いやはや外出が憚られる寒さである。最高氣温は攝氏十度ちよつと。十二月中旬の氣候だといふ。此れ迄ずつと薄着で過ごして來た小生も今日ばかりは近所への買ひ物に厚手の上着が缺かせなかつた。思はず襟を立てゝ足早に步く。
朝方だつたか、鉢植への花の世話をしにヴェランダへ出た家人が直ぐに戾つて來るなり、「
おおさむ、こさむ」と小さく口ずさんだ。「
やまからこぞうがおりてきた」と。「其れつて一體全體どういふ意味の歌なの?」と尋ねてみた。誰もが知る舊い童唄だが、何だか奇妙な歌詞だと前々から訝しく思つてゐたのだ。
家人曰く、「
北風小僧の兄弟が二人揃つて裏の山から降りて來て、其の名前が《おおさむ》と《こさむ》と云ふのよ」。ええつ? 本當かえ? さういふ内容の歌詞だなんて、今の今まで知らなんだ。「おおさむ」と「こさむ」とは小僧兄弟の名──すなはち凩童子(こがらしわらし)の呼稱だつたとは初耳だ。
氣になつたので早速ネットで調べてみると、この童唄は北國に限らず日本各地に廣く流布してゐるさうで、當然の事ながら歌詞には色々ヴァリアントがある。最も人口に膾炙してゐるらしい歌詞は以下のとおり。
おおさむこさむ
山から小僧が泣いて來た
何と云つて泣いて來た
寒いと云つて泣いて來た
おおさむこさむ
おおさむこさむ
三度繰り返される「泣いて來た」の部分は、地方に據つては「飛んで來た」「やつて來た」等と變化するらしく、古典落語「胴取り」の冒頭には、凍える寒さを描冩して「大寒小寒・・・山から小僧が泣いて來る」とあるさうな。してみると矢張り「泣いて來る(來た)」が最も一般的な形かと察しられる。因みに岩波文庫版『わらべうた』(町田嘉章・淺野建二編)も上のヴァージョンを採用してゐる由。
さて色々と調べてみたが、「おおさむこさむ」を童子兄弟の名前「大寒」「小寒」だとする解釋は、管見の限り何處にも見當たらなかつた。どうやら家人だけが獨自に唱へる新説に過ぎないやうだ。
國語學者達の説く處に據れば、そもそも「おおさむ」を「大寒」と表記するのは訛傳から來る間違ひであるらしい。元來「おおさむ」とは「おゝ寒(い)」、すなはち感嘆詞と形容詞の語幹が倂さつた造語だといふ。形容詞の語幹と云へば昨今流行の「早ッ!」「凄ッ!」等の亂れた若者言葉(所謂「語幹用法」)が直ぐに思ひ浮かぶが、此の「寒(さむ)」に關しては江戸時代の滑稽本『浮世風呂』に使用例があるといひ(「ヲヲ、さむ」)、意外にも由緖正しい用法であるらしい。
從つて結論を申し述べるならば、「おおさむ」の語義は「何たる寒さ!」──さしづめ英語だつたら "How cold!" 或ひは "What a chilly cold day!" とでも言明する處だらう。此れが何時しか誤つて「大寒」の意に解され、其處からの聯想で「大寒、小寒」と對句的に云ひ慣はすやうになつたものと推察される。
加へて「おおさむ」は舊暦の「大寒(だいかん)」とは縁の無い語であり、幾ら「恐ろしく寒い」からといつて英語の awesome とも全く無關係である(當たり前だ)。
其れにしても夜更けて冷雨は一向に降り止まず、愈々寒さがいや增すばかり。木枯らし兄弟の「大寒」「小寒」が山から駈け下つて來ても何ら不思議は無からう。