二週間ほど前から気づいていたのだが、このところスーパーの店頭からバターが姿を消している。品薄どころか、バターと名のつく製品は雪印だろうが森永だろうが皆無なのだ。辛うじて手に入るのは缶に入った超高級なトラピストバターか、酒のツマミ用に小岩井のレーズンバターくらい。
近所のスーパーではどうにも埒が明かないので、今日は線路の向こうの大型店舗まで自転車を飛ばしてみたのだが、やっぱりバターの陳列棚はもぬけの殻。並ぶのはマーガリンばかりだ。物心ついて半世紀以上になるが、かかる事態に遭遇するのは後にも先にも初めてだと思う。
なんだか気懸かりなのでネット上であれこれ検索してみた。一体全体バター業界に何が起こっているのだろうか。
まずは「
バターがない! 農林水産省、乳業各社にバターの安定供給を依頼」と題する数日前の livedoorニュースから(12月1日 22時45分配信)。
農林水産省は、日本乳業協会および全国農協乳業協会、並びに全国乳業協同組合連合会へ、家庭用バターの最大限の供給を依頼した。
バターの生産量が減少し、店頭から姿を消している理由は、昨年(平成25年)の猛暑の影響で乳牛に乳房炎等が多く発生したことや、酪農家の離農で乳牛頭数そのものが減少したことが影響している。
また、乳業メーカーが安定的な供給を続けられるよう、出荷量を抑制していることも、バターの品薄に影響している。
国はバターの安定供給を図るため、年末および年度末に向けて二度にわたる追加輸入を実施、3月までに1万トンが輸入される予定だという。
なるほど、そういうことか。問題はバターのみに留まらず、国内の乳牛そのものの頭数の減少に起因するという指摘だ。とりあえず輸入で補うというのが政府の方策らしいが、昨今の円安基調ではバターの値上がりは避けられないだろうし、そもそも品質面の安全は保たれるのだろうか。
こうした品薄傾向はかなり前から進行していたらしい。10月下旬の時点で朝日新聞には「バターはどこへ消えた? 品薄・値上がり、嘆く食卓」と題して次のような記事が載っていた(10月24日05時41分配信)。ただし吝嗇な朝日のことだから無料だと途中までしか読めないのだが。
スーパーの店頭などで、バターの品薄と値上がりが目立ってきた。輸入に頼る牛のえさ代が上昇し、将来、割安な海外産の乳製品が大量に入る不安もあって酪農家が減り、原料の生乳が不足しているためだ。農林水産省は酪農家を守るためバターの輸入を規制しており、十分な量が出回るには時間がかかりそうだ。
[10月] 23日午後、東京都港区のスーパーでは200グラム400円台のバターが品切れになっていた。34歳の主婦は、価格が二倍以上の高級バターを一度は手に取ったが「高過ぎる」と思い直し、棚に戻した。この店では一週間ほど前から、品薄が目立つ。
「品切れ致しました」。兵庫県芦屋市のスーパーには、青い文字の「おわび」の紙が目立つように張り出されている。大阪市のスーパーには「全国的な原材料不足により、入荷が不安定な状況」という説明文がある。一人一個に販売を制限しており、買い物にきた女性(46)は「シチューのホワイトソースがつくれなくなるかも」と話した。 [後略]
もしこの記事の分析が正しければ、「輸入に頼る牛のえさ代が上昇し」は慢性的な円安傾向と、「将来、割安な海外産の乳製品が大量に入る不安もあって」は難航するTPPの行方と、「酪農家を守るためバターの輸入を規制しており」は(TPP交渉で俎上に上っているに違いない)日本政府の保護政策と、それぞれ直接的にリンクしている問題である。
すなわち、今回のバター払底は一過性の偶発的な出来事というよりは、この国の酪農政策の根幹に係わり、その当然の帰結として生じた結果なのだと思えてくる。たかがバターと侮るなかれ。ことは食糧生産をめぐって政府が取り続けてきた場当たり的な施策(むしろ無策)そのものの破綻を示唆していよう。
いかんいかん、どうも話が堅苦しくなってしまう。要はバターをたっぷり塗った食パンがいつでも齧りたいというだけの話なのだ。アンデルセン童話を引こう。その名も「パンとバタ」という。出典は亡父の旧蔵書から菊池寛編『アンデルゼン童話集』(小學生全集 第五巻、興文社/文藝春秋社、1928)。
「私は實に子供が好きでねえ。」
と、かうお月樣が或晩話しはじめました。
「殊に極くまだ小さい子ときたら、全くみんなをどけ者だから尚可愛いよ。子供達が私の事なぞ考へてゐない時でも、始終私は窓掛と窓枠との間から部屋を覗き込むんだが、あゝいふ小さい子供が着物を着換へたり、脱いだりするのを見るのは本當に樂しい事だ。先づ初め、着物から、小さな白い圓々した肩がのそりと出て來て、それから腕が出る。靴下を脱がせされると、くりくりした白い膝つ小僧さん、それからいかにもキスされるのに相應しい樣な足の甲がひよつこり、そこで私もそれにキスしてしまふのだ。
が、さて今話さうと思つてる方に移らう。此の夕方私は或窓を覗いたんだが、其處はお向ひに誰も住んでゐないもんだから、窓掛が少しも垂してないのだ。内に小さい子供が多勢見えたが、それはみんな一家の子なのだつた。そしてその中には、今年やつと四歳になつたばかりの小さい妹もゐた。此の子はそれでも、もう他の兄姉達と同じ樣に晩のお祈りをいふ事を敎はつてしまつてゐるのだ。お母さんはそれで毎晩その子の寢床の傍に坐つてそのお祈りを聞いてやる、そして濟むとキスしてやつて、それから眠つてしまふまで其處に付添つてゐる。しかし大抵の場合目さへ瞑れば直ぐ眠つてしまふから雜作はない。ところが今日は上の子がどうも遊びで夢中らしかつた。一人は片足で部屋中ぴよんぴよん跳び廻る、も一人も他の子達の着物を全部搔き集めて肩にかけ、椅子に突つ立つて、
「僕は生きた銅像だぞ。」
と、威張りかへつてゐる。一方三番目と四番目の子は、洗濯濟みのきれいな襦袢類を抽出に仕舞つてゐた。それは割當てられてゐる役目なのだ。お母さんは末の子の寢床の傍から、騷いでゐる子達に、
『さあ、此の子はお祈りをするんだから、みんな靜かにして頂戴。』
と、頼んだ。私はランプ越しに、その女の子の寢床を覗いた。成程小さな手を合せ、大眞面目な顔付をして、白い掛布團の下に橫になつてゐる間もなく、大きな聲でお祈りを繰返しはじめた。途中まで言つた時、お母さんは突然訊き正した。
『おや、お前今小さい聲で何か言ひ足したね。どうぞ神樣、今日もいつもの樣にパンをお惠み下さいます樣に、つて言ふ時、お前いつも何か付け足すねえ。私にはそれがちつとも聞えないよ。何て言つたか敎へておくれ。』
すると、小さい子は暫く默つて、まごついた樣な顏付でお母さんを見つめた。
『本當に何て言つたの。どうぞいつもの樣にパンを、──その後でさ。』
もう一度お母さんにさう訊かれて子供はやつとかう答へた。
『あのね、お母さん、おこつちやいやあよ。あのね、私はたゞ、「パンを、それから、バタをうんとそれにおつけ下さい」つて言つただけよ。』