日に日に秋が深まりゆくにつれ、心静かに仏蘭西近代歌曲を味わいたい感興が沸々と湧いてきた。とりわけドビュッシー、それも若き日の歌曲の数々を。
若きドビュッシーの熱烈な思慕の対象だった
ヴァニエ夫人(マリー=ブランシュ・ヴァニエ)の名を初めて目にしたのは平島正郎さんの評伝(1966)の記述からだと思う。だとするともう四十数年前のことになるのだが、彼が彼女のために作曲した歌曲が日の目を見たのは遙か後年になってからのことだ。
ヴァニエ夫人はその名のとおり人妻であり、趣味で声楽を嗜むパリの富裕なブルジョワーズだった。練習ピアニストとして彼女に出逢った十八歳のドビュッシーは、十四も年上の彼女の美声と美貌(
→ジャック=エミール・ブランシュ作の肖像画)と教養に魅了され、熱烈な恋文攻勢のすえ不倫関係を結ぶに至る。
この時期、二十歳前後のドビュッシーが作曲した四十の歌曲のうち、実に二十七がヴァニエ夫人に捧げられているというから、二人の関係の只ならぬ緊密さが知られよう。とはいえ、これらの歌曲は私的な性質からだろう、公刊されぬまま手稿譜のまま個人コレクションに埋もれてしまい、その大半は近年ようやく発見され、出版に至ったものだ(Salabert刊、1980)。
それらの歌曲を実際に音として耳にしたのはもっと遅く、
アンヌ=マリー・ロッドがオランダで録音した二枚の「ドビュッシー歌曲集」(Etcetera, 1985/87)が最初だったと記憶する。そのあと
ドーン・アップショーが「ヴァニエ歌曲集」として纏まった形で収録(Sony, 1997)したことでようやく人口に膾炙した。
時代順にそれらを聴いてみよう。とりわけ前者はLP時代に遭遇し、「あゝ、遂にヴァニエ夫人のための若書きが陽の目を見た」と密かに昂奮したものだ。
"Debussy: Melodies, Vol. 1 - Rodde - Lee"
ドビュッシー:
星の夜(バンヴィル詩、1880)
ゼフュロス(バンヴィル詩、1881)
感傷的風景(第一稿/ブールジェ詩、1883)*
ロマンス("春が来た"第一稿/ブールジェ詩、1884)*
音楽(ブールジェ詩、1883)*
死化粧(ゴーティエ詩、1883)*
哀惜(ブールジェ詩、1884)*
ロマンス("えも言われぬ静寂"/ブールジェ詩、1883)*
エアリエルのロマンス(ブールジェ詩、1884)*
スペインの歌(二重唱/ミュッセ詩、1883)*
顕現(マラルメ詩、1884)
無言劇(ヴェルレーヌ詩、1882)
月の光(第一稿/ヴェルレーヌ詩、1882)
ピエロ(バンヴィル詩、1881)
二つのロマンス(ブールジェ詩、1891)
■ ロマンス("移り気な悩める魂")
■ 鐘
三つの歌曲(ヴェルレーヌ詩、1891)
■ 海はさらに美しい
■ 角笛の音が響く
■ 生垣の連なり
雅やかな宴 第一集(ヴェルレーヌ詩、1892)
■ 密やかに
■ 操り人形
■ 月の光
ソプラノ/アンヌ=マリー・ロッド
ピアノ/ノエル・リー1984年頃、アムステルダム(?)
Etcetera KTC 1026 (1985/1992)
→アルバム・カヴァー"Debussy: Melodies, Vol. 2 - Rodde - Lee"
ドビュッシー:
青年期の六つの歌
■ ジャーヌ(リール詩、1881)
■ 気紛れ(バンヴィル詩、1880)*
■ ロンドー(ミュッセ詩、1882)
■ 愛し合って眠ろう(バンヴィル詩、1881)
■ 亜麻色の髪の乙女(リール詩、1882)*
■ 密やかに(第一稿、ヴェルレーヌ詩、1882)
バンヴィルの七つの歌(1880~83)*
■ 夢想
■ 憧れ
■ ライラック
■ セレナード
■ 彼はまだ眠っている
■ 薔薇
■ 雅やかな宴
抒情的散文(ドビュッシー詩、1895)
■ 夢について
■ 浜辺について
■ 花々について
■ 夕暮について
ステファーヌ・マラルメの三つの歌(1913)
■ 溜息
■ 空しい懇願
■ 扇
ソプラノ/アンヌ=マリー・ロッド
ピアノ/ノエル・リー
1987年頃、アムステルダム(?)
