昨日の備忘録をひとくさり。千葉縣内の名所舊趾が種切になつた譯ではないのだが、ふと思ひ立つて少し遠方へ赴いてみた。武藏野線に搖られて終點近くまで一時間半も延々と乘り續ける。武藏浦和を過ぎると殆ど未蹈の領域なので、車窓は見馴れぬ風景ばかりで退屈しない。西國分寺で中央線に乘り換へ、上り方向へ一驛戻ると目的地の國分寺に著到、十一時を少し廻つた頃合だ。空はくつきり晴れて眞夏がぶり返したかのやう。忽ち玉の汗が噴き出す。
此處で下車するのは二、三十年振りだらうか。南口から出ると、まるで未知の街に降り立つ心持がする。先づは腹拵へをと驛前商店街を少し物色すると「とんき」の看板が目に附く。云はずと知れた目黑に本店を構へる豚カツの老舗だが、未だ開店前だつたのと、家人から猛反對されたので諦め、斜向かひの小ぢんまりと庶民的な蕎麥屋「
豐年屋」へ這入る。家人は「穴子天ざる」、小生は暑い日なので肉入りの「冷しスタミナ」。饂飩も可だといふのでさうする。味はまあ普通だが、量的に滿足し(穴子が巨大だ)、何より値段が良心的。しこしこ齒應へを愉しんだ。
滿腹したので努めてゆつくり步いたが目指す「
殿ヶ谷戸 とのがやと 庭園」は驛前から指呼の距離にあり、ほんの二、三分で着いてしまふ。呆氣ない程の近さに拍子拔け。濱離宮、小石川後樂園、清澄、古河、岩崎邸など、都が管轄する庭園はあらかた訪問濟だが、此處だけは千葉から遠くて未蹈査、どころか存在にすら氣付かなかつた。そこで此の際とばかり思ひ切つて出向いた次第だ。
殿ヶ谷戸庭園は先づ三菱の上級社員が別莊を構へ、後に岩崎家が買ひ取つて整備したものだといふ。事程左樣に戰前の三菱一族の榮耀榮華といつたら常人の想像を越へてゐる。此の庭園は敷地面積こそ小さめだが、ちやうど武藏野段丘の南縁に立地する爲、北と南とで甚だ高低差があつて、池の周囲を巡り步くだけで恰も谷あひを昇降するやうなスリリングな氣分が味はへる。
殘念ながら季節がちよつと外れてゐたらしく、名物だといふ萩の花はあらかた散つてしまひ、木々の紅葉は殆ど始まつておらず、僅かに小紫式部
(こむらさきしきぶ)が艶やかな紫の實(
→これ)を附けてゐるのが目を惹く程度。寧ろ陽光にとりどりの緑が照り映える夏の午后と云つた印象だ。蚊に刺されぬやう注意して步く。
殿ヶ谷戸庭園が些か期待外れだつたので、界隈をもう少し探索してみる事に衆議一決、路傍の地圖板を睨んで近所にある「
武藏國分寺公園」へと步を進めた。驛前商店街の南端を掠めるやうに通過し、坂を下り、再び坂を登ると、道の左右に廣大な緑地が見えて來て、其の一帶がどうやら目指す公園であるらしい。
一本道をだらだら步いて十五分位だらうか。秋とは思へぬ强い陽射しだつたので、喉がからからに渴き、兩脚が棒のやうに草臥れてしまひ、右方に擴がる圓形廣場の脇のベンチにへたり込む。傍らの自販機で罐入りの清涼飮料水を買ひ渴を癒した。茹だるやうな暑さのせいか周囲には人影もまばらだ。
此の武藏國分寺公園はだだつ廣い割りに整備され過ぎてゐて、見處は餘りなささうだ。道路を挾んで反對側にある「野鳥の森」で木立の間を暫し散策した後、公園敷地の裏手南側にある崖を下つたら、ひつそり閑靜な住宅地に出た。
界隈には今でも現役の農家が點在しており、野菜や果物の販賈處が随所に設けられてゐる。美味しさうな無花果を買つた。
路傍の揭示板に據ると、さつき下つた崖は「國分寺崖線
(がいせん)」と云ひ、通稱「ハケ」。ずつと深大寺、等々力溪谷の邊り迄うねうね續く長い臺地の端なのだとか。崖の下にはほうぼうに湧水があつて、農作には打つてつけだつたさうだ。確かにこの界隈にも清水が湧いてゐたり、小さな池があつたりする。
崖下に沿うやうに石疊の小径があり、「お鷹の道」遊步道と表示がある。道沿ひに少し西へ步くと、丁度いい鹽梅に「
おたカフェ」なる手頃な茶店を發見、喉も渴いたのでちよつと休憩する。近在の主婦達が運營する店らしく手作り風だが居心地は惡くない。冷やし善哉とアイスティーを飮んで疲れを癒す。オアシス也。
カフェの向かひには「武藏國分寺跡資料館」があり、此處で入館券が買へるといふので、物は驗しと覗いてみた。格式高い長屋門(
→此れ)を潜り、さして期待もせず小さな展示館に足を蹈み入れると、土器や埴輪や瓦といつたお定まりの出土品と竝んで、舊國分寺で發掘されたといふ奈良時代の佛像(!)が展示されてゐるではないか(
→此れ)。正式名稱を《
銅造觀世音菩薩立像》と云ひ、像高が僅か二十八・四糎しかない小像ながら、顔貌の微笑に紛れもなく白鳳佛の特徴を備へる。一九八二年に舊國分寺の僧寺と尼寺を繋ぐ古代道の遺構から出土した由。知らなかつたなあ、東京で觀られる白鳳佛といへば深大寺の御本尊があるだけと思つてゐたら、こんな隠れた名品があつたとは! 思はぬ眼福を味はふ。
折角なので隣接する國分寺(古代の寺とは別)の境内もざつと巡るが、近世の再建寺院とて特筆するやうな建物は何もなかつた。「おたカフェ」で貰った地圖に據ると、少し步けば武藏國分寺の僧寺や尼寺の遺址があり、近傍には古い農家が點在するほか、藤森照信さんの自邸「タンポポ・ハウス」迄あるらしいのだが、旣に陽が傾きかけてゐるので、無理せずに殘りは後日を期す事にした。
さつき來た道を引き返すのも難儀なので、地圖を賴りに西國分寺驛まで戻つて散策を終へた。大した距離ではなかつたもゝの、炎天下を步き通したので體力が消耗したのだらう、歸りの武藏野線の車中では二人共に正體無く眠つてしまふ。歸着は五時二十分。夕陽に照り映へた茜雲が溜息の出る程に綺麗だつた。