年の瀬が近いせいか、何かと気忙しい毎日である。読書のために纏まった時間が割けないのに忸怩たる思いだ。外出の往還に、就寝前の一時に、この一、二か月でどうにかこうにか読んだ書目を何冊か手短に記しておく。ほんの心憶えでしかないが、さもないと日常に取り紛れて忘れてしまいそうだ。
俳優座劇場(編)
伊藤熹朔 舞台美術の巨人
NHK出版
2014
「俳優座劇場開場60周年 記念出版」と帯にある。過日、新宿で劇団民藝の公演会場で購入。伊藤熹朔(きさく 1899~1967)は伊藤道郎を兄に、千田是也(伊藤圀夫)を弟にもち、早くから舞台美術家として新劇運動に係わった。築地小劇場から戦時下の移動演劇へ、占領下の「アーニー・パイル劇場」を経て、戦後の俳優座・文学座・前進座、更には東宝ミュージカル《マイ・フェア・レディ》まで。四千本に及ぶその仕事はそのまま日本近代演劇史そのものである。本書は彼が折に触れて記した舞台美術論や自伝的回想を集成した重宝な一冊。三百頁を超える大冊ながら、ほぼ全頁に装置図や舞台写真が載り、しかも二千円台前半と安価なのは嬉しいが、多くの文章は出典も執筆年代も未詳のままで、文章内容とは無関係な挿図が頻出するなど、編集がいかにも手抜きで素人臭いのは致命的。
柏倉康夫
敗れし國の秋のはて 評伝 堀口九萬一
左右社
2008
幕末に越後長岡藩に生まれ、新政府の外交官として朝鮮、ベルギー、ブラジル、メキシコ、スペイン、ルーマニアなどに赴任。持ち前の語学力と社交性を武器に活躍するが、旧幕側の出自ゆえ外交官としては不当に低い地位に甘んじた。云うまでもなく堀口九萬一(くまいち 1865~1945)は詩人・翻訳家の大學の父であり、本書は専らその大學が編纂・邦訳した父の漢詩集に材を採り、その詩句を引きながら明治の逸材の栄光と蹉跌の生涯を物語る。九萬一については本書ののちに長谷川郁夫による評伝の労作『堀口大學 詩は一生の長い道』、矢作俊彦によるフィクションの快作『悲劇週間』などでポルトレが描かれ、また若き日に彼が朝鮮で遭遇した暗殺事件との係わりについては角田房子『閔妃暗殺』など、少なからぬ関連書目が存在するが、単独の評伝としては本書は今なお唯一無二。手慣れた筆致で読ませる興味深い内容だが、惜しむらくは校閲が不充分で誤記が残る。
堀江敏幸
正弦曲線
中公文庫
2013
所用で埼玉に出向いた折、時間潰しの徒然に駅前書店でたまたま手にした文庫本(初出単行本は2009年刊)。『回送電車』以来もう何冊目かになる堀江敏幸のエッセイ集。修辞の秀逸、切り口の鮮やかさなどの美質は相変わらずだが、幾度か接するうちに新鮮な驚きは失せ、やや技巧が鼻につくところ無きにしもあらず。標題の「正弦曲線」に拘りすぎ、理屈が表に出た文章には興醒め。エリー・ナイ、ジネット・ヌヴーなど往時の演奏家に触れた小文が収録されたのは収穫だった。
大佛次郎
旅の誘い 大佛次郎随筆集
講談社文芸文庫
2002
月半ば小町碧さんの演奏会を聴きに港の見える丘公園を訪ねた折ふらと立ち寄った大佛次郎記念館で帰り際に見つけ、横浜からの帰路の車中で読み耽った。直前に失望した堀江敏幸のエッセイ集とどうしても比較しまうのだが、文章の格が数段上という感じがする。国内各地を旅した際の些事や、文壇の先輩・同僚たちの回想を綴った小文を拾い集めた文庫独自の編集らしい。さりげない筆致のなかに鋭い洞察が閃き、着眼点の鮮やかさに驚かされる。これぞ随筆の真骨頂。
太田丈太郎
「ロシア・モダニズム」を生きる──日本とロシア、コトバとヒトのネットワーク
成文社
2014
九州在住の気鋭のロシア文学・ロシア文化研究者による初めての単著。左団次一座による1928年モスクワ、レニングラードでの歌舞伎公演に際し在モスクワの中條百合子が露文で寄稿したエッセイ、その歴史的公演の前史をなすコーンラドやラードロフによる先駆的な「織田信長劇」上演の顛末、モスクワ特派員だった黒田乙吉が日露文化交流に果たした驚くべき貢献、若き学徒としてレニングラードでショスタコーヴィチやソレルチンスキーらと親密に交遊した鳴海完造の青春・・・などなど、著者の掘り起こした新事実が惜しげもなく披瀝され、ミッシング・リンクが次々に埋まっていくスリリングな論考集だ。ただし、各章の文体は不揃いで彫琢が足りず、内容的にも重複が煩わしく、読み通すのにしばしば苦痛を伴う。「執筆時のライヴな昂奮を保持したかった」と著者は主張するだろうが、四百頁もの大著となるとそうは問屋が卸さず、読者に不必要な負担を強いる結果となった。劃期的な内容なのに勿体ない。担当編集者はもっと口喧しく介入すべきだった。
諫早勇一
ロシア人たちのベルリン 革命と大量亡命の時代
東洋書店
2014
ロシア革命とその後の内戦を逃れて数多くの亡命者が出たことは夙に知られている。だが一口に亡命者といっても貴族階級や白軍に加わった人々のように革命政権から追われた者もいれば、国外で自由な芸術活動を夢見た表現者たちもおり、また当局の許可を得て合法的に出国した特権階級までいて、その帰属と動機はまちまちだった。ソ連に敵対する者たちもいずれ政権が瓦解すると考えて、遠からぬ帰国を夢見ていた由。母国から距離的に近いベルリンに三十万を超えるロシア人が寓居を構えたというのも、そうした複雑な背景があってのことだ。著者は亡命作家ウラジーミル・ナボコフの専門家であり、彼が十五年を過ごしたベルリンの文化的ミリューに強い関心を抱き続けてきた。本書では最新の研究成果を織り交ぜつつ、詩人・作家・出版人・画家・俳優・舞踊家・カバレット芸人などが交錯する亡命ロシア人文化の諸相を活写し、異国の空の下「もう一つのロシア」を鮮やかに描き出す。ナボコフはもとより、マヤコフスキー、エセーニン、エレンブルグ、ベールイ、リシツキー、イワン・プニー、ヴェルチンスキーなどが描く綺羅星の如き人間模様に興味は尽きない。20世紀ロシア文化の愛好家にとって必読の好著。
矢作俊彦
フィルムノワール/黒色影片
新潮社
2014
いやはや凄い力作、快作、意欲作だ。現代の香港を舞台に、往年の日活アクション映画そっくりに奇想天外、荒唐無稽な活劇が展開されて、書を措く暇を与えない面白さ。雑誌連載時の第一稿を大幅に割愛し、随所を書き改めたためか、時にプロットが混迷する局面もしばしばだが、奔流のようなストーリー展開のなかでは些細な瑕瑾でしかない。重要な脇役として宍戸錠ご当人が登場し、いかにもそれらしく活躍するのが素晴らしい。矢作ファンのみならず、日本映画とりわけ活劇影片の愛好家ならば須らく手にすべき一冊。分厚い本だが読了はあっと云う間だ。