ミクシィやツイッターを眺めていると、わが旧友たちはどうやら沖縄やら有馬温泉やらに赴いて、各人各様に閑雅な年の瀬を過ごしているらしい。なんたる贅沢! 羨ましい限りである。
うそ寒い雨降りとあって当方は出かけるあてもなく、只管(ひたすら)読書と音楽で年の瀬を静かに過ごす。冷蔵庫に残っていた林檎を昨日ぐつぐつ煮ておいたのを間食代わりに摘まんだら、砂糖は全く加えてないのに甘くて美味しい。
"The Art of Roman Totenberg: From Bach to Webern"
ブラームス: ソナタ 第三番*
ドビュッシー: ソナタ*
バッハ: 無伴奏ソナタ 第二番 イ短調**
パガニーニ: 綺想曲 第二十四番*
ベートーヴェン: 弦楽四重奏曲 第十一番「セリオーソ」***
コープランド: ソナタ(1943)****
ダッラピッコラ: 二つの習作(1947)****
ヴェーベルン: 四つの小品 作品7(1910)****
シェーンベルク: 幻想曲(1949)****
ストラヴィンスキー: 協奏的二重奏曲(1932)****
ラヴェル: ソナタ*****
ヴァイオリン/ロマン・トーテンベルク
ピアノ/
ディーン・サンダーズ*、スーリマ・ストラヴィンスキー****、佐野志津恵*****
WQXR四重奏団(ロマン・トーテンベルク、ダニエル・ギレ、ラルフ・ハーシュ、アヴトン・トワードフスキー)***1960年11月30日* **、1943年7月10日***、1961年4月4日****、1996年4月26日*****(すべて実況)
Arbiter 159 (2CDs, 2011)
→アルバム・カヴァーポーランド生まれの名匠ロマン・トーテンベルクはもはや伝説の名匠である。シマノフスキ、ヒンデミット、ミヨー、オネゲル、マルチヌー、米国ではバーバー、W・シューマンなどの同時代音楽を盛んに取り上げた。1960年代からはボストンを拠点に教育者としての活動に軸足を移し、もともとレコード録音が少なかったこともあって、知る人ぞ知る存在に留まっていたが、2011年には百歳の誕生日を迎えた折には弟子たちが集って盛大な祝賀演奏会が催されたそうな。
本CDはトーテンベルクが永く教鞭を執ったボストン大学が肝煎になって、私的アーカイヴに残された貴重な実況録音(多くはご当人の所有音源らしい)から選りすぐって二枚組に纏めたもの。生誕百周年を壽ぐ記念盤がご当人のもとに届けられた稀少な実例だろう。
冒頭のブラームスで溜息が出る。なんと素直な美音だろう。近年の奏者からは聴けない、瑞々しいヴィブラートとおおらかなボウイング。呼吸するようなヴァイオリンといったらいいか。そして峻厳だが同時に人間的なバッハの無伴奏。しみじみ心に染み入る演奏だ。
ベートーヴェン「セリオーソ」は惜しくも第一楽章が欠落するが、若き日の室内楽活動を今に伝える貴重な音源である。因みに第二ヴァイオリンのダニエル・ギレ Daniel Guilet はのちにボザール三重奏団の創立メンバーとなった人。
二枚目のディスクは同時代音楽の実践者トーテンベルクの面目躍如たる内容。ストラヴィンスキーの息子スーリマ Sviatoslav Soulima Stravinsky との珍しい共演である。演奏の姿勢は一枚目と毫も変わらず、尖ったところは少しもなく、人間的な共感に裏打ちされた解釈に貫かれる。シェーンベルクやヴェーベルンですらそうなのだ。
この記念盤が出た翌年、トーテンベルクは百一歳の長壽を全うした。その翁ぶりから(やはり同時代音楽に熱心だった)ヨーゼフ・シゲティやサミュエル・ドゥシュキンと同世代の人かと思い込んでいたが、1911年生まれの彼はずっと年下であり、ダヴィド・オイストラフ(1908生)、シモン・ゴルトベルク(1909生)、シャーンドル・ヴェーグ(1912生)らと同世代なのだ。このように考えると、彼の演奏家としての歴史的な立ち位置がみえてくる。
60年代から半ば現役を退いた形だったが、往時のトーテンベルクの腕前は晩年まで衰えていなかった証に、八十五歳のとき弾いたラヴェルが最後に収められている。そこで伴奏を担当するのがボストン大学で門下生だった日本人ピアニストというのも不思議な巡り合わせである。三十六年前のラヴェルと比較して、音色の冴えや矍鑠たる弾きっぷりが殆ど変らないのが天晴れだ。
寒さをしばし忘れさせるような人肌の温かみを帯びた演奏。現今の奏者たちからは絶えて聴くことのかなわぬ音楽だ。こうなると、彼が50年代後半(?)ポーランドで録音したバッハ、ベートーヴェン、シマノフスキの協奏曲や、70年代初頭にドイツで収録されたバッハ無伴奏全曲などの正規録音も聴きたくなる。きちんとした覆刻CDが出ないだろうか。