今日は格好の秋日和だつたが買物がてら近所を散策したほかは槪ね在宅。このところ柄にもなく遠出が續いた爲か休息の必要を感じたのだ。初老の身は昨今ちよつとした些事で疲れやすい。以下は數日間を備忘録風に。
■十月二十四日 金曜日
武藏野線の東川口驛で義弟と落ち合ひ、彼の自家用車に同乘して埼玉南東部をあちこち巡つた。先づは
浦和くらしの博物館民家園。花小金井にある江戸東京たてもの園の埼玉版といつた趣だが、あれより遙かに小規模で、たつた七軒の古農家が建ち竝ぶだけだが、芝川沿ひの見沼田圃の只中に立地する鄙びた雰囲氣は格別だ。入園は無料。秋晴に惠まれて少々汗ばむ程の陽氣である。
此處から南下して車を東浦和驛脇の駐車場に留め、
見沼通船堀(つうせんぼり)に沿つて步く。曾て小學生時代に徒步遠足で見學して以來だから、かれこれ五十數年振り(!)の再訪であるが、驚いた事に周囲の閑靜な環境は殆ど變つてゐないやうだ。豫備知識が無いと單なる田舎の潺にしか見えないが(
→此れ)、實は江戸中期の土木技術の粹を傳へる遺構であり、中央を南北に流れる芝川と、其の左右に雁行する灌漑用の小川(代用水)を繋ぐ通船堀、すなはち船舶通航用の運河なのだ。往時は此處を小舟が行き交ひ、米などの物資を運搬した。
三本の川には互ひに約三米の高低差があるものだから、四箇所に閘門(こうもん
→此れ)が設けられてゐた。其の原理はパナマ運河と同じなのだ、しかも此處の方が二百年も早かつたのだぞ、と儋任の鈴木先生が誇らしく云ひ放つた言葉が半世紀後の今も耳に殘る。そこで同じ臺詞を鸚鵡返しに家人と義弟に向かつて呟いてみたら「だからどうした」といふ怪訝な顔をされた。
暑い程の晴天下で喉が渴き腹も減つたので、偶々看板を見かけた近くの蕎麥屋「
はすみ」で晝食。思ひ思ひに十割蕎麥と二八蕎麥を註文したが、見た目の違ひは殆ど無い。程々美味だし、家人の頼んだ天麩羅も揚げ具合が宜しい。食後は店の裏手にある富士塚もちよいと見學。矢張り江戸期の遺構ださうだ。
そのあとは小生のたつての要望で、其處から車で十五分程の距離にある
西福寺といふ古刹を探し當てた。大昔の子供時代、鳩ヶ谷といふ町に住んでゐた時分、遊び仲間と何度も訪れた懷かしい思ひ出の場所なのである。尤も我々は此の寺を正式名稱で一度も名指した憶えがなく、專ら「百觀音」と呼び倣はしてゐた。見るからに莊巖な三重塔が目印で、子供心に「立派な塔だなあ」と感心して仰ぎ見たものだ・・・さう述懷してゐる傍から、まさに其の塔が木立の向かふに忽然と姿を覗かせた(
→此の塔)。ほおらね、中々のものでせう。奈良かと見紛ふ。
境内に足を蹈み入れてみると、旣視感がまざまざと蘇る。見上げると堂々たる塔宇である(
→此れ)。均齊もとれ中々に姿が良い。一六九三(元祿六)年の建立といふから大したものだ。もつと狹々しい田舎寺と記憶してゐたが、實際はさうでもない。決して寂れてもをらず、綺麗に整備されてゐたのも嬉しかつた(
→此れ)。本堂の賽錢箱へ小錢を投げ入れ鈴を鳴らす。堂内を覗き込むと暗がりにずらり竝んだ數多の佛が仄かに浮かび上がる(百觀音の通稱の由來)。
すつかり感傷旅行の氣分になつてしまつた小生を慮つてか、義弟はそのあと鳩ヶ谷の舊市街や、小生が子供時代を過ごした公團住宅(總て改築された)周邉をわざわざ走つてくれたのだが、往時の面影はもう殆ど殘つてゐない。それどころか街の周圍には今や縱横に高速道路やらバイパスやらが敷設されて、長閑な田園風景は無殘にも蹂躙分斷された。そもそも鳩ヶ谷は現今では川口市に吸收倂合されて名實共に消滅してしまひ、記憶の中の風景でしか存在しないのだ。あゝ去年の雪よ今何處の心境になる。悲しいが世の定めといふものだらう。
■十月二十六日 日曜日