Etcetera KTC 1048 (1987/1992)
→アルバム・カヴァーこれら二枚のアルバムに収められた四十二曲のうち実に十七曲(*印のもの)までが世界初録音。これこそドビュッシー録音史に残る快挙であろう。これがフランスのEMIやデッカでなく、オランダのインディペンデント・レーベルが独力で成し遂げた天晴れな事実は銘記されていいだろう。
事の発端は1978年にパリの国立図書館が購入した一冊の手書き楽譜帖。それまで永らく個人が秘蔵していたものだという。
"Chansons" と題され、モロッコ革で丁寧に装幀されたこの手稿楽譜こそは、1884年にローマ賞受賞者として異国へと旅立つドビュッシー青年がヴァニエ夫人に贈った「愛の形見」だった。私的な恋文めいた手沢譜がよくぞ湮滅せず後世まで伝えられたものだ。綴じ込まれた十三の歌のうち六曲までは全くの新発見であり、それらは1980年サラベール社から公刊された。こうして「ヴァニエ歌曲集」は作曲からほぼ一世紀を経て、初めて世に出たのである。
この二枚のディスクではその歌曲集から十一曲(曲名に
下線を引いたもの)を選りすぐり、それ以外の珍しい初期歌曲も加え、両アルバムとも人口に膾炙した名作群をも後半に併録して、最初期から円熟期へと至るドビュッシー歌曲の軌跡を跡づけようとした意欲的な録音である。
なにしろ他では聴けない歌曲が十七も含まれているのだから、その音楽史的な価値は測り知れない。小生が夢中になって耳を欹てたのも当然だろう。
若書き歌曲群を聴いての第一印象は「
ドビュッシーは一日にしてならず」。玄人はだしのコロラトゥーラ・ソプラノだったというヴァニエ夫人を念頭に、かなり技巧的に書かれてはいるものの、どれも曲想はロマンティックそのものでマスネーそっくり。バンヴィルやブールジェの甘美な歌詞が余計そう思わせ、後年のドビュッシー歌曲の玄妙な味わいなど求むべくもない。伴奏ピアノの書法は随分と凝っていて、これはまあドビュッシーが自分で弾くつもりだったのだろう。
とはいえ、後年「雅やかな宴 Fêtes galantes」として纏められるヴェルレーヌ歌曲の初期形である「密やかに」「月の光」が聴けたり(後者はまるで別の曲だ)、「亜麻色の髪の乙女」なる歌曲(!)や、シェイクスピアの《テンペスト》に因む歌があったりと、ドビュッシー好きにはいろいろ興趣が尽きない内容である。
初めて聴いて誰しも吃驚させられるのは、バンヴィルの詩による「雅やかな宴」だろう。なにしろ、あのピアノ連弾用「小組曲」の「メヌエット」そっくりの主旋律が延々と唄われるのだから! 驚いたなあ、若き日のドビュッシーにとって、歌曲こそが最も稔り豊かな活動領域だったことが了解されよう。
ソプラノの
アンヌ=マリー・ロッド Anne-Marie Lodde はまるで知らない歌手だが、1946年クレルモン=フェランに生まれ、パリのオペラ座やロンドンのサドラーズ・ウェルズ座で活躍した人という。《ペレアス》のイニョルド、《子供と魔法》の子供を得意としたというから、恐らく小柄な人なのだろう。のちにメリザンドに扮する機会もあり、ほかにラモーのオペラ復興にも関与し、その録音も出ているというが、小生は寡聞にして彼女の他の音盤を目にしたことがない。
ここで聴くロッド嬢のドビュッシーはやや高音に難がある点を除けば、まずは申し分のない歌唱であり、企みのない真っ直ぐな唄い方が、うぶで一途なドビュッシー青年の若書きに相応しい気がした。名手ノエル・リーのピアノがまた秀逸。