高倉健の訃報に感慨なきにしもあらず。だが今日はその気持ちにあえて封印し、心静かに音楽を聴こう。昨日たまたま届いた北欧合唱音楽のディスク。
"Baltic Runes -- Tormis, Sibelius, Kreek, Bergman"
ヴェリヨ・トルミス: 歌の橋 Laulusild (1981)
ジャン・シベリウス: 恋人 Rakastava (1893/1911)
キリルス・クレーク: 三つの民謡
■ 唄え、鎌よ Sirisege, sirbikesed! (1919)
■ 眠れ、小さなマツィク Maga, maga Matsikene (1922)
■ 小鳥さん、なぜ囀るの? Mis sa sirised, sirtsukene? (1958)
ヴェリヨ・トルミス: 僧正と異教徒 Piispa ja pakana (1992/95)
エーリク・ベリマン: ラッポニア Lapponia (1975)
■ 真冬 Sdüatalv
■ ヨイク Joig
■ 真夏 Jaaniöö
■ 丘の嵐 Torm mägedes
ヴェリヨ・トルミス: 聖ヨハネ祭の歌 Jaanilaulud (1967)
■ 聖ヨハネの篝火への呼びかけⅠ Kutse jaantutele I
■ 聖ヨハネの篝火への呼びかけⅡ Kutse jaantutele II
■ 弾で仕留められない Ei ole püssil pütüav
■ なぜ聖ヨハネの到来を待ち望むか Miks Jaani oodatakse
■ 聖ヨハネの馬 Jaani hobu
■ 火の呪文 Tulesõnad
■ 聖ヨハネの歌 Jaanilaul
ポール・ヒリアー指揮
エストニア・フィルハーモニー室内合唱団2008年1月30日~2月2日、タリン、メソジスト教会
harmonia mundi usa HMU 807485 (2010)
→アルバム・カヴァー生粋の英国人ながら
ポール・ヒリアー Paul Hillier の活動の舞台は欧米各地に拡散する。1980年代末にヒリアード・アンサンブルを離れてからは、ノマドさながら拠点をあちこちに移しながら、古楽と現代音楽を自在に往還しつつ合唱音楽の精髄を極めてつつある。
1990年代に米国で
シアター・オヴ・ヴォイシズと
プロ・アルテ・シンガーズを率いて現代アメリカの合唱音楽をレパートリーに加えたかと思うと、2001年からは一転してタリンの
エストニア・フィルハーモニー室内合唱団の芸術監督兼首席指揮者に就任し(2007年まで)、伝統あるバルト諸国の合唱音楽とロシア正教の声楽曲を手中に収めた。その後はコペンハーゲンの
アルス・ノヴァ合唱団とダブリンの
アイルランド国立室内合唱団の首席指揮者も引き受けている。
エストニアに拠点を定めてからのヒリアーは歴代のロシア正教の典礼音楽(とりわけラフマニノフの『晩禱』)やバルト三国の現代合唱曲をたて続けに録音し、誉れ高い名盤「バルティック・ヴォイシズ」1・2・3を残した。本作はタリンの合唱団の首席指揮者を勇退した彼が、七年間の協働作業の云わば置き土産として収録した三部作の続篇ないし拾遺集とも看做されよう。
標題は「バルティック・ルーンズ」すなわち「バルトの古代譚詩」とでも訳すべきか。といってもここに選ばれた作曲家は、エストニアのクレークとトルミス、フィンランドのシベリウスとべリマンなのだから、正確を期すなら「バルト=フィン語族の古謡」と称すべきところだろう。察するに、これは20世紀の合唱音楽を通じて、キリスト教伝来以前に起源をもつ両民族の文化の古層に迫ろうとする企てだろう。
なによりもヒリアーの指揮でヴェリヨ・トルミスの楽曲がたっぷり(時間的には三十五分ほど)聴けるのが嬉しい。エストニア・フィルハーモニー室内合唱団は前任者トヌ・カリュステ(Tõnu Kaljuste)の指揮で「忘れられた人々」「雷鳴への連禱」などトルミスの代表作の決定的名盤を残した由緒ある団体だが、ヒリアーはそこに魔法のような精妙さを附加し、荒々しさと繊細さを兼備した驚くべき歌唱を実現させている(とりわけ「忘れられた人々」の一部を成す「聖ヨハネ祭の歌」)。
しかもそれを同時代の、あるいは少し先行するエストニアとフィンランドの作曲家たちの合唱曲と併置することで、トルミスが決して孤立した特異例ではなく、バルト=フィン声楽曲の伝統に棹差した正統的な存在であることをも証す。
どの曲も耳を欹てずにはいられない生々しい迫力と愛すべき魅惑をふんだんにたたえているが、シベリウスの初期作品「恋人」にとりわけ心奪われた。同題の弦楽合奏曲の初期形だとライナーでは説明されるが、聴いたところまるで別の趣をもった可憐な音楽であり、シベリウス嫌いの小生もこれには脱帽した。
ともあれ北欧・東欧音楽や、民謡に根ざした合唱音楽に少しでも興味のある方なら、心奪われること必定のアルバムといえるだろう。手に入る今のうちに是非!