このところ
高倉健と
菅原文太が相次いで身罷ったのを慨嘆していたら、今度は詩人の
岩田宏が世を去ったという。数日してやっと知らされた。このところ拙ブログの昔の記事(
→小笠原豊樹に挨拶する)にアクセスが集中するのを訝しく思っていたが、かかる事情からだったかと遅蒔きながら気づく。言うまでもなかろうが、
小笠原豊樹とは翻訳家としての岩田宏のペンネームなのである。
1932年生まれの八十二歳だというから、31年生まれの健さんと33年生まれの文太さんのちょうど中間──つまるところ三人とも全くの同世代であり、それぞれ長きにわたり人並外れた活躍を続けたのち、老巨木が枯れるように天壽を畢えたということだ。慕わしい人の死は辛いが、それも世の習いだろう。
岩田宏=小笠原豊樹の著訳書にはあまりに恩恵を蒙り過ぎていて、何か語ろうとすると却って言葉に詰まる。上に挙げた四年前の拙エントリーも、単に彼が手がけた訳書名の徒らな列挙に終始してしまった。確かあのとき小生は、彼が岩田宏名義で出したエッセイ集『
雷雨をやりすごす』(草思社、1994)と『
渡り歩き』(草思社、2001)を読んでいたく感嘆し、それらの内容を紹介しようと思っていたのではないか。結局それも果たせぬまま放置したのは我ながら情けない限りだ。
つい最近も小笠原豊樹の名で『
マヤコフスキー事件』(河出書房新社、2013)というライフワークの総決算的な一冊が出ており、その感想文も書かなければと思っていながら、重たい内容ゆえについ触れずに今日まで来てしまった。これまた不甲斐なく申し訳ないことだ。
いずれ彼の仕事をじっくり読み直すことで改めて追悼の意を表したい。それが叶わぬ今はとりあえず、編集者・映画評論家で岩田=小笠原の優れた読み手でもある
高崎俊夫さんの秀抜なコラムを味読することで、この不世出の詩人=翻訳家を遠くから偲ぼう(
→岩田宏、あるいは小笠原豊樹をめぐる断想)。