今日は冬至だといふので家人の提案で柚子湯にした。たまたま先日の忘年會で舊友
びわこから頂戴した柚子の實がまだ殘つてゐたので、數個を湯に浮かべたら何とも芳ばしい馨りが風呂場に充滿した。心なしか體が溫まるやうな氣がしたが、效能は科學的にも實證されてゐるのださうだ。
湯冷めしないやう素早く布團に潜り込んでぬくぬくしてゐたら、何か冬の季節らしい、然も心溫まる音樂が慾しくなつた。試みに愛聽盤を撰りすぐつて收めた棚の一廓をまさぐつたら格好な一枚が出て來た。
"Prokofiev's Music for Children"
プロコフィエフ:
組曲「冬の篝火」作品122*
組曲「夏の日」作品65bis
醜い家鴨の子 作品18**
ピーターと狼 作品67***
フィンチリー兒童音樂團*
ソプラノ/ペネロピ・ウォームズリー=クラーク**
語り手/オレグ&ゲイブリエル・プロコフィエフ***
ロナルド・コープ指揮
ザ・ニュー・ロンドン・オーケストラ1991年3月11,12日、倫敦
Hyperion CDA66499 (1991)
→アルバム・カヴァーイワン・ビリービンの繪本插繪をあしらつた表紙が愛らしい雰囲氣を釀す。初期から最晩年迄、セルゲイ・プロコフィエフが樣々な機會に作曲した子供の爲の音樂ばかり集めたアルバム。惜しくもエイズで早逝した研究家クリストファー・パーマー(Christopher Palmer)が遺した好企畫である。
冒頭に配された「
冬の篝火 Зимний костёр/ Winter Bonfire」(1949~50)が今夜の聽き物。周知の通り、プロコフィエフは直前の1948年にソ聯當局から「形式主義的」との嚴しい叱責を受け(ジダーノフ批判)、其の影響もあつてか彼の健康は急速に衰へ、高血圧に起因する激しい頭痛と言語障害に惱まされてゐた。かうした苦境に立たされながら、重篤な容體を押して大作バレエ《石の花》、(ロストロポーヴィチの爲の)チェロ・ソナタに續いて手掛けたのが、全ソ聯ラヂオ委員會から依頼された子供向の管絃樂曲だつた。
ピオネール(共產主義少年少女團)の冬季休暇を題材にしたテクストは、ソ聯を代表する兒童文學者サムイル・マルシャークに據るものだ。待ちに待つた冬休み、モスクワの子供達は列車で一路郊外のキャンプ場を目指す(出發)。着到すると一面の銀世界(窓の外は雪)、先づは優美にスケート遊び(氷上の圓舞曲)、そしてキャンプファイア(篝火)、炎を圍んで愉しく歌おう(ピオネール達の合唱)。美しい夕暮時を眺めたら(冬の夕べ)、隊列を組んで步く(行進曲)。そして一同は再び列車に乘つて歸路に就く(歸還)。以上八曲から成る可憐な組曲。
もつと木枝を篝火に投げ入れろ
太陽のやうに燃え上がらせろ
モスクワのピオネールの少年達が
野外活動の爲に集つてゐる
篝火に木枝をもつと投げ入れろ
御覧、炎が高く燃え盛るよ
田舎の人達も總出でお手傳ひ
輪に加はつて火を圍む
ほおら、火が爆ぜる、彈ける
火の粉がそこら中に舞ひ散る
さあ一緒に歌を唄おうよ
幸せな炎の音に合はせて
英譯からの重譯なので甚だ心許無いが、大體こんな歌詞であるらしい。
十三年前の「ペーチャと狼」には些か聽き劣りするものゝ、どん底の狀況下に身を置きながら子供達の爲にかくも愛らしい作品を產み出すプロコフィエフの創作力と藝術的良心には脱帽するしかない。
當アルバムでは其の「ペーチャと狼」英語版も收録されてゐる。然も作曲家の次男坊オレグと其の息子ゲイブリエル(當時十六歳、後に作曲家となる)が語り手を務めてゐるのが何よりも微笑ましい。アルバム製作者クリストファー・パーマーはオレグとは昵懇の間柄であり、協働して父プロコフィエフの訪ソ日記と小説集の英譯を刊行した(同じく1991年)。其の副產物として本企畫は生まれたのだらう。云ふ迄もなく、この年は作曲家の生誕百周年だつた。紀念年を壽ぐ素敵な企て。