いやはや昨日は疲労困憊した。三時間ぶっとおしで話した(途中の休憩時間にも質問に応答した)こともあるが、桑野隆教授を筆頭にいつもの「桑野塾」の多士済々たる常連メンバーに加え、バレエ・リュスとその歴史的背景を本格的に探究される平野恵美子女史やら、今夏やった「魅惑のコスチューム バレエ・リュス展」の担当学芸員で同カタログに秀逸な論考を寄せた本橋弥生女史やら、錚々たる客人たちが列席されたこともあって、小心翼々たる講演者はすっかり恐懼萎縮し、極度の緊張を強いられたものである。
お世辞にも流暢に話せたとはとても思えないのだが、二十一歳の大田黒元雄青年が1914年の倫敦でいかなる芸術体験をし、そこから何を感得したか、その一端でもお伝えできたならば望外の歓びである。「面白かった」と声をかけて下さった方も二、三おられたので、それで満足するとしよう。
六十枚用意したパワーポイント画像はぎりぎり時間内に全部お目にかけることができた。最後の画像は大田黒がその記念碑的な労作『露西亜舞踊』(1917)を上梓した翌夏の8月1日、東京・大森の大田黒邸で撮られた一枚の記念写真である(
→これ)。レクチャーの論旨からの逸脱は承知の上で、遊び心から加えた蛇足の画像だったのだが、これが思いがけず反響を呼んだ。
云うまでもなかろうが、中央に坐す青年は二十七歳のセルゲイ・プロコフィエフその人である。翌日アメリカへと船出する彼は世話になった大田黒に暇乞いをしに訪れたのだ。六時きっかりに講演が終了し、急いで片づけをしていたら、客席にいらした井上徹さんから一冊の本を手渡された。驚いたことに、そこではほかでもない、この写真の撮影当日、すなわち1918年8月1日のプロコフィエフの行動にまつわる、これまで一度たりとも語られなかった飛び切りの秘話が明かされていたのである。それについてはいずれ稿を改めて記すことにしよう。
今宵はもう疲れていて、刺戟の強い音楽は聴きたくない。何か身体を慰撫するような、心に沁み入るような楽曲はないものか。ふと棚から手に取ったのは英国近代の提琴音楽撰輯。百年前の大田黒を偲ぶにはうってつけの選曲だろう。
"Tasmin Little -- The Lark Ascending"
モーラン:
ヴァイオリン協奏曲 (1937~42)
ディーリアス:
伝説 (1892~95頃)
ホルスト:
夜の歌 作品19-1 (1905)
エルガー:
朝の歌 作品15-2 (1899)
夜の歌 作品15-1 (1897~99)
愛の挨拶 作品12 (1888)
ヴォーン・ウィリアムズ:
揚げ雲雀 (1914、1920改訂)
ヴァイオリン/タズミン・リトル
アンドルー・デイヴィス卿指揮
BBCフィルハーモニック2013年5月23、26日、ソルフォード、メディアシティ
Chandos CHAN 10796 (2013)
→アルバム・カヴァー