「ブルーズの王様」B・B・キングの訃報が伝えられた。享年八十九というから大往生というべきだろう。遠い昔、生ステージに接した憶えがある。場所は間違いなく日比谷の野音だったのだが、はてさて、いつのことだったか、もう記憶は曖昧だ。
古いファイルを引っ張り出してみたら、ほおら、やっぱりそうだ、論より証拠、当日のチケットが出てきた。文面をそっくり丸写ししよう。
'78 SPRING CARNIVAL
4/23(日)開演2:30
日比谷野外音楽堂
出演 ハイ・タイド・ハリス/大上留利子&スパニッシュ・ハーレム/花伸/永井隆&ブルーヘブン/ブレイクダウン
スペシャルゲスト B.B.キング& HIS SPECIAL BAND
■主催・制作:サウスポイント・ミュージック
前売:¥2,000
ご覧のとおり、確かにB・B・キングが名を連ねている。大御所の登場とあって、お祭り気分のノンシャランな「スプリング・カーニバル」らしからぬ、いつもとは違った緊張と昂奮が会場に漂ったのと、とてもタイトな演奏と渋い歌唱だったという印象が残るが、もう三十七年前のこととて深い霧の彼方で朧げにしか思い出せない。終わり近くに日本の若手ブルーズメン(この日の前半に出演した面々、恐らく吾妻光良や近藤房之助ら)も加わって熱っぽいセッションに雪崩れ込んだ・・・ような気がするが、脳内で記憶が美化され捏造されているかもしれない。
あの時点ですでにBBはかなりお歳を召しているように思えたものだが、考えてみると彼は当時まだ五十二歳の働き盛り。それでも二十代半ばだった若造の眼には相当な高齢者と映ったのだろう。
記憶が混濁しているのはわが老齢の故だが、ほかにも理由がある。小生はこの年を含め1976、77、78年と三年続けて日比谷野音の「スプリング・カーニバル」に足を運んだものだから、個々の思い出がごっちゃに入り混じってしまったのだろう。手許に残るチケットやチラシを手がかりに、各回の概要を書き起こしてみる。
1976年4月18日(日) 午後2時30分~
Spring Carnival Concert
主催/CALB (カルブ音楽工房)
出演/
ウィーピング・ハープ・セノオ&ローラー・コースター/金子マリ&バックスバニー/久保田麻琴と夕焼け楽団/ソー・バッド・レヴュー/ウエストロード・ブルース・バンド (*この年の出演者についてはネット情報の助けを借りた)
1977年4月29日(祝)午後2時30分~
スプリング・カーニバル SPRING CARNIVAL CONCERT
主催/ギンガム、カルブ音楽工房
前売/¥800 当日/¥1,000
出演/
山下達郎グループ/チェイン・ギャング+ウィーピング・ハープ・セノオ(永井隆、吾妻光良、中村哲、近藤大、小堀正、松本輝男、妹尾隆一郎)/久保田麻琴と夕焼け楽団/山岸潤史スーパーグループ(山岸潤史、国府輝幸、鳴瀬喜博、ジョニー吉長)/サディスティックス(高中正義、今井裕、後藤次利、高橋幸宏)
1978年4月23日(日) 午後2時30分~
'78 SPRING CARNIVAL
主催・制作/サウスポイント・ミュージック
前売/¥2,000
出演/
ハイ・タイド・ハリス/大上留利子&スパニッシュ・ハーレム/花伸/永井隆&ブルーヘブン/ブレイクダウン/スペシャルゲスト B・B・キング& HIS SPECIAL BAND 見てのとおり、各年の出演者が重複しており(ウエストロード、チェインギャング、ブルーヘヴンと、永井隆のバンドは三年連続して出演)、きれぎれに脳裏に浮かぶ断片的な光景がどの年のものなのか判断がつきかねるのだ。
だがこうして列挙してみて初めて鮮明に蘇った記憶もある。あの忘れがたく衝撃的な「ソー・バッド・レヴュー」との遭遇は1976年の「スプリング・フェスティバル」時の出来事だった。そもそも短命だったこのバンドは同年限りで解散してしまうから、これ以外に邂逅の機会はあり得ないからである。幸いにも、客席で誰かがこっそり収録した実況録音がYouTubeで聴ける。
→ソー・バッド・レヴュー「イントロダクション」→ソー・バッド・レヴュー「最後の本音」→ソー・バッド・レヴュー「何処へ行った」→ソー・バッド・レヴュー「かたつむり」(前半)→ソー・バッド・レヴュー「かたつむり」(後半)→ソー・バッド・レヴュー「r (リトル・アール)」小生が間近に居合わせたのは、まさにこの演奏だったと三十七年後の今もはっきり断言できる。それくらい強烈無比な体験だったのである。凄かったなあ、彼らのライヴは。砂川正和の直截なヴォーカルが文句なしに素晴らしい。
翌77年にはそのソー・バッドすでになく、後継バンド「山岸潤史スーパーグループ」が登場した筈だが、どういう訳なのか明瞭な記憶は残らない。
唯一この年の「スプリング・カーニバル」で思い出されるのは、途中で雨が降り出し、土砂降りになって演奏が中断されたことくらいだ。これでは中止やむなしと思えたが、主催者は愚図愚図して決断を下せず、そのまま観客は客席に留まるのを余儀なくされた。無為の膠着状態を見るに見かねて、出演者のウィーピング・ハープ・セノオこと妹尾隆一郎がひとり舞台に進み出て、ずぶ濡れになりながら面白おかしく漫談(?)で客席を和ませた(たしか野球拳の真似事までしたと思う)。その天晴なエンターテイナーぶりに感服させられたものだ。
雨はそのまま降り続け、結局コンサートは中途で打ち切りとなった。トリのバンド「サディスティックス」の出番はなかったような気がする。77年の「スプリング・カーニバル」で辛うじて甦るのは土砂降りの記憶だけだ。手許のチケットに汚れた濡れジミが明瞭に残っているのは、この日の大雨の何よりの証左だろう。
追記】 旧友
おらがから懇切なメールがあり、出演バンドの名称に誤記があるとの指摘。なるほどそうだ、慌てて訂正した。この記事にはほかにも思い違いや誤りが少なからず含まれるのではないか。識者のご教示を俟ちたい。
更に追記】 この次の記事に記したように、新資料が発掘されて1977年の「スプリング・カーニバル」雨天中断の顛末が明らかになった。それによると後半の山岸潤史スーパーグループとサディスティックスの出番はなかった由。道理で「
どういう訳なのか明瞭な記憶は残らない」筈だ。小生の耄碌のせいぢゃなかった!