何かと気忙しい年の瀬だからこそ、清冽かつ丁寧な演奏で平静心を保っていたいものだ。そう思って取り出したのは、つい最近やっと手に入れることのできた珍しい盤。滅多に聴く機会のないサン=サーンスの協奏曲である。
"Camille Saint-Saëns: Concertos"
サン=サーンス:
チェロ協奏曲 第一番*
詩神と詩人**
ヴァイオリン協奏曲 第三番***
チェロ/ヤン・フォーグラー(Jan Vogler)* **
ヴァイオリン/王峥嵘(Wáng Zhēngróng/ Mira Wang)** ***
ティエリー・フィッシャー指揮
NGRハノーファー放送フィルハーモニー2001年8月27~29日、9月3~4日、NDRハノーファー放送ホール
Berlin Classics 00 1743 2BC (2002)
→アルバム・カヴァー第一チェロ協奏曲も第三ヴァイオリン協奏曲も共に隠れもない名作だが、これらを一枚に収めたディスクとなると寡聞にして先蹤を知らない。その一点だけでも本盤は重宝に値するが、両者の間にヴァイオリンとチェロを独奏楽器とする佳曲「ミューズとポエット」を挟み込んだ智恵者には拍手喝采である。
独奏者は今やドイツを代表する名手
ヤン・フォーゲラーと、1990年ジュネーヴ国際コンクールの覇者である中国出身の王峥嵘(欧米名
ミラ・ワン)。どちらも胸のすくような明澄なソロを披露するが、とりわけ「詩神と詩人」でのデュエットが文字どおり琴瑟相和す美演だ。因みにご両人は実生活においても夫婦である。
忘れずに附言しておくと、
ティエリー・フィッシャーの水も漏らさぬ伴奏指揮ぶりも、いつもながら周到そのもの。このように形のくっきりしたフランス近代音楽を振らせると、彼は双ぶ者なき練達の手腕を披瀝する。
Berlin Classicsには同じ王峥嵘を独奏者に、やはりティエリー・フィッシャーが指揮したプロコフィエフの第二協奏曲の秀逸な録音盤があるが、これは前にも紹介した(
→为纪念普罗科菲耶夫诞辰120周年)ので、今日はその王峥嵘による珍しいリサイタル・アルバムを続けざまに聴こう。
"Virtuose Violinmusik: Mira Wang & Roglit Ishay"
パガニーニ: 妖精の踊り
チャイコフスキー: ヴァルス=スケルツォ
パガニーニ: ソナタ 第六番
バルトーク: 狂詩曲 第一番
デ・サラサーテ: 序奏とタランテッラ
クライスラー: コレッリの主題による変奏曲
シマノフスキ(コハンスキ編): ロクサナの歌 ~歌劇「ロゲル王」
シマノフスキ: 夜想曲とタランテッラ
デ・サラサーテ: サパテアード
クライスラー: 支那の太鼓
デ・ファリャ(クライスラー編): スペイン舞曲
ヴァイオリン/王峥嵘(Mira Z.-R. Wang)
ピアノ/ログリット・イシャイ(Roglit Ishay)1995年5月、ドレスデン、カディッツ、エマウス教会
Dresdner Compact Disc DCD 0004 (c.1995)
→アルバム・カヴァードイツ統一からまだ日の浅い1994年、ザクセン州のモーリッツブルク城室内音楽祭を立ち上げたチェロ奏者ヤン・フォーゲラーの協力を得て、歯科医・起業家のギュンター・フォイクト(Günter Voigt)が創設した独立レーベル「ドレスデンCD」から出た(ほかにフォーゲラーらの室内楽アルバムも数枚ある由)。
本アルバムは恐らく王峥嵘のデビュー盤かと推察されるが、二十年近く前の群小レーベルの製作ゆえ、今となっては探し出すのは至難の業だろう。今年の夏頃、御茶ノ水の中古屋に嘘のような安価で転がっていたものだ。
いわゆるショーピース集、アンコール集の類いだが、どれも手堅く誠実に仕上げている。ジュネーヴ国際コンクールで優勝し、ソロイストとして活躍を始めた彼女が、自家薬籠中のものとした得意曲を片端から弾いてみせたという趣だ。
北京の中央音乐学院に学んだ王峥嵘は、1985年に中国政府から国外派遣され、ポーランドのルブリンでリピンスキ=ヴィエニャフスキ若手ヴァイオリニスト国際コンクールに参加した。結果は第二位だったが、このときたまたま審査員だった往時の名匠
ロマン・トーテンベルク(Roman Totenberg)に素質を認められ、「ぜひ指導してほしい」と懇願する彼女の手紙が奏功して、翌86年トーテンベルクの招きでボストン留学が実現した(トーテンベルクはボストン大学の音楽学部の主任教授を永く務めた有力者だった)。
王峥嵘はトーテンベルク邸に寄宿しながら恩師のもとで六年間も研鑽を積み、演奏家として学ぶべきすべてを習得したという。彼女がジュネーヴで第一位をかち得たのはこの修業期間中のことだ。
トーテンベルクはポーランドのウッチ出身、若き日にシマノフスキやルービンシュタインと共演し、20世紀ヴァイオリン音楽と共に歩んだ伝説的名匠だ。百一歳の長壽を全うしたが、録音が極度に少ないため、芸風は殆ど世に知られていない。
本アルバムは晴れて独り立ちした愛弟子が、師の指導内容を咀嚼しつつ提出した「卒業制作」と看做すことも可能ではないか。
収録曲目のなかに、珍しくシマノフスキの魅惑的な小品二曲が含まれているのはその何よりの証拠であり、ここにトーテンベルク直伝の解釈を聴き取るべきだろう。実際これらは胸に沁みる掬すべき秀演である。