かねて豫定した通り、荷物を肩に上京し、豐島區の東長崎へと赴く。尾方邸といふ瀟洒な個人住宅で聽き逃せない演奏會があるからだ。會場こそ小さいものの、企ての意圖は氣宇壯大──戰前の日本に佛蘭西ピアノ音樂の眞髄を傳へた洋琴家
ヂル=マルシェックス Henri Gil-Marchex の業績を偲び、彼に縁の深い曲を連ねたリサイタルが此處で催されるのである。音樂ネットワーク「えん」が主催する第五百十回目の演奏會で、「
アンリ・ジル=マルシェックスの功績をたたえて」と副題されてゐる。奏者は演奏活動の傍らヂル=マルシェックスの日本での足跡をずつと追つてゐる名古屋の
白石朝子さん。小生は折に觸れ彼女のピアノ演奏を聽く度に進境を確かめて來た。今囘の演奏は大學院での四年間の調査硏究が一區切りついたのを期に實現した由。曲目は以下の通り。
クープラン曲 神秘的なバリケード
クープラン曲 飜るバヴォレ
ラモー曲 ガヴォットと六つの變奏
ラヴェル曲 高雅で感傷的な圓舞曲
(休憩)
大澤壽人曲 丁丑(ていちう)春三題
ヂル=マルシェックス曲 出雲の秋月 ~古き日本の二つの映像
ラヴェル曲 クープランの墓ヂル=マルシェックスは佛蘭西バロック鍵盤音樂の復興の先驅者であり、クープラン作曲「飜るバヴォレ」は大正十四年の初來日時にも演奏されてゐる。彼はまたラヴェルの信頼が厚く(有名な提琴曲「ツィガーヌ」世界初演時の伴奏者に指名された)、其の音樂の正統的な解釈者でもあつた。巴里で作曲を學んだ大澤の「丁丑春三題」は昭和十二年ヂル=マルシェックスが初演した樂曲である。彼自身が日本の印象を作曲した「出雲の秋月」はジャポニスム音樂の實例として興味深い。クープランに始まり、クープランへのオマージュで終はるリサイタル全體の構成も、起承轉結が入念に考へ拔かれてゐる。
開場は午后二時だが、小生はヂル=マルシェックス關聯の小展示を任されてゐるので幾らか早目に着到、持參した古い演奏會プログラムや肖像冩眞類を卓上に竝べる作業に勵んだ。このやうに明確なテーマが備はつた演奏會では聽衆の理解を促す資料展示が肝要なのだ。三々五々やつて來る聽衆に少し説明を試みたが、中には「ヂル=マルシェックスのSPレコードを蒐集してゐます」と仰る剛の者もゐらして、むしろ蒙を啓かれるのは小生の方だつた。
午后二時半開演。白石さんの演奏は昨年末に聽いた時(
→其の折の日記)に較べても表現が一層こなれてゐて、タッチも音色も佛蘭西風が身についた感じだ。とりわけラモーとラヴェル「クープランの墓」が優れてゐた。アンコールで奏されたラヴェルの「ハイドンの名に據るメヌエット」とドビュッシーの「月の光」も掬すべき好演。參集者は十人餘と聊か寂しかつたが、終演後に皆で奏者を圍んで親しく語り合ふ茶話會は如何にも「えん」らしい趣向だ。
終了後、白石さんから彼女が蒐集した當時の資料類を預かる。此等を整理してキャプションを附し、小生所藏分と一緒に今度の土曜日に名古屋へ持參する豫定。電氣文化會館ザ・コンサート・ホールで催される彼女の演奏會へ出向き、會場ロビーで更に手の込んだ資料展示を行ふ手筈なのだ。
■十月二十七日 月曜日
昨日の外出疲れもあつて終日ほゞ在宅。預かつたヂル=マルシェックス關聯の資料を一つずつ透明袋に收納し、年代毎に整理する。一瞥すると片々たる紙切にしか見えないが、何れも近代日本音樂史の一齣を鮮やかに彩る貴重な史料なのだ。個々に附す説明キャプションを入力したところで今日の作業は終了。
あとはアクリル製やプラスチック製の展示用具を色々と買ひ揃へねばなるまい。試みに近所の百圓均一店を物色してみたが、矢張り此處では揃はない物があれこれ出て來た。かうなると淺草の合羽橋の專門店街へも赴く必要がありさうだ。小綺麗で判り易い展示が仕上がつたら本望である。なあに、昔取つた杵柄、かう見えても小生は美術館で働いた經驗だつてあるのだ。