原稿の締切が刻一刻と迫っているというのに、昼食後たまたま家人が点けたTVで《ロング・グッドバイ》が始まった。そうなるともう抗うことができず、DVDで架蔵するにも拘らず、家人と一緒に最後まで観てしまう。ノンシャランのようでいて繊細で綿密な、微に入り細を穿つロバート・アルトマン監督の演出の冴えに唸るばかりだ。チャンドラー崇拝者は口を揃えてこの映画は駄目だという。和製ハードボイルドの総元締め矢作俊彦は「
アルトマンの《ロング・グッドバイ》は口にするのも腹が立つほど嫌ってきた」と公言して憚らず、稀代の見巧者であるはずの十河進すら「
結末の改変は許せなかった」「
アルトマン監督の映画では、マーロウとテリー・レノックスの友情は描かれない。・・・
そのことを踏まえなければ、映画化は失敗する」と語気鋭く弾劾した。なるほど御説御尤も。原作への忠実度という点で、この映画は完全に失格なのだ。だがしかし、それを認めたうえでなお、この映画こそは(予想もつかぬ独自のやり方で)ハードボイルドの精神を貫いた、と小声でぽつり呟きたい思いに駆られる。映画のなかのフィリップ・マーロウは骨の髄まで優しい心根の持ち主として描かれる。愛猫のためなら深夜に缶詰の餌を買いに走り、窮地に陥った友人の頼みごとには嫌と云えない男なのだ。旧友の宮崎は昔こう喝破したものだ。「
あんないい奴を裏切ったテリー・レノックスは死ぬしかない」と。