"Istvan Kertesz with Japan Philharmonic Symphony Orchestra"、そして "●May 1st 7:00p.m." "厚生年金会館 Kosei Nenkin-Kaikan Hall" と、その青い紙片には黒く印字されている。「1st」は何故か抹消され、手書きで「3」と直されている。座席番号は "floor 1 row G no.22"──すなわち一階平土間の前から七列目の、恐らく中央附近と察しられる。オーケストラを聴くのに、まずは申し分のない良席だ。
手許に残るのは小さなこの紙切れだけ。会場ロビーではプログラムが頒布されていたに違いないのだが、生まれて初めて演奏会場に足を踏み入れた高校生になりたての小生は、ただもう上気してしまって右も左も判らず、入場券に記された自席を探し当てて着座するのがやっとだった。1968年5月3日のことである。
記憶の彼方で微かに明滅する当日の演奏会は次のような次第だった。
日本フィルハーモニー交響楽団 特別演奏会
1968年5月3日(祝)19:00~
東京・新宿、東京厚生年金会館大ホール
◆
コダーイ: 組曲「ハーリ・ヤーノシュ」
ベートーヴェン: ピアノ協奏曲 第五番「皇帝」
(休憩)
ドヴォジャーク: 交響曲 第九番「新世界より」
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ピアノ/ロベール・カサドシュ
イシュトヴァン・ケルテス指揮
日本フィルハーモニー交響楽団
一曲目の「ハーリ・ヤーノシュ」冒頭で、オーケストラの全楽器が盛大にやらかす「くしゃみ」を模した大音響に度肝を抜かれた。すでに耳馴染の曲の筈なのに、まるきり違う。全方向から堂内を揺るがし、体全体を包み込むような音楽に、身も心も打ちのめされた。自宅のトランジスタ・ラヂオで聴いていたのとは雲泥の差、月と鼈さながら全くの別物なのだ。
もうひとつ、なんとなく今でも憶えているのは、「新世界」交響曲の最後で長く引き伸ばされた和音が会場に吸い込まれるように消えていく瞬間、余韻を醸すその静寂のしじまである。ああ、終わってしまう、この瞬間をもっと味わっていたい、と心から名残惜しく思ったものだ。
指揮者のイシュトヴァーン・ケルテ-スはいかにも若々しく(当時三十八歳)、見るからに的確に、きびきびと指示出しする。オーケストラがそれに応えてしなやかな動物のように息づいて、生き生きと多彩な音楽を奏でるさまを目の当たりにして、殆ど恍惚となった。生演奏とはかくも瑞々しいものなのか。
最初と最後の音楽が四十六年後の今も、耳の底で仄かに鳴っているのに対し、仏蘭西の老大家カサドシュ(当時六十九歳)を独奏者に迎えた「皇帝」協奏曲の記憶は残念ながらいかにも曖昧だ。
思いがけず繊細優美なピアノの弾きっぷりが、それまでバックハウスなどの録音からこの曲に抱いていた威風堂々たるイメージと異なっていて、余りに美しすぎる「皇帝」に些か戸惑った──ような気がするのだが、なにせ生のピアノ演奏を耳にするのは初体験だったのだから、児戯に類する他愛ない感想である。
だから今日、恐る恐るこの一枚をターンテーブルに載せてみる。
"Casadesus Edition: Beethoven, De Falla"
ベートーヴェン: ピアノ協奏曲 第五番「皇帝」*
デ・ファリャ: スペインの庭の夜**
ピアノ/ロベール・カサドシュ
ドミトリ・ミトロプロス指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック1955年9月19日、パリ、メゾン・ド・ラ・ミュテュアリテ*
1956年11月2日、ニューヨーク、コロンビア三十丁目スタジオ**
Sony France 5033952 (2001)
→アルバム・カヴァーいやはや困惑してしまう。あのとき間近に接したのはこんな演奏だったのだろうか。この録音で聴く限り、カサドシュの「皇帝」はそれなりに質実剛健であり、思い出のなかの嫋やかなギャラントリーとは随分と異なる。尤も実演とは十三年の隔たりがあり、そのうえ伴奏指揮者ミトロプロスの強靭で骨太な解釈も加わるので、一概に「別人のよう」と言い切ることもできない。
小生がその場に居合わせた演奏会はNHKが実況収録しており、後日ラヂオ放送もされたのだが、もう録音テープは現存しないだろう。だから今や確かめる手立てはないのだが、「こんな剛毅な演奏ではなかった筈だ」とひとりごちておこう。