朝からしとしと雨降りだ。降り止む気配はない。うそ寒い秋の一日になりそうだ。こういう日だからこそ、巷に雨が降るごとく、ではないが、若き日のドビュッシーの歌曲群をしみじみ嗜もう。
"Forgotten Songs: Dawn Upshaw sings Debussy"
ドビュッシー:
ヴァニエ歌曲集 Recueil Vasnier
■ 無言劇
■ 黄昏の静寂(密やかに/第一稿)
■ マンドリン(第一稿)
■ 月の光(第一稿)
■ 操り人形(第一稿)
■ 死化粧
■ ロマンス「えも言われぬ静寂」
■ 音楽
■ 感傷的風景
■ ロマンス「春が来た」
■ エアリエルのロマンス
■ 哀惜
忘れられし小唄 Ariettes oubliées
■ そはやるせなき
■ わが心にも雨ぞ降る
■ 木々の影
■ 木馬
■ グリーン
■ 憂愁
シャルル・ボードレールの五つの歌 Cinq Poèmes de Charles Baudelaire
■ 露台
■ 夕暮の調和
■ 噴水
■ 沈思
■ 恋人たちの死
ソプラノ/ドーン・アップショーピアノ/ジェイムズ・レヴァイン1995年1月30日~2月2日、11月24~26日、
ニューヨーク、マンハッタン・センター、NYフィルハーモニック・ホール
Sony SK 67190 (1997)
→アルバム・カヴァーモンテヴェルディ、バッハからサーリアホ、ゴリホフまで、
ドーン・アップショーは恐ろしく広範なレパートリーを擁するヴァーサタイルなソプラノ歌手であるが、彼女がフランス歌曲の優れた歌い手でもある事実はつい忘れてしまいがちだ。
彼女には「橙色の唇の少女」と題されたフランス語による秀逸な近代歌曲集があり、往時の名歌手ジャーヌ・バトリに捧げたフランス歌曲リサイタル(於シャンゼリゼ劇場)の見事な実況録音も残している(共にNonesuch盤)。間近に見聞したところでは《ペレアスとメリザンド》巴里オペラ座公演でメリザンドに扮した神秘的な舞台姿(ロバート・ウィルソン演出/1997
→これ)が忘れがたい。
そんなわけで、アップショーがドビュッシー歌曲集を録音するのになんの不思議もない。しかも、これが凡百のアンソロジー・アルバムとは一線を劃した特異な選曲に拠るところが、コンセプチュアルなアルバム構成に自覚的な彼女らしい。
先に紹介した
アンヌ=マリー・ロッドのアルバムから十年ほどして出た、このアップショーによるドビュッシー・アルバムは実に感慨深い。なにしろ永らく幻の存在だった「
ヴァニエ歌曲集」──ドビュッシーが愛人ヴァニエ夫人に贈呈した私的な楽譜集──がそっくり丸ごと、曲順までそのままに踏襲して収められているからだ。ただし正確を期するならば、本当は第七曲目の「スペインの歌」が「死化粧」と「えも言われぬ静寂」の間に入るべきなのだが、この曲だけはデュエット用に書かれているので、本アルバムからは省かれている。
「ヴァニエ歌曲集」がオリジナルどおりの曲順で歌われることにより、ヴェルレーヌ詩による歌の数々が冒頭に連綿と連なり(「無言劇」「密やかに」「マンドリン」「月の光」「操り人形」)、ローマ留学前の時点でドビュッシー青年がすでに歌曲集「雅やかな宴」(1892)──「密やかに」+「操り人形」+「月の光」──の原形に辿り着いていたことが示されるのも興味深い。ドビュッシーならではの夢見がちな半音階的な和声もそこここに萌芽している。
全体のアルバム構成は前出のロッド盤に顰みに倣ったのか、ドビュッシーの修業時代と円熟期の歌曲を併置して、その成長と進化の道のりを示すことに意を用いている。初期には顕著だった心地よい快楽主義が影を潜め、和声は曰く云いがたい微妙な色彩を帯び、テクストへの理解の深まりが音楽に馨しさと複雑な味わいを与える。ドビュッシーはこうしてドビュッシーになったのである。
アップショーの歌唱はさすが。精妙にして巧緻、しかも親しげに語りかけるような表情がまさに絶品である。ドビュッシーの若書きならではの率直なロマンティシズムが馥郁と香り立つような名唱というべきだろう。頻出するコロラトゥーラも難なく音楽的にこなし、空疎な技巧誇示に陥らないのが好もしい。
それに勝るとも劣らず周到で、説得力たっぷりなのがレヴァインの伴奏だ。指揮者の余技というには見事すぎる細やかさと絶妙そのものの呼吸で、アップショーの声を引き立てる。オペラ指揮者としての永年の修練の賜物だろう。