余りに素晴らしい秋日和なものだから川沿いの道を家人と自転車で上流まで遡り、河畔の叢でサンドウィッチを頬張って昼休憩。帰路はちょっと寄り道して木立に覆われた神社の境内やら東大グラウンドの大賀蓮発祥の地に立ち寄ってから帰宅。二時間半のサイクリングだが、久しぶりなので結構くたびれた。
しばし床に寝転んで珈琲で一服。疲れを癒やしながら鍾愛のディスクをかける。先日の颱風襲来のとき護符代わりに飾っておいていたものだ。
"George Frideric Handel: Italian Cantatas"
ヘンデル:
モテット「風よ鎮まれ Silete venti」
カンタータ「チェチーリアよ、見そなわせ給え Cecilia, volgi un sguardo」*
ソプラノ/ジェニファー・スミス
テノール/ジョン・エルウィス*
トレヴァー・ピノック指揮
ジ・イングリッシュ・コンサート1981年6月、ロンドン、ヘンリー・ウッド・ホール
Archiv 419 736-2 (1982/1987)
→アルバム・カヴァーフリー編集者だった大昔、仕事に不可欠というのでイタリア語会話の講習に通ったことがある。じきにその必要がなくなり、ろくに上達もしなかったが、思いがけず収穫があった。クラスメートに絶世の美女(!)がいて、その彼女から「
ヘンデルの《風よ静まれ》がとてもいい曲だから」と当アルバム(まだLPレコードの時代だ)のカセット録音を頂戴したのだ。ぜひ聴いてご覧なさい、と。
まるで未知の曲だったが、聴いてみるとなるほど素晴らしく、すぐ自分でもそのLP(
→これ)を手に入れて繰り返し愛聴した。クラシカル音楽と十数年ほぼ無縁で過ごした時期の数少ない聴取体験だったのを懐かしく思い出す。
そんなわけで個人的に思い入れの深いアルバムなのだが、CDで買い直そうとしたら容易に見つからない。アルヒーフ・レーベルからどっと出たトレヴァー・ピノック指揮のヘンデル録音のなかで、最も捜しにくいアイテムではなかろうか。かれこれ十年以上も探し続け、諦めて米国amazonのマーケット・プレイスから取り寄せた。それがつい先日、上京時にたまたま訪れた中古店の棚でひょっこり出くわしてしまい、悔しいのでそれも買ってしまった(この心理、判る人には判るだろう)。
ヘンデルの声楽曲に疎く、専門家の評価は知らないが、モテット「
風よ鎮まれ」は小生にとっては稀代の名作である。モテットというからには宗教音楽の範疇に入り、ひたすらキリストの恩寵を希い、最後は「アレルヤ」で締め括られる歌詞内容ではあるものの、抹香臭さは微塵もなく、聴いている間はむしろ音楽が醸し出す甘美で平穏な歓びにただ酔いしれる。この曲は今に至るまで録音が数えるほどしかなく、むしろ冷遇気味なのは一体全体どうしたことか。ヘンデルの天才が横溢する素晴らしい音楽なのになんとも勿体ない話だ。
ソプラノ独唱の
ジェニファー・スミス Jennifer Smith は1945年ポルトガルのリスボンに生まれた英国歌手。幅広いレパートリーを誇るが、録音では専らバロック音楽を主たる活躍の場とし、コルボ、パイヤール、マルゴワール、ガーディナー、ピノック、そしてミンコフスキと歴代の指揮者と共演した。堂々と格調高い楷書体の歌唱がまことに好もしい。
もう一曲のカンタータ「
チェチーリアよ、見そなわせ給え」もかなり珍しい部類に属する。ヘンデルにはよく知られた「聖セシリアの祝日のオード」のほかに、音楽の守護聖女カエキリアに捧げたカンタータが三曲もあって紛らわしい(それぞれ部分的に共通する楽曲を含む)が、本作(HWV89)は名作の誉れ高いオード「アレグザンダーの饗宴」(この声楽曲自体が聖女セシリアを賛美した内容)が1736年ロンドンのコヴェント・ガーデンで初演される際、余った演奏時間の穴埋め用(!)に急遽作曲されたものという。だが流石に速筆の天才だけあって、ヘンデルはそんな裏事情など感じさせない魅惑的な音楽を余裕綽々と仕上げている。
曲の構成は実にシンプルで、前半でテノールが聖女の功徳を謳い上げ、それに応えて後半は聖女自らが唄い、最後は両者のデュエットで晴れがましく締め括られる。小生は同曲の他の録音を知らないので偉そうな口はきけないが、この演奏もまた申し分ない出来だと思っている。
ジェニファー・スミスの素晴らしさは前作同様だが、前半部分を歌う英国の大御所
ジョン・エルウィス John Elwes の歌唱に風格があり申し分ない。若き日にベンジャミン・ブリテンに愛され、「アブラハムとイサク」の初演(急逝したキャスリーン・フェリアの代役として!)に抜擢されたという美声はここでも健在だった。