2015年とはいかなる作曲家のアニヴァーサリー・イヤーなのか考えてみたら、疾うにあちこちのサイトで調べ尽くされ、詳しい結果がリストアップされている。いやはや便利な時代になったものである。
生誕百五十年を迎えるのが
アレクサンドル・グラズノーフ、
ジャン・シベリウス、
カール・ニルセン、
アルベリック・マニャール、
ポール・デュカ。生誕百年目にあたるのは
マルセル・ランドフスキ、
ヴィンセント・パーシケッティ、
デイヴィッド・ダイアモンド、
戸田邦雄、
ゲオルギー・スヴィリドフ。古いところでは
クリストファー・ギボンズ(オーランドの息子)が生誕四百年、
ゲオルク・クリストフ・ヴァーゲンザイルが生誕三百年という。
歿後百周年にあたるのは
アレクサンドル・スクリャービンと
セルゲイ・タネーエフ。歿後五十周年が
エドガー・ヴァレーズと
ヘンリー・カウエルと
山田耕筰。とまあ、ざっと、こんなところである。
それなりに大家が含まれぬわけではないが、総じて渋い顔ぶれだし、小生にとっては縁遠い名前ばかり並んでいて、正直なところあまり食指が伸びない。生身のプロコフィエフと遭遇した体験をもつ山田耕筰と戸田邦雄が共に名を連ねているのにはちょっと心惹かれるが。
然らばと、往年の演奏家に目を転じてみると、こちらは実に錚々たる陣容である。2015年に生誕百年を迎えるのは
カール・ミュンヒンガー、
ランベルト・ガルデッリ、
エットレ・グラチス、
チャールズ・グローヴズ、
フェリックス・スラットキン、
ディーン・ディクソン(以上指揮者)、
スヴャトスラフ・リヒテル、
モニク・ド・ラ・ブルショルリ、
アール・ワイルド(以上ピアノスト)、
ヴォルフガング・シュナイダーハン(ヴァイオリニスト)、
ジャック・ブライマー(クラリネット奏者)。名歌手
エリーザベト・シュヴァルツコップと
マリオ・デル・モナコ。もっと驚かされるのは、
エディット・ピアフと
ビリー・ホリデイと
フランク・シナトラと
マディ・ウォーターズが揃いも揃って1915年生まれだという。まさに目も眩むような凄い面々だ。
かてて加えて、一時代を劃した名指揮者
デジレ=エミール・アンゲルブレシュトと
ハンス・クナッパーツブッシュがどちらも歿後五十周年を迎えるそうな。
世紀の大巨匠から燻し銀の名手まで多彩な顔ぶれにちょっと眩暈がしそうだが、なあに慌てることはない。じっくり一年かけて追想すればいいだけの話だ。今日のところは手近なところで目に留まったディスクを何枚か手始めにかければいい。
カール・ミュンヒンガー Karl Münchinger (1915~1990)は1950~60年代にはバロック演奏の権威として自他共に認める大家だったのだが、古楽器演奏の擡頭に押されて晩年は急速に名声を失った。後続世代のジャン=フランソワ・パイヤール、レイモンド・レパード、クラウディオ・シモーネらと共に、不運な星の下に生まれた先駆的な(というか過渡期の)指揮者だった。
しかしながら、歴史的な役割を終えたからといって、その音楽性まで全否定してしまうのはどうかと思う。忘れてしまうには余りにも惜しい真摯な芸風なのである。
"Joseph Haydn: Symphonien Nr. 45 & Nr. 92"
ハイドン:
交響曲 第四十五番「告別」
交響曲 第九十二番「オックスフォード」
カール・ミュンヒンガー指揮
シュトゥットガルト室内管弦楽団1980年頃、シュトゥットガルト(?)
