこの古本屋を営んでいたらしい。今しがた調べて判ったことだが、彼は2010年のクリスマス・イヴに四十八歳の若さで早世した由。店もほどなく閉店したそうだ。このエフェメラは彼とその店を偲ぶ唯一のよすがとなった。