いかん、今年もいよいよ今日限り、というような切迫感がまるでない大晦日だ。奉職していた頃とは違って、年末も年明けもいつもと寸分違わぬ日常がただ淡々と続くばかり。門松もお供え餅もお節料理も年賀状も紅白歌合戦も除夜の鐘までも何もかもが縁遠い、ひっそり静まりかえった千葉海浜の大つごもり。
とりあえず師走に入ってから読み耽った諸書をここに列記しておこう。いつものように単なる私的な備忘録として。
アンリ・トロワイヤ
小笠原豊樹 訳
仮面の商人
小学館文庫
2014 →書影
この2日に亡くなった小笠原豊樹=岩田宏さんの(生前刊行されたものとしては)最後の訳業。珍しくも小学館文庫から出た。これが初出だそうだ。
アンリ・トロワイヤはかなり昔ピョートル大帝やらエカチェリーナ女帝やらの大部な伝記を読んだきりで、純然たる小説はこれが初めて。訳者の訃報に接した直後、たまたま早稲田の書店の新刊棚で見つけ、追悼の意味から手に取った。ところがどうだ、これが面白いのなんの!
20世紀前半のパリで人知れず小説を書き綴る無名作家と、彼の周囲に渦巻く人間模様(第一部)。失意のうちに世を去った彼には歿後の栄光が待ち受けており、その甥が関係者を訪ね歩いて評伝執筆に挑む(第二部)。そして待ち受ける、思いもよらぬ結末(第三部)。百数十頁を費やしたバルザック風の第一部、現代を舞台に手際よく七十頁で綴られる第二部、そして読者の予想を心地よく裏切る、たった十数頁の第三部──意図的にアンバランスなこの三部構成を含め、すべてが周到に仕組まれ、巧みに叙述されている。
恐るべしトロワイヤ。この老大家に着目した小笠原豊樹の慧眼にも脱帽だ。
アンリ・トロワイヤ
小笠原豊樹 訳
サトラップの息子
草思社
2004 →書影アンリ・トロワイヤ
小笠原豊樹 訳
クレモニエール事件
草思社
2004 →書影
アンリ・トロワイヤ
小笠原豊樹 訳
石、紙、鋏
草思社
2004 →書影
『仮面の商人』ですっかり小笠原豊樹訳トロワイヤ小説の魅力の虜となり、急ぎ取り寄せた三作をたて続けに読了。いやはや、どれもこれも近来稀にみる面白さで魅せられた。とりわけ『サトラップの息子』──亡命ロシア少年を主人公にした半自伝的小説(むしろ、そう偽装されたフィクション)──は巻を措く能わざる面白さと心憎いほどの創意工夫に一読三嘆した。
物語を巧緻に紡ぎ出すトロワイヤの才能と、それを完璧に日本語化する小笠原の練達との、いとも幸福な出逢い。これら三作の邦語訳に原作者が寄せた序文の一節「
作者がこれらの物語を特に日本の読者に宛てて、直接、日本語で書いたかのように感じてくれるかもしれない」という期待が見事なまでに成就した。
エーリヒ・ケストナー
小松太郎 訳
人生処方詩集
岩波文庫
2014 →書影往年のドイツ文学者で名翻訳家の小松太郎が訳出したケストナー詩集の文庫版だったら「ちくま文庫から同名の詩集が疾うに出てるぢゃないか」と云うなかれ。あちらは1952年に出た創元社版『
抒情的人生處方詩集』の再刊、今度の岩波文庫版は1966年に角川文庫で出た改訳版『
人生処方詩集』を底本とする。トロワイヤ『仮面の商人』と一緒に早稲田の新刊書店でたまたま見つけたもの。じっくり読み較べたわけではないが、両者は修辞にかなり異同があり、容易に優劣はつけ難いものの、ケストナー愛好者ならば須らく両方を手許に置いて常時服用すべし。
遠山一行
芸術随想
彌生書房
2003 →書影
やはり今月に訃報が伝えられた音楽評論家の晩年の(最後の?)エッセイ集。九歳年長の吉田秀和が長生きしたため常にその後塵を拝する感があったためか、半世紀に及ぶキャリアの割に評論家としての存在感がひどく弱い。その長逝を知った直後に御茶ノ水の中古レコード店で本書を見つけ一読したら、故人の印象が稀薄だった理由が何となく判ったような気がした。
戦後ほどなく渡欧してコルトーとフルトヴェングラーの至芸に接した遠山さんは、そのとき会得した「演奏芸術における精神性の発露」に愚直なまでに拘った挙句、カラヤンは勿論のこと、ミケランジェリもグールドもブレンデルすらも「マニエリスティックな演奏家」として忌避し全否定した。永く演奏会評に携わりながら遂に時代の伴走者たりえず、自らの旧式の美学に殉じた形であり、そこに評論家としての矜持と不毛があったのだと思う。類い稀な知見と透徹した感性とを併せ持つ優れた文章家だっただけに勿体ないことだ。
遠山さんの本当の偉大さはこれらの文章ではなく、もっと別のところにあった、というのが小生の考えなのだが、それについてはいずれ一文を草するつもりだ。
レイ・ブラッドベリ
小笠原豊樹 訳
太陽の黄金(きん)の林檎 [新装版]
ハヤカワ文庫SF
2012 →書影
大晦日に富士見台の香菜軒を訪ねた際、帰りしな駅前の新刊書店で拾い上げて、復路の車中で読み耽った名作の名訳。勿論これは数十年ぶりの再読(むしろ再々読か)なのだが、改めて小笠原豊樹の訳文のよさに讃嘆。ただしブラッドベリの世界に酔わされはしない。残念ながら当方はもう若くないのだ。最後まで読み終わらなかったが、これが本年の読書の締め括り。皆様どうか良いお年を!