Intercord 820.724 (1988)
→アルバム・カヴァー活動期の終わり近く、すでにデッカ社との契約も切れて表舞台から去りつつあるミュンヒンガーが手兵と共に遺した置き土産。「オックスフォード」は多分これが唯一の録音、「告別」はほかに古いモノラル盤があるのみだから、それなりの存在意義がある。生真面目にインテンポを守る旧世代の演奏ながら、小編成の隅々にまで配慮の行き届いた堅実な解釈。時おり取り出して聴き直す価値は充分にある。
お次は
フェリックス・スラットキン Felix Slatkin (1915~1963)。これまた忘却の淵に沈んだ往年の指揮者であり、今や同じ道で大成したレナード・スラットキンの父親として僅かに名を留めるのみ。ウクライナ移民の子としてセントルイスに生まれ、ヴァイオリン奏者として映画スタジオで活躍、ハリウッド弦楽四重奏団を結成したほか、指揮者としてはハリウッド・ボウルを拠点とした。
こうした経歴からポップス寄りの指揮者としてともすれば軽視されがちな存在だったし、五十歳を待たず早逝し、録音時期がモノーラルからステレオへの移行期だったことも手伝って、なおのこと影が薄らいだ。
"Full Dimentional Sound -- Grieg & Ippolitoff-Ivanoff -- Slatkin"
グリーグ:
「ペール・ギュント」組曲 第一・第二番*
ドビュッシー(ビュセール編):
小組曲**
ディーリアス:
春に郭公の初音を聴いて***
イッポリトフ=イワノフ:
コーカサスのスケッチ****
フェリックス・スラットキン指揮
ハリウッド・ボウル交響楽団* ****
コンサーツ・アーツ管弦楽団** ***1955年12月4、5日*、16~18日** ****、ハリウッド、サミュエル・ゴールドウィン・スタジオ、第七ステージ
1952年9月11日、ハリウッド、キャピトル・メルローズ・スタジオ***
EMI CDM 67099 (1999)
→アルバム・カヴァーこれは小生の手許にあるフェリックス・スラットキンの唯一のCDだと思う。元々は三枚のLPからなり、グリーグとイッポリトフ=イワノフで一枚(
→これ)、ドビュッシーは「子供の領分」とで表裏をなし、「春を告げる郭公」はディーリアス・アルバム(
→これ)からのピックアップ。どれもモノーラル収録なのが残念だが、スラットキンの芸風を知るには重宝なコンピレーション・アルバムだ。
映画音楽の収録で腕を磨いた奏者たちは、たっぷり表情豊かに歌う。出自を問わずどの曲も等し並にムーディな音楽に流れがちな傾向はあるものの、色彩感にも表現力にも不足はない。とりわけ心に残るのはドビュッシー「小組曲」での人懐っこい味わいと、ディーリアスでの郷愁をそそる繊細な歌心だ。当時のハリウッドの映画音楽と、この二人の作曲家の音楽とはどこか親近性があるのだろう。スラットキンのディーリアス・アルバム全体が覆刻されないのは残念な気がする。
真打ちは
デジレ=エミール・アンゲルブレシュト Désiré-Émile Inghelbrecht (1880~1965)。ドビュッシー演奏のスペシャリストとして永く仏楽壇に君臨し、今なお神格化される名指揮者だ。なにしろ《聖セバスティアヌスの殉教》(1911)の世界初演時に作曲者から合唱指揮を委ねられたほどの人なのだ。
ただし今日はちょっと捻くれて、彼が振った珍しいフォーレを聴こう。いとも馨しきオペラ《ペネロペ Pénélope》──正規盤は存在しないので、50年代の放送録音からの覆刻である。LP時代から知る人ぞ知る名演として密かに珍重されてきた。
"Fauré: Pénélope"
フォーレ: 歌劇《ペネロペ》
ペネロペ(ソプラノ)/レジーヌ・クレスパン
ウリュッセス(テノール)/ラウル・ジョバン
エウリュマコス(バリトン)/ロベール・マサール
エウリュクレイア(メゾソプラノ)/クリスティアーヌ・ゲロー
クレオネ(メゾソプラノ)/マドレーヌ・カニャール
メラント(ソプラノ)/フランソワーズ・オジェアス
アルカンドラ(メゾソプラノ)/ジュヌヴィエーヴ・マコー
フュロ(ソプラノ)/ニコール・ロバン
エウマイオス(バリトン)/アンドレ・ヴェシエール
アンティノス(テノール)/ジョゼフ・ペーロン
ラエルテス(テノール)/ミシェル・アメル
クテシポス(バリトン)/ベルナール・ドミニー
ピサンデル(バリトン)/ピエール・ジェルマン ほか
デジレ=エミール・アンゲルブレシュト指揮
フランス放送国立管弦楽団・合唱団1956年5月24日、パリ、シャンゼリゼ劇場(実況)
Cantus Classics 5.00851 (2CDs, 2006)
→アルバム・カヴァー