昨日までのうそ寒い冬模様がまるで夢か幻のような暖かい秋日和。ヴェランダから眺めると、抜けるような青空を背景に木々の紅葉・黄葉が眩いほど。こういう心弾む日にこそ、パーシー・グレインジャーの屈託ない生命讃美の音楽がしみじみ胸中に響きわたる。
シャンドス(Chandos)がレーベルの威信を賭けて取り組んだとおぼしき壮大なグレインジャー録音プロジェクト "Grainger Edition" が十九枚という半端な枚数で頓挫してしまってから何年になるのだろう。あの頃の熱狂が嘘のように、もう誰一人として彼の音楽を話題にしない健忘症ぶりは実に嘆かわしい。
そんな寂しい状況のなか、季節外れというか、出し遅れの証文さながら、ひょっこり世に現れた一枚のグレインジャー・アルバム。それも因縁のChandosレーベルから出たものだ。エディションの番外篇なのか。
"Percy Grainger: Works for Large Chorus and Orchestra"
グレインジャー:
ソロモン王の婚礼 (初期作品、初録音) ~「ソロモンの歌」(未完)第五部
ダニー・リーヴァー (1903~04)
民主主義の行進歌 (1901,1915~17、この版での初録音)
オーディンの怒り (1920年代、初録音)*
腕利きの狩人 (1929、この版での初録音)
エグラモア卿 (1912、初録音)*
ワムフレイの若者たち (1904、初録音)*
花嫁の悲劇 (1908~09)
フォスターに捧ぐ (1931)
感謝の歌 (1945、初録音) ~「戦士たち II」(未完)
アンドルー・デイヴィス卿指揮
シドニー室内合唱団*
メルボルン交響合唱団
メルボルン交響楽団2012年8月30日~9月1日(
下線の曲、実況)、9月3~5、8日(その他の曲、セッション)、メルボルン芸術センター、ヘイマー・ホール
Chandos CHSA 5121 (2013)
→アルバム・カヴァーアンドルー・デイヴィスには過去にグレインジャー録音は皆無だったと思う。少なくも小生は寡聞にしてその存在を知らないが、これまでこの作曲家と全く無縁だったわけでは決してなく、例えば2000年のBBCプロムズ最終夜に「フォスターに捧ぐ」(
→ここ)を、2011年のBBCプロムズでは「アイルランド、デリー州の調べ」(
→ここ)と組曲「早わかり」をそれぞれ指揮しているし、変わったところでは1988年のプロムズで、グレインジャーのピアノロール録音(1921)を独奏者として(!)グリーグのピアノ協奏曲を伴奏したこともある(これは愉快な見ものだ。
→ここ)。録音がなされなかったのは単にレコード会社の怠慢のせいだろう。
アンドルー卿は2013年から豪州のメルボルン交響楽団の首席指揮者に就任するのを機縁として、(ご当地作曲家である)グレインジャーと本腰を入れて取り組む決意を抱いたらしく、本アルバムはいわばその先触れとして構想されたものだろう。現に2014年のプロムズでは、手兵を率いてグレインジャーの魅力的な小品「ストランド街のヘンデル」を披露している(
→ここ)。
これまでなんとなく凡庸なイメージが付き纏い、「盆暗な二番手」扱いされてきたアンドルー卿だが、マッケラス、ハンドリー、ヒコックスと英国音楽の担い手だった指揮者が相次いで鬼籍に入った今、その存在が俄かにクロースアップされた感があり、Chandosではこのところ彼にエルガー、ディーリアス、ホルスト、バックスらの重要作品を委ねたアルバムをたて続けにリリースしている。初のグレインジャー・アルバムもその一環として企てられたものとみていい。
その成果は流石と云うべきだろう。グレインジャー・エディション以後、その屋上に屋を重ねるの愚を避けるべく、これまで耳にしたことのない珍しい管弦楽附き合唱曲が次から次へと繰り出される。なにしろ収録全十曲のうち七曲までが世界初録音なのである(いつも参照している宮澤淳一さんのサイトにあるグレインジャー作品表に載っていない曲すらある!)。
年代的にもまだグレインジャーが自己形成中の若書き(ソロモン王の婚礼)から、作曲家としてのキャリアの末期にあたる作(感謝の歌)まで、幅広く収録されていて、アルバム自体がグレインジャーの全貌の「早わかり(In a Nutshell)」たり得ているのが壮観である。
因みに初録音の七曲はすべてグレインジャー協会のアーキヴィスト、バリー・ピーター・オウルド(Barry Peter Ould)が新たに編纂した楽譜に拠る演奏。
演奏の精度は必ずしも十全でない。かつてジョン・エリオット・ガーディナー指揮でグレインジャーの合唱曲集(Philips)を耳にした者にとって、豪州の合唱団はいかにも声質が不揃いで歌いっぷりも粗く、緻密や洗練とは程遠い。とりわけライヴ収録の四曲については、管弦楽を含め、あちこちに破綻や不首尾がある。
そうと知りつつ、これら実況音源をわざわざアルバムに収めたのは、そうした瑕瑾を補って余りある生命力の発露の故であろう。とりわけ「民主主義の行進歌」における途轍もなくヴァイタルな音楽の炸裂といったら! 他の曲目でもあちこち綻びが散見されるものの、全体としては野趣と活力に漲るグレインジャーの魅力を捉えた秀演といえるだろう。 やるぢゃないか、アンドルー卿!
久しぶりに耳にしたグレインジャーの音楽は実にユニークそのもの。20世紀は彼の思い描いたような方向に進まず、作曲家として挫折と孤立を余儀なくされた彼だったが、炸裂する élan vital を丸ごと捉えようとする破天荒な野望は、「見果てぬ夢」として百年後の今も古びることなく、却って眩しくすら感じられる。