前稿も前々稿も書き終えていないのだが、今日が
スヴャトスラフ・リヒテルの百回目の誕生日だと今ようやく知らされた。知ってしまった以上は、何か記念に聴かないと気が済まなくなる。とりあえず棚から転がり出たディスクをかけよう。
"Sviatslav Richter/ Recital 1970"
バルトーク:
十五のハンガリー農民歌
シマノフスキ:
三つの「仮面劇」 より
■ シェエラザード
■ 道化タントリス
プロコフィエフ:
ソナタ 第七番
(アンコール)
プロコフィエフ:
円舞曲 ~《戦争と平和》
ピアノ/スヴャトスラフ・リヒテル
1970年9月3日、大阪、フェスティバル・ホール(実況)
Fachmann für Klassischer Musik FKM-1055 (2012, CD-R)
出所の怪しい海賊盤ではあるが、初来日したリヒテルの演奏会初日を記録した貴重な実況録音である。当日の演奏はNHKが収録し、後日TVとFMで放送した。本ディスクはおおかたFMのエアチェック音源を元にしたものだろう。
1970年の大阪万博に際し、半年間にわたり繰り広げられた空前の来日演奏家ラッシュのなかでも、ひときわ話題を呼んだのがこの「幻の巨匠」の登場だった。公式記録によれば当夜リヒテルは冒頭まずシューベルトのソナタ(ハ短調、D. 958)を奏し、アンコールではほかにプロコフィエフの小品集(作品95)から「風景」、ドビュッシーの「映像」第二集から「葉むらを渡る鐘の音」を弾いたという。
小生はこの晩の演奏を三日後の9月6日夜、NHK教育TVで観た、と手許に残る当時の手控帖にある。放映されたのはバルトーク、プロコフィエフ、そしてアンコールの一曲だけだったが、そのとき受けた強烈な印象は今も脳裏の奥深くに刻まれている。とりわけ凄まじかったのはプロコフィエフの第七ソナタ。最初から最後まで息もつかせぬ緊迫感の連続に、文字どおりブラウン管に釘づけになった。強靭な打鍵が間断なく繰り出されるさまを、ただ茫然と眺めていた気がする。
どっと沸き起こった盛大な拍手に、リヒテルが片手を胸にやりながら、嬉しいというよりも、むっつり顰め面めいた、ちょっと困惑したような表情で応えたものだ。どことなく晩年のムンクが描いた無愛想な自画像に似ているぞ、とそのとき思った。
その月末(9月27日)と翌月末(10月25日)とに、NHK・FMの定例番組「音楽時評」で、当時の評論家たちがこもごもリヒテルを評して語った言葉が手控帖に走り書きでメモしてあったので、ここに書き写しておこう。
■ 遠山一行/大変に純粋な芸術家。純粋な即興性を発揮した。
■ 吉田秀和/彼は音楽に対する自分の気持ちを表現している・・・感情的な演奏であり、ポエティックなものは少ない人かと思う。
■ 野村光一/リヒテルは音楽しかやっていない。なんでもできるピアニストだ。
■ 大木正興/どの作曲家にもピタッと同体になってしまう。
■ 遠山一行/ヴィルトゥオーゾでありながら、あれほどの音楽になっているとは!
■ 野村光一/彼のピアノには論理性はなく、感性と本能で弾いている。
■ 中島健蔵/天衣無縫とはあのことだろう。
■ 吉田秀和/速いところと遅いところのコントラストが強く、しかも互いになんの媒介もない。ほとんどそれはオブセッションであるほどだ。
いずれも断片的な感想ながら、幻のピアニストを初めて目の当たりにした者たちの衝撃の大きさが偲ばれる評言である。