朝から間断なしに降り続く冷たい雨、おまけに嵐のような強風が吹きすさぶ最悪の天候だ。外出もままならず、読書にも身が入らぬ十二月の雨の日。お気に入りの音楽しかどうやら選択肢はなさそうだ。
このところ折に触れて
エルヴィン・シュールホフ Erwin Schulhoff (生地のチェコ語ではエルヴィーン・シュルホフ Ervín Schulhoff, 1894~1942)のピアノ曲に親しんでいる。暗い日の憂さ晴らしに効き目があるといいのだが。
ユダヤ人の共産主義者として占領下のプラハで逮捕され、ナチスの強制収容所で非業の死を遂げたところから、ついつい聴く前から厳粛な気持で身構えてしまうのだが、彼のピアノ曲の多くはジャズの感化を受けた闊達なリズムとノンシャランな響きをもつ、瀟洒で心沸き立つ音楽なのだ。
"Ervín Schulhoff: Piano Music 'Hot Music' -- Kathryn Stott"
シュールホフ:
ジャズによる舞踊組曲 (1931, アンリ・ジル=マルシェックスに)
■ ストンプ
■ ストレイト
■ ワルツ
■ タンゴ
■ スロウ
■ フォックス=トロット
ピアノ・ソナタ 第一番 (1924, トーマス・マンに)
五つのジャズ練習曲 (1926, ゼズ・コンフリーに)
■ チャールストン
■ ブルーズ
■ シャンソン
■ タンゴ
■ ゼズ・コンフリーのシミー「鍵盤上の子猫」によるトッカータ
ピアノのための組曲 第二番 (1924, オタカル・ネブシュカに)
■ プレルーディオ
■ メローディア
■ トッカティーナ
■ パストラーレ
■ ジーグ
十一のインヴェンション (1921, モーリス・ラヴェルに)
ホット・ミュージック: 十のシンコペーション練習曲 (1928, カレル・バリングに)
ピアノ/キャスリン・ストット2001年6月、ストックホルム、旧音楽院(Nybrokajen 11)
BIS CD-1249 (2003)
→アルバム・カヴァーシュールホフは20世紀音楽の申し子だった。レーガーに師事して後期ロマン派の残光を浴びたのちドビュッシーに私淑して短期間レッスンを受ける。その直後シェーンベルクの十二音技法とラヴェルの新古典主義の洗礼を受けるが、第一次大戦後はダダイスムの画家たちと親しく交わった。彼にジャズの魅力を教えたのはダダの諷刺画家ジョージ・グロスだというから面白い。
1920年代には作曲家としてピアニストとしてシュールホフの名は広く全欧に轟き、ジャズの強い影響下で多くの瞠目すべき楽曲を残している。30年代になるとソ連の「社会主義リアリズム」への共感が強まり、『共産党宣言』をテクストとするカンタータ(!)を作曲するに至る。
後期ロマン派→印象主義→無調主義と新古典主義→ジャズを摂取した新音楽→社会主義リアリズムと平易な大衆性の模索。一見すると無節操のようだが、これこそは大筋で20世紀前半のヨーロッパ音楽が辿った道程そのものであり、同時代の作曲家たちは多かれ少なかれ似たような変貌を遂げたのだ。
閨秀洋琴家
キャスリン・ストットはヴァーサタイルな名手である。いつも感心させられてばかりなのだが、このシュールホフ・アルバムでの演奏は際立って秀逸だ。
1921年から31年まで、折に触れて書かれたピアノ曲には彼の作風の変遷──すなわち、印象主義、十二音技法、新古典主義、そしてとりわけジャジーな志向性がさまざまに姿を変え、変幻自在のアマルガムとして現れる。それらをストット嬢は手際よく、しかもこのうえなく音楽的なやり方で開陳してみせるのだ。
なかでも、本アルバムのなかで最も時代の下る、彼の「ジャズ時代」の掉尾を飾る「
ジャズによる舞踊組曲 Suite dansante en jazz」での、ときに目も眩むほどに鮮やかな、ときに雰囲気たっぷりムーディな演奏がとびきりの聴きもの。あくまでダンサブルでありながら、まるでラヴェルのピアノ曲さながら高雅で感傷的なのだ。今やシュールホフのピアノ曲集はさまざまな奏者のCDで聴けるが、ここまでリズムを弾ませ、閃きに満ちた演奏はまたとないと思う。
え? ぜひ聴いてみたくなったって? ぢゃあ、内緒でこっそり楽譜つきでお裾分けしよう(
→これ)。ほぉらね、ご機嫌な演奏でしょ?
興味深いことに、この「ジャズによる舞踊組曲」の被献呈者はほかでもない、仏蘭西の洋琴家
アンリ・ジル=マルシェックス Henri Gil-Marchex だった。あの、日本ゆかりのジル=マルシェックスである。ラヴェルの「五時のフォックス=トロット」を十八番(おはこ)にしていた彼が、果たしてこの「プラハ生まれのジャズ」をどう感じ、どのように弾いたのか。時間旅行が可能なら、聴きに戻りたいものだ。